子どもの日本語上達のために私がやったこと まとめ

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「ちはやふる」を見たあと、百人一首を並べてかるたごっこをしている子どもたちに、どーせ和歌なんて意味分かんないだろうし、そもそも上の句と下の句の違いわかるの?などと言っていたら、どうなっていたでしょうか。(今ではひらがなが読めないフランス人にも競技かるたの楽しさを伝えて一緒に遊んでいる。)



ネガティブな反応を見せずによかったと、心底思っています。



「子どもは親の願っているとおりにはならないが、親の思っているとおりになる」

「どうすれば子どもの日本語がアップするか?」という質問を受けたら、私は正直に答えます。


「やりたいことを自由にやらせていた。動画を夜中まで見てても何も言わなかった。ほぼ放ったらかしだった。」



やった本人が正直に答えているのに、9割ほどの方が否定されます。


「いやいや、そうは言っても何か特別なことをしていたんでしょ?」

「もともと素質があったんでしょ?」

「勝手にやらせたらうちの子なんてどうなるか、、、。」


そして続きます。


私と旦那の子どもなんだから、どうせこの程度。

ネットやゲームは教育上あまり良くない。

動画の見過ぎも良くない。

漢字なんてうちの子にはまだ早すぎる。

かるたや囲碁が主題のマンガ本なんて、難しすぎて到底だめ。

フランスで生活をしているんだから、まずフランスでの勉強をちゃんとしてからじゃないと。日本語は二の次。


こんなことを耳にすると、ちょっと残念になります。


子どもは親の「願っているとおり」にはならないけれど、親の「思っているとおり」になります。



子どもは親が考えている以上に素晴らしい才能を持っています。

親が信じられない方法を見つけ出してきます。




「楽しい!」と思うことによって次の「楽しい!」を引き寄せ、さらに次の「楽しい!」につながっていく。


それがどうなるのかなんて、やっている本人ですら想像できないこと。可能性は無限大です。




親の私が思いつくことと言えば、過去の経験に基づいた無難なアドバイスばかり。


世間一般の人と足並み揃えるようなことばかり。


子どもよりちょっと長く生きている私が導いてあげられるものでもないですよね。





私は家庭内での日本語のお勉強を手放すことによって、全てを受け入れる覚悟ができました。


「日本語の勉強は今後ゼロ」というのが最低ラインとなったので、少しでも日本語に触れてくれただけでラッキーと思っていました。なので、子どもたちが何か話してくる度に

「おお、すごいじゃん!」


何をやっても

「すごいじゃん!」


全てがOkなのですから、試験直前に動画を見まくっていても

「楽しそうやね~」

となるわけです。




ちょっと話がそれるかもしれませんが、、、。
夏休みの宿題を最後までやらない子供というのは、それをどうやって仕上げるかを夏休みの間ずーっと無意識に考え続けている。だから遊び呆けていて表面上は宿題が進んでいなくても、勉強していなかったとは言い切れない。


私はこの考え方が大好きなのですが、テスト前に動画を見続けている我が子にも当てはめてみていました。「このあとどう勉強しようか」とちゃんと水面下で段取りをしているんですね〜。


勉強時間が足りないな~。

わからないところがたくさんあるな~。


と思っている場合は、親が何も言わなくても自主的に勉強優先していました。

勉強の目処がついたら、動画を見て楽しむ。


そして楽しい気分のまま最後の復習をする。


すごい集中力で勉強しているから、成績も意外とよかったりする。



とことん信用してあげる


子どもたちの日本語人生は、子どもたちのもの。


私にできることは、何を選んでもどんな道を進んでも絶対大丈夫なんだと信用してあげること。




信用するということは、不安に思わないこと。


不安に思わないということは、安心しきっていること。


安心しきっているということは、そのことは全く考える必要がないということ。


全く考えていないというのは、気にもかけていないということ。


傍から見たら放ったらかしですね。(汗)




ですが私はこれからもこのスタンスを変えずに信用して見守っていきたいと思っています。




私の放ったらかしの日本語教育記、

お読みいただきありがとうございました。

感謝いたします。m(_ _)m

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