13歳の時に自費出版商法に引っかかりそうになった話
これは2007年の話。私の住む東北地方の超田舎はパソコンのある家なんて半分くらいだったと思う。
ガラケーの定額プランも高いので契約している人は少なく、ネットはネットカフェで見るのが当たり前だったので、情報収集は本やテレビが主流。ネットカフェもフリータイムなんてないので、残り時間を気にしながらひたすら読むだけなのであまりじっくりと観れる環境ではなかったし、田舎の寂れたネットカフェのパソコンは画像が表示されるのに30秒くらいかかるので、サイトを見るのはちょっと大変だった。
とにかく当時は本が主役だった。ファッションも音楽も漫画も、そして小説も。
東北の田舎で東京のことを知るには実質的には本しかなかった。
だから、子供の頃から読書が好きだった。
そして私は中学生になってから小説家を目指すようになった。様々な新人賞に投稿するも全て予選落ち。だけども、とある新聞広告が目に止まった。
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のようなことが書いてあったような気がする。
他の新人賞にあるような細かい募集要項はなかったので、他の新人賞に投稿するにはページ数が少ない短編作品を送ってみた。
今までどの賞に投稿しても連絡すら来ないのは慣れているので、今回もとりあえず送ったということだけで満足した。
しかし、二週間ほど経った頃に連絡が来たのである。
「ハナ。お昼にB社っていう東京の出版社から電話があったよ。」
学校から帰ってきた私が突然母から言われた。
東京の出版社から電話が来るなんて本当に夢のようだったので、私はすぐさまB社の出版プロデューサーSさんに電話をした。
「もしもし。宮城県の宮城ハナです。Sさんは居ますか?」
ドキドキしながら電話をした13歳の私からの電話に出た女性はとても親切に
「少々お待ちください。」と言ってくれた。
「はい。電話代わりました。出版プロデューサーのSと言います。ハナちゃんの作品を見たのですが、本当に社内でも評判がいいんですよ。」
どのように良かったのかは言ってくれなかった。
けれども、また作品を送って欲しいとのことだった。
「もしも書籍化するとしたら最低でも100ページは要るので、今回ハナちゃんが送ってくれた原稿だと、あと70ページくらいは欲しいですね。もちろんそれ以上でもいいですよ。」
そのあと、私は残りの70ページを制作することとなった。
けれども、1日に1ページかければいい方の私は、30ページの短編作品でも一か月はかかることになる。だから、70ページ以上となったら2〜3か月の制作期間が要る。
一か月ほど経って一作の短編作品が出来上がったけれど40ページの作品なので、最低でもあと30ページは必要になる。
ちょうど40ページの短編作品を書き上げたばかりの頃。
前回の電話から一か月ほど経った頃に出版プロデューサーのSさんから再び電話が来た。
「ハナちゃん。作品の進行はどうですか?」
「あの、40ページの作品は出来上がったばかりなのですが、あとの30ページの作品のアイデアが出てこなくて困っているところです。」
「以前送ってくれた作品が社内の審査に通過したので、他の作品が完成したらすぐにでも出版できますよ。それにちょうど春休みですから、東京に来てみませんか?」
「だけど、そんなお金ありません。東京なんて行った事ないですし。」
「交通費はもちろん、こちらが全額出しますよ。13歳のあなただけだと大変でしょうから、保護者の方と一緒に来てくださいね。」
その頃ちょうど家に出版社からの書類が届いていて、出版に関する案内のパンフレットや出版社までの交通手段が詳しく載っていた。
春休みに東京にって作家になれるなんて考えただけで舞い上がっていた。
けれども、
出版に関する見積書というものが入っていた。
なんとその額180万円。
500部を印刷して、印刷費の他に書店やアマゾンなどで流通させるためのバーコード取得費用やら、B社が書店に営業活動をするための費用や、遂行のための費用などを合計で180万円となるらしい。
