三毛猫ミーコの話

18年前かな? 僕が小学2年生の頃のお話。
たぶん、6月頃だったと思う。野球を見ながら晩ご飯を食べていただけなのに、家族が増えました。

両親が共働きだった僕は、日中は祖母の家に預けられていました。
朝、出勤する親と一緒に祖母の家に行って、そこから学校に通って、夜に迎えに来た親と一緒に自宅に帰る。
晩ご飯は大体祖母が作ってくれてました。
塩コショウがキツくてカリッカリの焼肉とか、少し茶色くてパンチの効いた味の卵丼とか。
ある晩、クロネコヤマトで当時販売していたレトルトカレー(業務用で買えるから安い)を食べていたら訪問客。
ご近所のおばちゃんでした。玄関での祖母とおばちゃんの話など意にも介さず、僕は巨人横浜戦に夢中でした。

最初に出会った日

すると、祖母の呼ぶ声。しぶしