「金が無い」コンビニでパンを万引きしかけるまで飢えた話

「金が無い」

 大学生に共通する口癖である。だが蓋を開けてみれば、旅行に行けない、服が買えない、飲み会に行けないといったような、大学生活を驕奢に過ごすための資金が足らないという、非常に贅沢な悩みであるケースが多い。大学生活の延長を生きる私は、未だに「金が無い」とこぼしながらも、コンビニでお茶を買える余裕がある生活を送っている。しかし、大学2年生のあの頃は、本当に「金が無い」状況であった。ここにおける「金が無い」は、飽食の現代において飢餓を体験するような「金がない」であって、人間の極限に迫るものであった。

 発端は金策を立てないままに実家を飛び出し、新年度にあたる4月から大学近くでシェアハウスを始めた事に因る。実家でのうのうと暮らしていた私は、金に無頓着な上、余りに世間知らずであった。敷金や仲介手数料を払った後の口座を見てみると、残金が2万円。能天気な私は、これだけあれば何とかなるだろうと考えていた。何とも浅墓であった。5つのサークルを掛け持ち、2つのサークルで役職に就いていた私は、新歓期における最低限度の必要交際費が優に10万円を超えていたのである。慌ててバイトを始めてみるも支払日の都合から給料が入るのが翌月の25日。2ヶ月間は収入がない、そして家賃は否応なく発生する。目の前が真っ暗になった。しかし人との繋がりを断ち切るなんて考えられなかった私は、サークルを減らすという結論には至れず、各所に頼み込んで金を借りてサークル費用を工面した後に、手元に残った1万弱で給料日までの約二ヵ月を生き抜く事を決めた。食費を削れば何とかなる。あの時はそう信じていた。

 最初に始めたのは安さと満腹感を最優先に考えたパスタ生活である。業務用スーパーで5kg698円のパスタ(腹持ちが良い1.7mm)を買い、1日1食ペペロンチーノを食べるのである。飽きそうになっても、塩とコショウのバランスを微妙に変化させて耐え抜いた。居酒屋でのバイトの賄いを頂けた事と、パスタが1食辺り60円程度の原価に収まっていた事とで、1週間の食費は実質300円程度に抑えられていた。なんだ、意外になんとかなるじゃん。そう思っていた矢先に、異様な眩暈と倦怠感に襲われた。ビタミン不足である。日中身体がフラつき、吐き気が止まらない。「バランスのいい食事」が散々各所で叫ばれる理由が身に染みて分かった。そこで次にキャベツを食のローテーションに取り入れた。1玉99円のキャベツを激安の八百屋で仕入れ、二等分にしたものを塩コショウで食べて1食として計上するのである。一食当たりのコストは多少安くなったものの、満腹感がパスタに比べて少ない。無理やり水で腹を膨らませて身体を横にすることで我慢した。しかし、空腹から上手く寝つけず、体力も回復しない。日に日に倦怠感が重くなり、授業やサークルを休んで横になる日もあった。今思えば本末転倒であったが、当時は何故か精一杯であったのだ。

 こうした生活を3週間程送っていたにも関わらず、サークルでの出費は予想以上に膨らんだ。軽くなりゆく財布、10万の大台に乗った友人への借金を前にして、金を遣う事、借りる事への罪悪感に拍車がかかっていく。追い詰められた私の出した結論は、より生活を切り詰めようというものであった。こうして私は食事内容を変えないまま2日に1食という領域に足を踏み入れることになる。結論から言うと10日もしない内に終わるのだが、地獄のような日々であった。

 当たり前だが腹が減って仕方ない。特にキャベツ半玉で2日をやり過ごさなくてはいけない時が辛かった。眩暈や倦怠感がベットリ身体について回り、頭が全く働かなくなる。横になって休む時間も1日1食期間よりも長くなった。そして以前と比べて大きく変わったのは精神状態、起きている時間は常に空腹からイライラして仕方なかった。何故私はこんなに空腹なのに、世界はこうも平然と回っているのだ。脳内には「不公平」という言葉が鳴り響き、視界に入るモノ全てに怒りを抱えていた。飛んだお門違いなのは分かっているが、追い詰められた私には私の規定するスタンダードが絶対の基準であって、それを超えるものは全て悪に見えたのであった。もう私には人間らしい素振りを振る舞う余裕さえ残されていなかった。

 炭水化物もビタミンも含まないフラペチーノに私の1週間分以上の食費を注ぎ込んでいる見知らぬ女子大生を見て、怒りが収まらなかった。お前のその1杯で、私の何食分の費用が賄えると思っているんだ。会話の中から「痩せたい」と聞こえた瞬間、怒りで身体が震えた。

 私の前で生協の弁当を食べるサークルの先輩を殴りそうになった。よくもそんな真似ができるもんだな、人の気持ちも知らずにのうのうと飯を食いやがって。言葉にし難い憎悪が全身から吹き出し、ぶん殴ってやりたくなった。女と違って男なら殴ってもいいんじゃないかという、恐ろしい事を平然と考えていた。

 コンビニでパンが平然と陳列されているのが許せなかった。こんなに私が辛い思いをしているのに、どうして普通に売られているのだ。ケーキも食える奴らにパンを渡す必要はない。目の前の俺を救えよコンビニと食品会社。すんでのところで引き留まれたが、そこにはパンを本気で万引きしようと棚を睨み付けていた自分がいた。気軽にカフェに行く周囲の人々は皆貴族に思えたし、自身が以前そのような暮らしをしていた事が信じられなくなった。食への渇望から心が荒み、頬がコケ、日に日に異常になっていく。何故だか無性に涙が出そうな夜もあった。

 そんな私を救ってくれたのは、この生活を選んでまで繋がりを保とうとした、サークルを中心とする周りの先輩・友人・後輩であった。私の事態を察し、声をかけてくれたのだ。近況を話すと大層驚かれたのを覚えている。「何故もっと早くに言わなかったんだ」と叱られることさえあった。そこからは本当に沢山の方から恩を受けた。家に招待されて「余ったから食べなさい」とホカホカの焼きそばと焼き肉を御馳走してくれたり、油そば屋の前に私を呼び出して大盛りと書かれた食券を渡してくれたり、実家からの仕送りが余っているからと言って缶詰やレトルト食品を山ほどくれたり、業務用スーパーで買った36個のパンを家に届けてくれたり、栄養バランスの整った弁当とおにぎりを作ってきてくれたり、食材を持って我が家に訪れ、サークルの会議後でヘトヘトになった私をカレーと共に出迎えてくれたりとご恩を受けた。数えきれない優しさに、胃袋以上に心が温かく満たされていくのを感じた。その後も発生するサークルの飲み会代を出世払いという名目で先輩が肩代わりしてくれたり、サークルの合宿費用等も快く立て替えてくれたり、会費の支払い猶予も1年という期間に設定してくれたりとお世話になっていき、徐々に生活を取り戻していった。決して贅沢な事はできなかったが、バイト代の受け取りと奨学金の申請も上手く進んで、9月になる頃には人並みの生活に戻れたのであった。

 計画性の無さ由来の100%自業自得なのであるが、今思い返してみても異常な日々であった。もっとスマートに生きることもできたのかもしれない。しかし、私は生活を投げ捨ててでも多くのコミュニティと繋がり続けていたかった。いくら物質的に豊かな生活を送れていたとしても、その周りに友人がいないなら意味が無い。そして格好悪かったかもしれないが、そうまでして守り抜きたかった繋がりによって、最終的に救われたのであった。あそこで繋ぎとめた縁は、今尚私の生活に強固に息づいている。

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