とてもじゃないけれど我が家には払える額ではなかった。
「だいたい、素人の中学生の落書きが簡単に通過すると思ってる時点で変だと思わないか?」
父の発言はごもっともだ。けれど当時の私は本気で頭にきた。
「落書きだなんて酷い! 一生懸命書いたのに。父さんなんて嫌い!」
「だって、売れなくても180万円取られるんだろう。売れますって断言するなら出版社が180万円を肩代わりすればいいだけだろうが!」
「ねえ貴方ちょっといいすぎじゃあないの? ハナだって一生懸命書いたんだから、そんな言い方しなくてもいいじゃないの。」
「だけどハナ、ごめんね。この家買ったばかりでまだローンも残ってるから180万円なんて払えないの。だから今回は諦めてちょうだい。」
現実はとても厳しかった。
父と喧嘩している最中にB社から電話がきた。
そして、出版の話は断った。
「180万円なんてわたしの家にはありません。だからこの話はなかったことにしてください。」
夢のような2か月間だった。
東京の出版社に原稿を送って、連絡が来て「原稿を待ってます」と電話をくれるなんて、まるで本当の小説家になったかのような気分になった。
「13歳の現役中学生作家」とチヤホヤされる妄想もあっという間に崩れていった。
そして、また普段通りの日常に戻った。
4月になり、私は二年生に進級した。
一生懸命書いた作品を世に出せないことはとても悔しかった。
PCとネットがあればHPで作品を配信できるのに手元にそんなものはないから、原稿用紙やノートに手書きするしか方法はなかった。
「ハナ、まだそんなのやってんのか。原稿用紙に手書きじゃあ疲れるからこれをやるよ。」
大きなパソコンのような機械だったが、パソコンではなくてワープロ。
やっぱり父は父だった。
けれども十年前のワープロとはいえ、手書きよりは遙かに楽だし、活字になって出てくるので本物の小説のようなものが出来上がってきた。
それをコンビニで印刷して、小冊子のようなものを作り溜めては公民館のイベントで売るということで作家ごっこのようなことにのめり込んでいた。
そして、B社ではない大手出版社の新人賞に応募をしては落選をして、でも書き続けて、いつの間にかB社のことは忘れていた。
その年の秋に別の自費出版社であるS社が突然倒産した。
著者から印刷などにかかるお金を徴収して本ができないまま突然倒産したらしい。
倒産したS社も私が原稿を送ったB社とおなじ、いわゆる「共同出版」というビジネスモデルだ。
共同出版をわかりやすく説明すると、著者が書きたいものを自由に書いていい代わりに著者が出版費用を全額負担するというシステムだ。
売れたら確かに印税収入は入るけれども売れなくても出版費用はすでに払っているので、出版社は潰れない。
もっと言えば、お客さんは読者ではなくて、著者という世界だ。
S社の倒産後、なぜかB社から連絡がきた。電話が母が出た。
「20万円で出版しませんか?」
とのことで、母はB社に頼んで見積書を送ってもらった。
「20万円なら母さんのヘソクリから出せるからやってみようか?」
と母は私の夢を応援してくれた。
けれども見積書を確認したら、流通なしで印刷のみなので、これならばパンフレットや同人誌などを印刷している地元の印刷会社に依頼した方がもっと安くできる。
っていうか、製本がショボくていいならばワープロで原稿を作ってコンビニで印刷すれば本のようなものは十分に作れる。
「母さん、私、お金払って出版なんかしないよ。絶対に新人賞とって作家になる!」
あれから十年。
私はもうすでに小説家への夢は諦めました。そして全く無関係な職についています。
高校生くらいになってから別の分野に興味を持ち始めたということや自分の文章力に限界を感じ始めたからです。
ちなみに、東北地方の田舎は未だにパソコンの所有率は低いですが、なぜかスマホとタブレットの普及率はわりかし高めなので、中高生時代に通った思い出のネットカフェは潰れてました。
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