年上の妹

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 小さなお婆さんだ。中腰でマツウメさんを見つめる。
「今日ね、学校で『ソカイします』って言われたの」
「そう……行き先は?」
「トチギ」
「遠いね」
「うん」
 『幹部』が間に割って入ってきた。我々に、目で「外へ出ろ」と伝えてくる。
「マっちゃん、お姉ちゃん、そろそろお店のお手伝いに戻らないといけないみたいだよ」
「そっか。お姉ちゃん、またね。おじちゃんも行くの?」
「うん、お姉ちゃんを送ってくるよ。マっちゃん、ここで待っててくれる?」
「分かった」
 ソロソロと、部屋を後にした。

「肝が据わってるね」
 『幹部』が少し呆れたように言った。
「アドリブ凄かった」
 これは班員の談。だが『幹部』はまたも首を振った。
「一人を短時間だけ相手取ったから出来たことだ。あれを全員にやるとなると、話は別だ」
 サービス業の辛いところだな、と溜息一つの『幹部』。
「一人にやったら、皆へ。皆にやれないなら、一人にやらないこと。あれを全員にやったら、恐らく君は、持って五日だ。」
 一ヶ月ですらない。でも、と私は小生意気にも食い下がった。
「宮野さん(『幹部』の名前)は、『おじちゃん』って」
「俺はただの『おじちゃん』だ。近所に住んでるというだけのな。君が今やったのは『家族』だ。それに死ぬまで付き合うのは、俺は御免だね」
 介護職をやる上で、一番やってはいけないことがあるという。それが、『家族という思い込みに付き合うこと』だそうだ。
「俺は、『やだなあ、忘れちゃったの? お姉ちゃんの同級生だよ。お姉ちゃんは今どこ?』とか言って避ける。どこかで『設定』が崩壊するからな。家族が赤の他人にされるのと、赤の他人が家族にされるのとじゃあ、俺は前者の方がマシだと思ってるよ」
 そういうものなのか……と班員同士で、分かったような分からないような頭で頷き合った。

 待機室にぞろぞろ戻っていくと、初日で案内してくれた職員がいた。どうやら我々を呼びに来たらしいが、いなかったから待っていたらしい。驚いたように立ち上がり、
「宮野さん? 一緒だったんですか。どこ行ってたんです」
 と追及した。『幹部』・宮野さんは、全く悪びれずに言い放った。
「マツウメさんのところ」
「え……会わせたんですか?」
「当たり前だ。しかるべき教育だろ」
「やめて下さい。このくらいの子達と見るや、すぐ兄姉に結びつけるって、分かってるでしょう」
 ああ、面倒ってこういうことか。それとさっきから呼んでる『あいつら』というのは、職員のことだったのね。
 そんなことをガキが考えている前で、宮野さんと初日案内職員とで口論が行われていた。
「そうやって隠すから、いざそういう入所者に当たった時に対処が分からなくてストレスになるんだろうが。十代から教えとけば、心構えもできるってもんだ」
「私達は預かってるだけですよ、何が教育ですか」
「何のために多感な子どもに現場を見せている。綺麗事じゃ済まないのは、我々が一番分かってるだろ」
「だからって学校行事の一環で来てる子に、そんなシビアな部分を見せなくても」
「なら何を見せるんだ? レベル3以上の食事担当の側にも置かない癖に、他にどんな『綺麗な』ヨゴレ部分があるのか教えてくれ」
 横で聞きながら、我々ガキ共は戦々恐々としていた。
 『幹部』は、その心意気も幹部だった。折角来たならと、本当にキツい部分まで見せようとしてくれる。実際我々としても『別にキツくないからもっと見せてくれ』などと思っていたところだったし、ありがたいことだ。教育者である。
 しかし他の職員は、まだ子どもの我々にいきなり現実を見せつけるのはどうなんだという考えのようだ。確かにこのやり方では、最初から志望すらしない人が増えてもおかしくない。ただでさえ介護職は、半端ない売り手市場状態だというのに。
「俺は残りの数日、この子達にもっとえげつないものを見せるぞ」
「学校から文句が来ますよ」
「聞くに値しない、流しておけ」
 後で分かったことだが、この『幹部』、勤続30年で施設長の補佐も務める、現場のトップだった。……30年で、どれだけの人を迎え、どれだけの人を見送ったのか。どれだけ労苦を味わい、それでもやめなかった理由は何か。当時の我々に、それは分からなかった。
 『幹部』がふと、こちらを見やった。
「で、この子達に用があるんじゃないのか」
 そして、一方的に口論を終わらせる。職員はまだ何か言いたそうだったが、諦めた様子でこう続けた。
「今日は施設長がこの子達と直接話したいらしいから、呼びに来たの。お茶とお菓子あるからね」
 我々は特に何も発言しないまま、職員に連れられてお茶を頂きに行くことになった。そっと振り向くと、『幹部』は黙って佇んでいた。
 結局、この日は『幹部』とこれ以上話せなかった。

