地域の日本語教室だからこそできるオルタナティブな養成をめざして-私はどのような養成を受けてきたのか?(3)―

前号までで自分の養成経験をやや詳しく書いた。今号では、これらの養成経験と直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」との関係、そしてそれを批判している現在の自分は何なんだろうか、ということについて書いてみたい。私自身もまだその確信をまだ非常に屈折した形で保持しているような気がするからである。

なぜこのような強固な刷り込みが行われたというと、早く一人前の日本語教師になりたいと思って勉強している期間中に、そのモデルとなるすばらしい授業を見たということと同時に、身体訓練を伴った厳しいトレーニングを受けたことが原因であったのではないかと思う。

直接法は既習語彙のみを使った教案作成から、レアリアや絵カードの準備、板書計画など膨大な準備が必要となる。そして、授業の時は教案を眺めつつ多くのレアリアやカードを流れるようにさばき、同時に板書も進める。加えて、学習者に目を配れるように教壇周囲の立ち位置まで事前に検討しておく必要がある。

こうなると、授業は一つのショーのようなもので、当時、実習生は模擬授業の前日などには当日使用する教室で役者のようにリハーサルまでして実習に臨んだ。こうなると模擬授業というのは、頭で考えておくものではなく、一種の身体訓練だ。様々な動作が無意識的にできることが熟達の基準となっているようで、担当講師の「だいぶこなれてきましたね」というコメントが最高の誉め言葉だった。

もちろんうまくできなければ厳しい追及があり、その合間に「マジシャン」の授業を見て感動する。この追及と感動、そして自分もあんな教師になりたいという気持ちがどんどん直接法への確信を育てていく。そして、養成講座終わる頃までには揺るぎない確信が完成する。

でもその後、自分は幸運?にも、はじめての教育現場がノンネイティブ教師との分業体制だったこともあって、この確信から一定の距離を置くことができた。そして、大学院でその人の授業に参加することで、直接法は唯一無二の方法ではないことに気づき、日本語教育全体を俯瞰的に眺める機会を持つことができた。

次に赴任したフィリピンの高校は、日常生活でも4言語、5言語が飛び交っていて、直接法がどうのこうのという議論が成り立たないほどの豊穣なる複数言語環境だった。加えて、そこでは日本語教育よりも言語教育と格差/貧困との密接な関係、そういう世界の成り立ちの根源は何かという問いに引き込まれ、今は日本語教育から少し離れて多文化共生を推進する機関で働いている。

話が逸れたが、タイにいたときも大学院の時にも「(修正不可能な)揺るぎない確信」を刷り込まれ人に数多く会った。今でも出会う。でも、それは個人における良心の自由であって、よそ様のやることにとやかく言うつもりは基本的にはない(これだけ言っておきながらも本当にそう思う)。

しかし、少なくとも、教師養成において初級には直接法が最上の方法であるという(明示的、暗示的な)刷り込みだけは避けるべきだと思う。直接法はそれが有効に機能する社会的な文脈と、そこに適応した教育観のもとに行われ、それに沿った「学習成果」を出すために行われる。いつでも、どこでも、誰に対しても「学習成果」をあげられる方法ではないということについての気づきを促すような説明があってもよいと思う。

それでも直接法の身体訓練を伴う養成は、強固な確信を植え付ける。私だって、いまだにきちんと直接法ができるようになりたいという未完の欲求をどこかで持ち続けている。さらに、直接法で教えられる教師がそれ以外の方法について語ることには納得できるが、直接法の養成を受けたことがない人に直接法のことをとやかく言われると、まずはできるようになってから言ってほしいというような奇怪な矛盾を抱えている。その矛盾の根源は、頭では離れたつもりでいる直接法の呪縛から身体動作までは逃れられていないことにあるような気がしている。

では、どうしたらその呪縛から逃れることができるかというと、これまで述べた自分の経験から考えると、そのための方法は二つあると思う。ひとつめは、直接法以外の良い実践をたくさん見て「この方法でも結構できるな」という実感を持つことだと思う。良質な試みは既に複数ある。問題はそれを見て受け入れる心理的・身体的な準備ができているかどうかだ。

ふたつめは、その方法を自分の身体を動かしてやってみて「できた」という経験を体に刻みつけ、少しずつ自分の確信を更新していくことではないかと思う。身体を基盤とする確信は、やはり別の身体経験を伴った確信でしか変えていくことができないだろう。

今の職場でも定期的にボランティア養成講座を企画し、実施している。だから、末席ながらも養成に携わる側の人間としては、直接法だけに頼らなくても日本語は教えられるし、媒介語を使っても日本語学習には負の影響がないということについての確信を、身体的な経験を基に形成できるようなプログラムを整備する必要があると感じている。ただ、具体的な内容については、試行錯誤の最中である。地域の日本語教室だからこそできるオルタナティブな養成をめざして、これからも知恵を絞り身体を動かしていきたい。

20年前は謎の用語であった「日本語コミュニケーター」ということばは、長い放浪と遍歴の末、ボランティア養成の当事者となった今、ようやく具体的な像を結びつつある。これは、日本語教師としての自分を支えるまた別の「揺るぎない確信」のひとつである。結局、同じところに戻ってきているようでもあるけれど。

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