DVから逃げてシングルマザーでホームレスになったけど、3年後には〇〇を勉強して社長になり人生を大逆転させた話。

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この体験を書いた理由

私は、2人の子供がいる、シングルマザーです。
4年前の今日は、ホームレスでした。
家を飛び出して初めの数日間は、全身アザだらけで足の指が脱臼し、包帯のせいで靴も履けず、よたよた歩きで100円ショップのサンダルを履いていました。
今はとても幸せですが、過去の話は思い出すのも辛いです。
しかし、私の体験してきたことを公開することで、誰かの励みや、何かに踏み出す勇気になるかもしれないと思って、書いてみることにしました。 


辛かった元旦那からのDV

なぜ、そうなってしまったのかというと、元旦那のDVが原因です。

ある日の夜、止まらない怒りと暴力的な言葉、態度。
『ここに居たら殺されるかもしれない…』そう思って一瞬のスキを狙って、裸足で家を飛び出していました。
子供達は、2階の寝室で眠っていました。

そこから、警察に間に入ってもらったりと色々あり、私は家がない為、ホームレスになってしまいました。
子供は、私が怪我をしている、住む場所もお金もないなどの理由で、一旦、施設に預けました。

親や身内は、子供の頃から色々あり、誰も頼ることが出来なかった為にそうなってしまいました。


私は、20代前半で長女、20代半ばで次女を出産しました。

初めて殴られたのは長女がまだ生後半年くらいの時です。

元旦那は少しでも気に入らないことがあると、赤ちゃんの世話で寝不足でフラフラな私を気にも留めず、ベロベロに酔っ払いながら夜中まで怒鳴り続けました。

身体を壁に打ち付けられ、フラフラになったところを倒されて馬乗りになられ、ナイフでお腹を刺される寸前の修羅場もあったし、顔を殴られて目が開かなくなったこともありました。

(※実際の写真です) 
元旦那は酒癖がかなり悪く、毎日お酒を飲んでいました。

何が原因でキレだすかわからないので、常に元旦那の顔色を伺い、機嫌を取りながら、笑顔を作っていました。 

(※実際に殴られた時に撮っておいた写真です。身体にも沢山、アザができていました。)

何が原因でキレだすかわからないので、常に元旦那の顔色を伺い、機嫌を取りながら、笑顔を作っていました。


鬱病に。飛び降りて、精神病院に入院。

毎日が辛かったです。
可愛い子供が生まれて、幸せなはずなのに、いつ怒鳴られるかわからないとビクビクし、また殴られるかもしれないと、暴力に怯える日々。

私は、すごく病んでしまい、心療内科に通っていました。

安定剤や睡眠薬も貰って、飲んでいました。

夜中に叫んで自分の声で起きたり、微熱が何週間も続いたり、毎日のように頭痛に悩まされ、心身ともに限界でした。


『もう限界…悲しい…辛い…』

病院からもらった安定剤や睡眠薬を大量に飲んでしまいました。
気づいたら意識不明になって病院に運ばれていました。
それが、数回ありました。 
そして、ついに自宅のベランダから飛び降りてしまって、救急車で運ばれて精神病院に入院したこともあります。(しばらくは車椅子でしたが、奇跡的に骨折もせず、酷い打撲ですみました。)

とても辛い状況でしたが、『こんな選択をしてしまったのは自分だからしょうがない。』と子供の前や人前では何とか明るく振舞っていました。


DVの後泣きながら謝る元旦那を、変わってくれるかもしれないとわずかに期待して、たまにあるDV(殴られる)以外は機嫌を伺いながらも普通に生活し、次女も生まれました。

(不思議ですが、元旦那はとても子煩悩で子供達をとても可愛がっていました)


我慢して我慢して。
3年ほど頑張って、少しは穏やかに暮らせそうだと感じ始めた矢先、また、酷く怒鳴られました。 
子供たちは別室で眠っていて、すぐにでも外に出ないと命の危険もあると感じ、気付いたら裸足で家を飛び出していました。
最後は、殴られなかったものの、ひきずりまわされ、足の指を骨折し、身体中アザだらけになりました。


(※その時の実際の写真です)

別れる決意

私は専業主婦で、お金の管理は徹底して元旦那だった為、貯金やへそくりもなくて、手元には約3万円しかありませんでした。


でも私は、元旦那にも身内も、誰にも頼らずに子供達を育てていく決意をしました。

『絶対になんとかしてみせる!』という決意しかありませんでした。

その時、下の子はお座りがやっとできるくらいの赤ちゃん。
アザだらけで、骨折した足の指ではまともに歩くことも出来なかったことや、色々考えて児童相談所に相談しました。
そして、一時預かりをして頂けることになりました。

