第4話 最初の月末「社長、1,000万円足りません」

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結果としては、当初予定に入れていなかった閉店店舗の敷金の戻りが突然200万円ほど入金されてきたのと、いくつかの大型店の売り上げが想定よりも高かったこともあり、なんとかギリギリで最初の月末を乗り越えることができた。

僕は、どうにか1回目の資金ショートが回避できたという事実に胸をなでおろし、安堵しつつも、僕の普通預金よりも少ない残高と、これから待ち受ける長いイバラの道を暗示するかのような赤色の数字しか並んでいないオンデーズの資金繰り表を見ながら、頭を抱え、なかなか寝付けないでいた。(もう会社に行きたくないな・・。このまま朝にならなければ良いのに・・)そんな風に考えてるうちに、やがて空が白み始め、鳥の陽気な鳴き声が聞こえてくる。こうして僕は最初の月末の朝を迎えた。

嵐のような最初の1ヶ月が過ぎた後の最初の幹部会議。議題のほとんどは「今月末の資金繰りをどうするか?」に終始していた。

「今のうちの経理は、こんな敷金の戻り予定すら把握できていないのが現状です。」

「今月末は、少なく見積もっても2,000万、売り上げによっては5,000万近く足りなくなる可能性があります・・。」

「支払いを遅らせても経営に影響の無さそうな先には、再度お願いに行きましょう!誠心誠意、事情を話せば支援してもらえるかもしれない。」

「売上をとにかく上げないと話になりません。セールでもなんでもして短期的に売上を上げましょう!」

いくらこの状況を嘆いて、責任を擦りつけ合い、愚痴をこぼしたとしても、事態は変わらないということは会議に参加している管理職の全員がわかり始めていた。とにかく行動を起こして、翌月以降の資金繰りに、頭を切り替えて備えていかなければならないのだ。

うかうかしてると、すぐに次の月末がまたやってくる。中途半端は危機は組織をバラバラにさせるが、今すぐにでも奈落の底に落ちそうなギリギリの崖っぷちまで追い込まれると、生存本能が働いて、意外とすんなりと一致団結できるものなのかもしれない。最初はバラバラだった本社の管理職達も1ヶ月を終える頃には、一応のまとまりを見せ始めていた。

そしてこの会議の終盤、奥野さんが意を決したように発言した。

「皆さんよく聞いてください。オンデーズの決算月は2月です。この場合、銀行に決算書を提出するのは4月下旬から5月になります。銀行は新しい決算書に基づき、6月末を提出期限として融資先の自己査定と格付作業を行ないます。オンデーズは、今この時点で2期連続の赤字が確定しているため、最新の決算を提出した6月以降には、ほとんどの取引銀行がオンデーズを"要注意先"もしくはそれ以下に格下げするでしょう。

もし自分が融資担当者であれば、実態の債務超過を見抜いて"破綻懸念先"に区分するかもしれません。そうなると新規の借入には一切応じてもらえなくなります。そうなった場合に備えて、"正常先"の旧格付で融資の検討を行うであろうこの2、3ヶ月の間にいくら借りておけるかが勝負です。」

僕は銀行融資の詳しい仕組みはよく分からないし、下手に銀行交渉に口を挟むのも更に現場を混乱させるだけなので、ここはもう奥野さんに任せるしかなかった。

「了解。銀行に関しては奥野さんに全部任せますよ。とりあえず働く従業員の人たちの給与だけは確実に遅延しないで支払えるようにしといてください。そこさえなんとかなっていれば、後の売上は俺がなんとかします。」

奥野さんは、やるせない表情をしながら、しかし覚悟を決めたような表情で答えた。

「わかりました。私は銀行で”融資案件製造機"って呼ばれてましたから(笑)稟議に必要なデータや説明の仕方は熟知しています。銀行の担当者が、容易に起稟できてそのまま審査部に持って行けるような資料を作り込んで提出していきます。ただし最初に断っておきますが、自分は嘘が嫌いです。粉飾は絶対にしません。バランスシートの中にある、不明瞭な資産勘定や在庫について質問されたら、全てを正直に答えるつもりです。最初の創業者が残していった不明瞭な取引の膿みも、今判明しつつあるだけで相当出てきています。これも時機が来たら全て解明してオープンにしていくつもりです。」

そして、奥野さんは詳細な資料を作り上げ、宣言通りに融資を引き出していった。この期間で11ある取引銀行は各行、僕の新生オンデーズに対するスタンスを明確にし始めていたが、その対応にはかなりの温度差があった。

借入残高が上位にあったMU銀行とHA銀行は、僕の事業計画と奥野さんの資金繰り表の内容に、一定の理解を示してくれ、RBSと回った引継挨拶以降も支店長や副支店長が、僕との面談にできる限りの時間を割いてくれ、担当者の方も力強く応援してくれた。

その結果

4月 MU銀行から1億円

5月 MU銀行から6,000万円、HA銀行から1億円

6月 MU銀行から5,000万円

の融資をなんとか引き出すことに成功した。

これでなんとかその場凌ぎではあるが、地獄のような資金繰りは一旦、落ち着いた。

しかし、これらの新規借入には全て、僕個人の連帯保証を求められた。奥野さんは念のため事前に僕の覚悟を尋ねてきたが、僕は躊躇することなく銀行の求めに応じてサインをし、印鑑を押していった。

他行が及び腰になっている状況で、MU銀行とHA銀行は親身になって頑張ってくれたので、その恩に報いたいというのもあったし、決算の見込も芳しくなく“新しい社長は個人保証を入れた上で本気で再生に取り組む覚悟がある”という明確な意思がきちんと伝わらなければ、まずあのタイミングでの融資実行は成立しなかったと思う。

『借入残高14億円、無担保・無保証。実態は営業赤字、債務超過。』

当時も、買収した後も、かなり最近まで、多くの人から「何で民事再生を申請しないのか?馬鹿じゃないのか?」と言われ続けた。

しかし結局僕たちは、最後までその道を選択しなかった。決して無知だった訳ではない。むしろ奥野さんは、前職でそういう法的整理やDPO(Discount Pay Off)を専門に扱っていたエキスパートですらある。やろうと思えばいくらでもやるタイミングはあった。

民事再生を申請しなかった理由は、銀行出身者の多いRBSとの買収交渉の中で「債務カット等、銀行に迷惑をかけるようなことをしない」という約束を交わしていて、RBSの澁谷社長も、その約束を信じて、資金も実績も何もない僕にオンデーズを託してくれたという経緯があった。もちろんその約束に法的な拘束力は無いのだが、仁義を破ることに対して僕が強く精神的に縛られていたというのが大きな理由だ。

さらにもう一つ。僕たちが「画期的な再生ストーリーを実現させる!」と無邪気に理想に燃えていたのも事実だ。

いずれにせよ、自分がオンデーズの再生に人生を賭けていることを示す覚悟を込めて、僕は軽々しく民事再生という手段を選べなくなるリスクを受け入れながら、連帯保証人になる条件を受け入れた。

2008年 6月初旬

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