80年代の愛知県の田舎での体罰にまつわる話

80年代の愛知県の田舎では体罰は普通にありました。もう少し言うと、体罰というのは学年ごとに「当たり年」というのがあります。中学校などで上級生が荒れると、翌年の新一年生なんかは厳しい指導を受けることになるわけです。

僕らの年がそれに当たっていたかどうかはわかりませんが、中1の時のマーシーという体育教師は生徒を殴る殴る。男子女子構わずビンタ、蹴り、髪の毛掴んで引きづり回しの嵐でそりゃ激しかったです。

今思い出せばマーシーは小柄で、もともとは普通にいいヤツだったと思います。でも、20代の体育教師というのは、生徒指導という損な役回りを引き受けざるを得ないのです。

あまりの体罰のひどさに1年5組の生徒たちは、校長室に直訴に行ったと聞きました。僕らなんでこんなに殴られなきゃならんのかと。校長先生はさも中立を装って「よしよし」と仲裁したそうですが、その指導方針を決めているのは校長本人であるはずです。

もしかしたら、一番やりきれなかったのはマーシー本人だったのかもしれません。校長の方針でビンタ役をやらされ、生徒に直訴されれば、当の校長は生徒の側に立つ。

でも、そんなマーシーの天下は長くは続きませんでした。2年生になって、マーシーは確か7組の担任になりました。その7組の学級委員になった秀才優男風のI君はその責任の重さを気に病んでしまいました。

その頃から、学年の間で「マーシー、いつかやってやるぜ!」という雰囲気が形成されていきました。

3年生になり、みんな体も大きくなり、ヤンキー化した同級生たちはマーシーを的にかけるようになりました。はじめは言葉によるおちょくりから始まり、腕をつかむ、胸ぐらをつかむという風にだんだんエスカレートしていきます。

ある日、ヤンキーグループはマーシーを捕獲しこう詰め寄りました。

「今まで、俺らのこと殴ってきただろが、謝れや。」

完全にビビりまくったマーシーはこの場で決して言ってはいけないことを恐怖のあまり口走りました。

「暴力はいかん、話し合おう。話せばわかる。な、話し合おう。」

これはいけません。ヤンキーグループじゃなくても、これは腹が立ちます。その様子はかなり多くの生徒が見ていましたが、みんな、その瞬間、「あ、マーシー終わったな。」と思ったことでしょう。

「ああああああああああ!お前が、俺らの話を聞いてくれたことがあっただか!おら!暴力振るっとったのはお前じゃんかよ!このクソタワケが!おりゃー!」

憐れなマーシーはヤンキーグループに完全に叩きのめされました。それを見ていた周りの生徒も誰もマーシーを助けませんでした。それどころか、ざまあみろと言わんばかりにニヤニヤしている生徒もいました。

最終的にヤンキーグループは教員グループに取り囲まれて、タコ殴りにされ、マーシーは救出されてたのですが、まあ、こんなことはちょくちょくありました。

特にオチはないですが、暴力は暴力の応酬しか生まないという良い例かと思います。かといって、自分も含めてあのクソ生意気な中学生をどう動かしていくかについては、やっぱりなかなかむつかしいとは思いますけど。

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