年上の妹

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 お礼を懇ろに述べ、
「それでは、失礼致します」
 帰宅しようと背を向けた、その瞬間だった。

「お姉ちゃん、行っちゃヤダ!」

 耳をつんざくような大声が、後ろから飛びかかってきた。
 他の生徒はぎょっと振り向いたが、私には分かっていた。
 マツウメさんだ――。

「ヤダよう、トチギ一緒に行くの。何でフクシマなの。お姉ちゃん、行かないでよ!」
 その言葉は、私一人に向けられていた。
 振り向こうとした私を、班員の男子が押さえた。
「このまま無視して帰った方が良いんじゃないか? 設定に付き合うのかよ」
 それもそうだ。だが、
「もうここでお別れなら、それこそ『個人に短時間だけ』付き合う」
 班員の心配を退けて、私は振り向いた。

 マツウメさんは、『幹部』に辛うじて押さえられて、泣いている。
 私は荷物を班員に預かってもらい、彼女に歩み寄った。『幹部』は黙って成り行きを見守っている。
 マツウメさんの目を、中腰になって覗き込む。本当に、純粋に、子どもの目だった。自分を六歳と信じている目だ。真っ直ぐな目線。
「マっちゃん」
 『幹部』に倣って呼びかける。
「私も貴方のことが心配。一緒に行ってあげたいよ。でも、お母さんと話し合って決まったの」
「そーなの?」
「そうだよ。皆でひとかたまりになって同じ場所に行っちゃったら、そこが危なくなった時に家族皆倒れちゃう。だから、私とお兄ちゃんは福島、貴方は栃木、お母さんはおうちに残る。お父さんが帰ってきた時に、誰もいないのは困るからね。これで、どこかが大変なことになっても、他のところにいる人が助けに行かれる。だからね」
 マツウメさんに笑いかけた。
「マっちゃん、お姉ちゃん達が『助けて』って言ったら、お手伝いに来てくれる?」
「うん。分かった」
 涙を拭うマツウメさん。
「言われるまで、待ってる」
 それを聞いて、私は『幹部』・宮野さんを見上げた。
 やはり呆れたような顔だったが、しんみりと頷いてくれた。もう充分だと言うように。
「じゃあね、マっちゃん」
「うん、またね」
 マツウメさんは最後に、私の手を握ってきた。強く一度だけ握り返すと、その手を解いて、私は施設を後にした。

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「江中、お前すげえな」
 帰り道、午後五時過ぎ。班員から賞賛を受けた。
「疎開の事情とかよく知ってんな」
「あれね、全部聞きかじり」
「マジ?」
「それであんなアドリブとか、やべぇ」
「あの人も言ってたけど、江中さんの肝の据わりようが半端ない」
 実に暑い。太陽は傾き始めているのに、コンクリートが昼間に溜めた熱を憂さ晴らしのように放っている。
「ねえ、何書くか決めた? 明日から三日で作るんでしょ」
 班員の一人が早速切り出した。男子が、そりゃもう、と真顔で答える。
「江中とマツウメさんのエピソードがメインだろ」
「どうするのさ」
「思い込みの症状を書くんだよ。こういうことが起きますよって。んで、模範解答として宮野さんのコメント、不適切な対応として江中のアドリブを載せる」
「私のこと、不正解扱いか」
「だってそう言ってたじゃん」
「ちくしょーめ」
 だらだらと歩く。
「じゃあ各自、日誌まとめて持ってくるってことで」
「はいよー」
 そうしてそれぞれの家路に就いた。

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 発表は上手くいった。案の定、「認知症なんて施設の話だろ」と高をくくっている生徒が大半を占めており、そのためマツウメさんのエピソードは強烈だったようだ。
 一番印象に残った発表について感想文を書くという課題で、こんな言葉が寄せられた。
「認知症って、忘れるんじゃなくて『精神だけが若かりし頃へタイムスリップする』って感じなのかなと思いました」
 後日、この感想文と模造紙のコピーを施設に持っていくと、職員がその場で読んで感心してくれた。特に『幹部』は、感想文にしきりに頷いていた。
「タイムスリップか。良いこと言うね」
 それから模範解答・不正解の部分を読むと、
「何だ、俺のことが書いてあるじゃないか」
 と照れていた。
 その日、マツウメさんが現れるかと思ったが、体調が悪くて寝込んでいるそうで、会えなかった。
「会えたら会えたでまずいぞ。疎開して数日で戻ってくるのを、どうやって説明しろと」
 それもそうである。

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 二十歳を過ぎた頃、ライター業に興味を持ち始めたこともあって、取材と称しその施設に行った。施設長に昇進した『幹部』が覚えていた。
「疎開が終わったな」
 流石である。
 介護業の今と人材についてインタビューさせてもらい、それを終えると職業体験の時の思い出話に花を咲かせた。当然、その話になる。
「今日、マツウメさんは」
 そう何気なく聞いた。

 ――『幹部』が、目を伏せた。

「いい子で、待ってましたか」
「ああ」



(終わり)

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