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 五日目、朝の挨拶を終えて昼食配膳まで少し手空きになった我々に、『幹部』がこっそりと会いに来た。職員が誰もついていない隙を狙ったと言っていた(他の職員に何を言われたんだ)。そしてマツウメさんについて教えてくれた。

 御年七十歳。学童疎開を小学校に入ったばかりの年齢で経験した。八歳年上の姉と七歳年上の兄がいて、姉は近所のお針子さんを、兄は家業を手伝っていた。
 奇跡的に家族全員が戦争を生き抜き、時代は流れ流れて平成となった。
 最初に彼女の異変に気がついたのは、姉だった。久しぶりに会いに来たところ、既に亡くなっているはずの両親を求めて泣いたのだ。当時まだ五十代である。姉は彼女の夫と相談し、病院に連れて行くことにした。
 診断は、若年性アルツハイマー。
「まだ初期なので、進行を遅らせる方法を実践しましょう」
 医師の言葉は残酷だった。
 抵抗虚しく、症状はどんどん進行した。ここに入所した五年前の段階で、夫を『気の良い親方』、姉を『お隣のお婆さん』、兄を『お巡りさん』と認識していた。そして自分は『六歳の子ども』だというのだ。
 自分が六歳なのだから、お父さんもお母さんもいるし、姉は十四歳、兄は十三歳のはずだ――。

「だから、君達を見るとマツウメさんは思い込むんだ。『お姉ちゃん達だ』と」
 介護どころか認知症にも面したことのないガキ共にとって、衝撃だった。自分の年齢を忘れ、子ども返りし、目に映るモノをその解釈だけで思い込む。
 申し訳ないが、それを聞く前に感じたのは、『こんな高齢者が子どもの振る舞いをしていて怖い、気持ち悪い』だった。そして聞いた後は、『どうしてそんなことになってしまうのか』だった。
「知らないからね、不気味にそう思うのは当然だ。だが、もう今からはそんな失礼なことは言えないだろう?」
 『幹部』は粛々と述べた。
「アルツハイマー、認知症、痴呆。いろいろ言い方はあるが、原因もあまりはっきりしていない。年食うと可能性は高まるが、だからって皆確実になるわけでもない。脳みその隙間が増えてることは事実だそうだが、俺は医学のことは分からん」
 君らも無関係じゃないんだよ、と『幹部』は続ける。
「爺さん婆さんの病気ではない。四十代で発症することもある。君らの親御さんが、明日発症する可能性もあるんだ。その時に、どう付き合っていくか。それを知って欲しかった。ある日、『うちの子がこんなデカいわけないだろ、まだ生後半年だ』とか言ってきたら、君らはどうする?」
 ――未だに私は、答えを上手く言葉にできない。

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 四日目に引き合わされてからというもの、挨拶の時間になると、マツウメさんは起きているようになった。
「お姉ちゃん、おはよう」
 その都度、そう言ってきた。『幹部』曰く、設定に一度付き合ったから、その路線が固まってしまったのだろうとのこと。そのため、
「この子はお姉ちゃんの同級生だよ?」
 と『幹部』がゆるやかに修正を入れようとしても、
「違うよ、おじちゃん。お姉ちゃんだもん」
 真っ向から否定されてしまう。
 廊下を歩きながら、『幹部』は呟いた。
「……さて、最終日をどうやって切り抜けるかな……」

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 七日目、つまり最終日になった。
 職員の皆さん及びレベル1と2の方がお別れ会を開いてくれた。
「孫は遠くに住んでるから、盆と正月くらいしか会えないんだ。君達が来てくれて、この一週間、楽しかったよ」
 そんな温まるスピーチをしてくれたレベル1の方がいた。
「またおいでや。高橋さんとお喋りしたいって言えば、ワシんとこに通して貰えるから」
「何言ってるんだ、お前。将棋は」
「ジジイと将棋指すのと、子どもと喋るのじゃあ、どっちがいい」
「わたしゃ子ども」
「ワシも子ども」
「やっぱりお前とは気が合うな」
「後で指すか」
「結局将棋かよ」
 気の抜ける漫才も行われた。

 レベル3以上の方へは、一部屋一部屋訪問し、別れの挨拶を述べた。勿論、マツウメさんにも。
「マっちゃん、この子達もね、疎開するって。福島の方に」
「へ」
 設定に合わせた『幹部』の言葉に、マツウメさんは空気の抜けたような声を出して、その場に立っていた。
 何か言われる前に、我々は部屋を出た。

「ありがとうね、一週間も」
 職員の方が、こちらが恐縮するくらい深々とお辞儀をした。
「いえ、勉強させて頂きました。大変お世話になりました」
 我々も慌てて頭を下げた。
 設定を持つ人や全く動けない人のケアに追われる中、ガキ共を迎え入れた。その手を煩わせた部分が圧倒的に多いだろうに、丁寧に教えてくれた。誰もが向き合うことになるだろう介護、それを一年三百六十五日ずっと代行してくれている職員に、尊敬と感謝が募る。
 一週間前、「介護とかだりー」などとほざいていたのを平手打ちしたい。
「これを模造紙にまとめて、学校で発表するんです。完成したらお見せします」
「それは楽しみ! 掲示板、空けとくね」

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