兄貴の背中
温かいリレー
結婚をして、子供を授かることで
髭面、ロン毛の汚い青年もようやく正社員で働きました。
選んだ業界は不動産。
実は私。父親が不動産業で自分を育て上げてくたのです。
やりたいこと云々よりも定職、と探す中でかなり安易に「父親に出来たのなら自分にも適正があるかも。」
と冗談みたいですが本当の話です 笑
もう少し詳しくお話しをすると
不動産売買の仲介営業。

土地でもマンションでも戸建でも、「売主」さんと「買主」さんの契約を仲介することで手数料を頂くのが
商売です。
さて、安易に飛び込んだ「パパ」も「不動産」も新米な私。当たり前ですが苦労しました。
先ず物件を覚えたり、チラシを撒いたり・作ったり、契約に絡めての融資(ローン関係)の数値面も習得する。等々。。
販売員の経験が多かったからか
「買主」さんに物件を購入してもらうことはある程度出来て来ました。
問題は「売主」さんに物件の売り出しを任せて頂き、値段設定等でも信頼をいただくこと。こちらが非常に苦労しました。
単純な世帯であれば、「買主」の決定権は一般的に「奥様」
「売主」の決定権は「旦那様」なのです。
ヘラヘラ見えるようで私は苦労しました。。
更に、この仲介業ではこの「売主」獲得が最も「安定した実績」に繋がるのです。
何故なら、極論を言えば「売主」さんに任せていただいていれば「別会社の仲介営業が連れて来た買主」が契約をしに来ても仲介手数料は発生しますし、「買主」として業者さんを紹介出来れば、手数料は二方分(業界では「両手」と言います。)発生。業者が新築で販売した時にも任せて貰えば両手が倍です。これは固い商売ですよね。
ちなみに職場は店長(昔の典型オジサン)とアシスタントさん一名(可愛らしい方)。係長2名(リヴァイ兵長と和製ジェイソンステイサム)に主任1名(一人ココリコ)に私と言う店舗でした。
本当に沢山のことを学ばせて頂きましたが、最初は四苦八苦でした。
特に、最初は先輩の接客を同行で見るのが手っ取り早いのですが、これがたらい回し。
店長は基本業者との仕事なので新人がいきなり見ても意味がないとのことで「売れている先輩に同行しろ」と来ますがいざ係長の先輩に聞いても「暇な店長に頼め」と相手にして貰えません。
ぶっちゃけ最初は皆さんをあまり好きになれませんでした。
でも、腐っていても状況は変わりません。やれることをやろうと切り替えてチラシを配る回数を増やして、物件情報もある程度整理し、チラシの内容も手を加え、やれないなりにも「やれること」をやっている中で少しずつ皆さんとの相互理解も進んだような気がします。
気付けば会社に楽しくて行っている自分がいました。
ただ、実は「仕事が面白い」と言うよりも、
打ち解けてみれば、この職場のメンバーがとても楽しい人たちばかりだったのです!
本当に毎日面白いエピソードが増えていくような印象でした。笑
(南米っぽいと言う理由で私のあだ名は「カルロス」になってしまいましたし 笑)
真面目なところでは「事務所の誰かの電話や会話は聞いていないようで確り聞いておけ」は今でも重宝しているスキルですし、また唯一、皆さんに異口同音に褒めてもらった「売主検討中の問い合わせへの返答メール内容」で文章力に自信が付いたりもしました。
さてここまで結構順調に見えていましたが、ここでやって来るのです1回目の壁が

新入社員であっても一年間で一定の売り上げノルマが課せられています。
前半半年は慣れるのに必死。
後半半年でようやく買主との契約を仲介出来ても「安定した実績」にはほど遠い私。
がむしゃらですが、お客様もいる話。気合いだけでは何ともなりません。
期日も迫るなか、土日の夕方。店の電話が鳴ります。
JS(ジェイソンステイサム)係長の先輩が電話を取って見ると、その先輩の物件での問い合わせのようでした。
早々に見たいとの話でした。
そこで

これ僕の物件問い合わせでしたけど、これからコイツ(私)も連れて行って、成約したらコイツの実績で良いですか?


そして厚く御礼しながらも、急ぎの話。直ぐに車を出そうと駐車場へ。
一緒に着くと

俺が裏道で速攻行くぞ。

こう来ました。
格好良すぎでしょう
しかし私が一生忘れられないのは、、
この後最大限の急ぎで運転していただいている中、一本道の前方を「パスコ」のトラックが走行中、そこで

と本当にイライラしたように放った先輩の一言でした。
(いや、これだけ書いてしまってから誠に申し訳無いですが、当然パスコさんは何も悪くありません 笑)
この案内は既に決まろうが決まるまいが、先輩の実績には関係無くなってしまっています。
助手席に座っている私はただただ感謝のみでした。何故か言葉が出なかったですね。。。

結果、この案内自体は成約に至りませんでしたが、私には先輩の温かい気持ちが何よりも有り難かったのです。
その時私は
「頂いたこの 温かい気持ち は絶対に誰かにリレーとして渡さなければ」
と刻み、事実今でもその思いは色褪せずに有ります。
その壁は乗り越えたものの、色々なこともあり私は転職をし、今はその店も会社の都合で閉店し、有りません。
でも
くだらない、本当にくだらない(笑)笑い話に溢れたあの日々と温かいバトンを忘れることは無いと思います。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

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