バッドエンドな恋と人生

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こうして福祉専門学校を中退した俺は社畜人生へと突入していくのであった――。
本当の地獄はここからだ。





うつ病発症した俺にできた初めての彼女

福祉専門学校中退後、俺は小売業に約7年半。販売業に約1年。そして途中、工場勤務に約2年程従事した。
主に人と接するような仕事を選んだきっかけは、自身の心の中に"変わりたい"という気持ちがあったからかもしれない。
敢えてそういう場に自身の身を投じ、場数を踏むことにより"吃音"というコンプレックスが生む精神的な面でのマイナスな部分を少しでも軽減できればと、自分なりに考えた末のことだった。
もちろん最初は案の定、緊張もあっていつも以上にどもってしまうことが多かったし、辛くて辞めてしまいたくなる日もあった。出勤前なんかは今でも不安と緊張から何度も吐きそうになる。
それでもこれまで続けてこられたのは"人と話すことの楽しさ"を知ったからだろう。

結局、吃音を一番気にしているのは周りの誰かではなく、自分自身だったのだ。
周りは自分が思っている程気にしてないことが小売業や販売業を通じて分かった。
たとえどもっても聞いてくれる人はちゃんと聞いてくれる。伝えたい、という気持ちさえあれば。
でも、中にはそうじゃない人もいたがそんな人はごく一部で、逆に少なく感じた。
これは俺にとって大きな発見となった。これにより、俺は少しずつではあるが接客に対して、話すということに対して少し前向きになることができた。
これだけでもこの仕事をやってきた価値はあった、と思っている。
途中、工場勤務も約2年程経験してみたが、やはり接客業が忘れられなくて元鞘に収まる形となった。



しかし、光あるところに闇があるように、良いこともあれば当然悪いこともある。それは俺の場合もそうだった。

正社員として内定をいただき、いざ実際に働いてみたらその激務に耐えきれなくなり辞めることもしばしばあった。

・朝4時半に自宅を出て、約1時間かけて会社へ行き6時までに出社。仕事が終わるのが17時~18時。帰りは帰りで帰宅ラッシュにぶつかるため、行きの約倍の時間をかけて帰る。なんてことや
・朝9時前に出社し、昼休憩は毎日10~15分しかとれず、19時くらいにようやく仕事が終わり、そこから約1時間かけて帰る。なんてこと

色々経験した。特に前者に関しては

――このままだと仕事に殺される

と本気で思った。だから、死にたくないから辞めた。毎日のように先輩社員に外まで聞こえるような怒鳴り声で怒られた。あまりの厳しさに周りが心配し、上司が先輩に注意した程だ。
帰り道、車を運転しててあまりの疲れと眠気に蛇行運転してしまい、毎日事故りかけながら帰っていた。帰っても飯食って、風呂入ったらすぐに寝なきゃいけなかった。朝4時前には起きなければ間に合わないからだ。自分の時間なんて皆無だった。寮は存在したが"いっぱいで入れない"とのことで、仕方なく自宅から通勤していた。

この時、俺は仕事に対して、働くということに対して少し恐怖に近いものを感じていた。
今から思えば、これが後々発症する"うつ病"の始まりだったのかもしれない。
しかし、まだ決定打ではなかった。決定打はこの後だった。



別の会社でのことだ。俺は先輩社員からパワハラを受けた。内容の詳細に関しては伏せさせていただくが、前の会社のこともあり、この時俺は精神の限界を迎えた。心の折れる音が聞こえた気がした。

自宅近くの心療内科を受診すると、診断結果は"うつ病"。1ヶ月間の休職を余儀なくされた。
この時が一番症状としては酷かった。毎日死ぬことだけを考えていた。頭の中で何度も何度も自分を殺した。
それでも実際には死ぬ勇気もなく、俺は生きることしかできなかった。
某SNSでこんな言葉を拝見した。

「生きていることと、死んでないことは違う」

この言葉をお借りするなら、俺はまさに"死んでないだけ"だった。
毎日のように不安と劣等感に苛まれ、朝が来るのが怖く感じた。望まずとも当たり前のように太陽は昇り続け、当たり前のように朝は訪れ続けた。その光は俺にとって希望の光なんかでは決してなかった。
この時俺は真っ暗なトンネルの中を1人、灯りもなく歩かされているような、そんな毎日を送っていた。



