産後うつのアラサー主婦がビジネスを通して自分らしさを取り戻す話 前編

次話: 産後うつのアラサー主婦がビジネスを通して自分らしさを取り戻す話 後編

ミュージシャンになる夢に挫折し、産後ウツ状態になり、

病気にかかり・・・踏んだり蹴ったりのアラサー主婦。


毎日生きていくのがギリギリな余裕のない状態でした。

「ゆとりのあるライフスタイルを手に入れたい!」

「もっと子供とゆったり過ごす時間が欲しい!」

「好きな時に好きなことがしたい!」


そう思っていました。


そんな私も今は副業や起業したい方に向けて、

ビジネスを教えています。


自分らしく在り、好きなときに好きなことをする自由を

手にすることができています。


「起業して成功できるのは特別な人だけじゃない?」

と考える人もいるかもしれません。


ですが、私は元々何をしても中途半端で

特に目立った才能もなく自分に自信がない人間でした。


全然特別な人間ではありません。


でもこうして理想のライフスタイルを手にすることができました。

だから誰にだって実現できると思っています。


一歩踏み出す勇気と諦めない心、行動することで現実は変えられます。


もしあなたがやりたいことや理想の生活があるなら、

悩んでいるだけではなく、一歩踏み出してみませんか?


【兄弟と比べて自信がなかった幼少時代】

1985年12月、私は静岡県で生まれました。

私の家族は父と母、姉と兄、祖父と祖母の7人家族で暮らしていました。


両親は共働きで忙しく、あまり一緒にいた記憶がないので、

専業主婦のお母さんを持つ友人が羨ましかった記憶があります。

学校から帰るとおじいちゃんとおばあちゃんはいてくれたけど、

お母さんがいなくて「寂しいな」と思っていました。

だから自分は、将来子供が帰ってくるのを家で待つ

お母さんになるんだ!と思っていました。


姉は小さい頃から可愛くて

「お姉ちゃん美人だね。」とよく周りから言われました。


そんな姉を誇りに思うのと同時に、

「なんで私とお姉ちゃんは顔が違うんだろう」と

勝手に比べて勝手に凹んでいました。


兄も成績優秀でテストになると学年で一番をよくとっていました。

そんな二人に比べて私は、何か秀でたものもなく、

ごくごく平凡な女の子でした。


【大切な人がいなくなった日】


小学校4年生の時のことです。

私たちの家族にとって一大事がおきました。


父があまり家に帰ってこなくなったのです。

毎週父が買っているビッグコミックという漫画も

いつのまにか無くなっていました。


だんだん父のものが減っていきます。


小学生ながら、おかしいとは思っていましたが、

事実を知るのが怖くて母に何も聞けませんでした。


ある日洗面所に手を洗いに行くと、お風呂で母が泣いていました。

私は母が泣く姿を初めて見たので、どうしていいのかわかりませんでした。


母は必死に泣いているのを悟られないようにしていたので、

見なかったことにしようと思いました。


それから数日後、母から話があると私たち兄弟は集められました。

そして、こう告げられたのです。


「お父さんは今別の女の人と暮らしているの。

うちでは、家族に必要とされてない気がするけど、

その女の人には自分が必要だから出て行くんだって。」


「あなたたちはお父さんと離れても親子の関係は続くからいいけど、

お母さんとお父さんは赤の他人になるのよね。」


母は泣きながら説明してくれました。


「・・・え?どうして?」


一瞬何が何だかわからず頭が真っ白になりました。


私は悲しいというより、あ然として

父に対して怒りが込み上げてきました。


「なんで、お父さんは私たち子供を捨てるの?」

「お母さんを泣かせるなんて絶対許せない!」


だけどその怒りを誰にもぶつけることができません。


友達にも恥ずかしくて言えませんでした。


このモヤモヤした気持ちをどうすることもできませんでした。


それから私は本当の心を誰にも打ち明けられずに

人との間に壁をつくり、ふさぎ込むようになってしまいました。


【後悔していること】


それから中学に進学し、勉強に部活に忙しい日々を送りました。


テニス部に入部したけど、代々先輩がいばっている部で、一年の時は筋トレと球拾い、

2年になって初めてラケットを持てるようになりました。


私は正直、試合とかどうでもよくて、ただ仲間と一緒にいるのが楽しかったんです。

一緒に辛い練習に耐えて、一緒に笑って、一緒に泣いて、

そんな仲間ができて本当に嬉しかったんです。


ですが、そんな仲間ともバラバラになってしまいます。


受験です。


志望校を決めるとき、第一志望の高校に挑戦するかどうか

決めなければいけませんでした。


もし、その公立高校に落ちれば必然的に私立の学校になります。


母に負担をかけたくなかったので、

安全圏の第二志望を受験することにしました。


でも友達の多くは第一志望に挑戦しました。そして合格。

私は第二志望へ行ったので、仲の良かった友達とも離れ離れになりました。


「私も受けていたら受かっていたのかなぁ」と

そんな挑戦しなかった後悔だけが強く残りました。


【唯一夢中になったもの】


自分に自信がなくて人と話すのも苦手。

高校へ行っても打ち込めるものもなく、ただ毎日学校へ行っているだけな日が続きました。


話しかけられると返答に困るくらいコミュニケーションが苦手だったので、

いつも耳にはヘッドフォンをして下を向いて話しかけられないようにしていました。


そんな私が唯一夢中になったものが音楽でした。


耳につけたヘッドフォンからいつも励まされ、歌詞に勇気をもらっていました。

「私も音楽で人を励ませる人になりたい!」そんな思いが強くなっていました。



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産後うつのアラサー主婦がビジネスを通して自分らしさを取り戻す話 後編

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