足は包帯で巻かれて靴も履けなかった為、100円ショップで買ったサンダルを履いて市役所に行きました。 


シングルマザーでホームレスに

私は、何か手助けしてもらえないだろうかと考え、福祉課に行きました。

しかし、市役所での対応はとても冷たいものでした。
『住所がない人は生活保護は受けられないんだよ。今のあなたは住所もないからホームレスと一緒だよ!どうしようもないですね。』
と、言われてしまい、解決策の提案もしてもらえずでした。必死に、その時の状況を話しましたが、ダメでした。

気付いたらシングルマザーでホームレスになっていました。(笑)


シェルターや母子生活支援施設に行くことも考えましたが、それまでに何度か行ったことがありまして、私が行った所の内情は酷くて、精神的に更に不安定になってしまったので、絶対に行きたくありませんでした。

シェルターや母子生活支援施設に行くことも考えましたが、それまでに何度か行ったことがありまして、私が行った所の内情は酷くて、精神的に更に不安定になってしまったので、絶対に行きたくありませんでした。

私が行ったシェルターの人は、全員女性でしたが、DVを受けている人に理解どころか、被害者をバカにしたような態度でした。

それに、施設での態度が冷たく、施設の中で自殺まがいの飛び降りもあったので、シェルターとかには2度と行きたくないと強く思っていたんです。
逃げることを決めたけど、『これからどうしよう・・・』と、とても不安でした。
しかし私はそれでも、元旦那のところに戻ることはしませんでした。 
むしろ、辛かった生活から離れた喜びで、気持ちが元気になりました。

事情を知った友達が連絡をくれて、泊めてくれることになりました。数日間、友人の家に泊めてもらい、お世話になりました。
それから、知り合いの紹介でホステスのバイトをしました。友人の家からバイト先が通えない距離だった為、ネットルームでの生活になりました。

足の痛みに耐えながらもハイヒールを履いて日銭を稼ぎ、ネットルームに泊まっていました。食事は、コンビニや牛丼屋や、うどん等、安い所でなんとか食べていました。 

ここに書けないくらい、色々なことがありました。

夜はバイト。昼は家を探すための情報収集をしたり、子供の面会に行きました。
不安だったけど、どうにかするしかない!と、私なりに必死に動いていました。
面会後に帰る私に、『ママ、次はいつ会えるの?いつ一緒に住めるの?寂しいよ。』
とても寂しそうに泣きじゃくる長女。
次女は、年齢のせいで長女とは別の施設に行きました。
いつも笑顔が可愛い次女が、会いに行っても全く笑わなくなってしまい、すごく心配でした。
子供達に申し訳ないし不安だし、沢山泣きました。
でも、落ち込んだところで状況は変わりません。

『なんとかしてみせる!気分が落ち込んでるからこそ綺麗にメイクして笑っていよう!』

と、自分を奮い立たせ、バイトを頑張りました。
ここに書けないくらい、色々なことがありました。 



お金が無い私が、アパートを借りることができたのは、友達のおかげです。

とても仲良くしていた中学生の頃の同級生が、お金を貸してくれると申し出てくれたのです。

『必ず、できるだけ早く返すからね!』と約束しました。

あの時の私に貸してくれるなんて、本当に本当に、感謝しかないです。
一生心に残る出来事です。


家を借りれたけど、ボロボロ…寝袋での生活


そんな経緯があり、何とか部屋を借りることができました。
しかし、部屋には何にも無かった為、始めは借してもらった寝袋で寝ました。

洗濯機もなく、コインランドリーはもったいないので、洗濯はなるべく手洗いでしのぎました。
冷蔵庫も洗濯機もガスコンロも、その他、生活に必要なものは何もありませんでした。
ひたすらバイトをし、リサイクルショップと100円ショップなどで何とか最低限の家電と生活に必要なものを揃えました。
中古だけど、洗濯機、冷蔵庫、ガスコンロを揃えた時は、すごく嬉しかったです笑

子供達を引き取り、働くことに

家電が揃ってから、子供達を引き取りました。
子供達を2人共引き取れるまでには、家出してから数か月かかりました。

元旦那に気を使うことなく、子供達と穏やかに一緒に過ごせるんだと思うと、本当に嬉しかったです。

何にも怯えることのない生活になり、病んでいた気持ちは、だいぶ元気になりました。
(でも、心療内科には通ってました)

運のいいことに、たまたま知り合いから連絡があり、仕事を紹介して頂けることになって、面接に行きました。

すぐに働かせて頂けることになり、保育園も無事に決まったので、必死に働きました。
かなり節約して生活し、友達から借りたお金は数ヶ月で全部返しました。 


くたくたで終わる日々に悩む

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