1ヶ月後。俺は仕事に復帰した。仕事復帰に対して某SNSで知り合った、同じうつ病経験者の中には反対する人もいた。それでも俺は復帰する道を選んだ。今から思えば、もっと長期的に休職した方が良かったのかもしれない、と思うこともある。

復帰後、やはりうつ病は良くならず、結局その会社も退職することとなった。
俺は真っ暗な闇の底へ底へと転げ落ちていった。



退職してしばらく経った、ある日。インターネット上でうつ病の人だけが集まる掲示板サイトを見つけた。
俺はそこでうつ病に悩む1人の女性と知り合った。それがEさんだった。

俺とEさんは最初、メールで交流を深めていった。他愛ない話からうつ病のことまで色々話した。話も大いに盛り上がり、1日に何回もメールでやりとりした。

いつしか声が聞きたい、と思うようになり、メールの次はSkypeを使って通話するようになった。
日に1時間以上通話することもしょっちゅうで、時間は驚くほどあっという間に過ぎていった。

Eさんの声はどこか優しく、それでいて繊細で綺麗な声をしていた。
Eさんは俺がどもっても気にしないでくれた。俺の話もちゃんと最後まで聞いてくれる人だった。
正直、異性とここまで話が合うのは初めての経験だった。
同じうつ病ということもあり、相談もしやすかった。
少しずつ、しかし確実に俺の中でEさんの存在は大きくなっていった。



そんな日がしばらく続いた、ある日。ついにEさんと直接会うことになった。場所は大阪。俺は本格的な大阪観光はこの時が初めてだった。

待ち合わせ場所に行くとEさんが立っていた。Eさんは思いっきり抱き締めたら折れるんじゃないか、と思うほど細く、髪はロングで白のワンピースがよく似合う、綺麗な女性だった。
俺たちは軽く挨拶を済ませた後、昼飯を食べに大阪市街をぶらついた。時計の針は13時半を少し回っていた。

昼飯は大阪でも美味しいと評判のたこ焼き屋さんで食べることになった。カウンターでたこ焼きを2人分購入し、店内で食べることに。
Eさんはとても小食で、たこ焼きだけでお腹いっぱいな様子だった。
たこ焼きを食べ終わったEさんはテーブルの端に置いてあった爪楊枝を取ると手で自身の口を隠し、歯についた青のりを取り始めた。初めて見る光景に俺は思わず二度見した。

――なんて女性らしい仕草なんだ!

心の中で密かにそんなことを思っていた俺はEさんのことが更に可愛く思えた。



昼飯を食べ終わった俺たちは当初の目的地であるUSJへと向かった。俺にとっては初めてのUSJだった。
USJといえば、今だに俺はUSJを"UFJ"と言い間違えてしまう。
「お前それ銀行やんw」
というツッコミをされるのにはもう慣れた。

USJに着いた俺たちは入場券を購入し、早速中へ。
入ってすぐのところでお揃いの帽子も購入し、一緒にプリクラも撮った。まるで中学生のカップル状態だ。

軽くUSJ内を見て回った後、2人で話題のハリーポッターエリアへと向かった。
思ったよりも並ばずに中へ入ることができ、中へ入った後は色々探索して回った。2人でバタービールも飲んだ。思ってた以上に甘かった。けど、美味しかった。

その後、Eさんがどうしても行きたいというホグワーツ城へと向かった。
最初に城の中を探索し、その後、アトラクションに乗ることに。しかし、このアトラクションの人気が凄まじく、想像を絶する長蛇の列ができていた。念のため、近くにいた係員さんに待ち時間を確認すると――
「今からですと3時間半程待っていただくことになりますが……よろしいでしょうか?」
よろしくなかった。
だが、Eさんのいかにも乗りたそうな顔を見ていると
「やっぱりやめよう」
とは、とてもじゃないか言い出せなかった。俺はEさんと2人で列に並んだ。しかし、俺はこの時無理にでも乗るのをやめるべきだった、と今でも後悔している。

俺はEさんと話しながら待ち続けた。けど、Eさんと一緒だったから退屈はしなかった。むしろ、子どものように楽しそうにはしゃぐEさんにこっちまで楽しい気持ちになり、癒された。

どれだけの時間が経っただろうか。ようやく城内へと入ることができた。
ふと壁に1枚の張り紙が貼ってあることに気づいた。それを読んでみると――

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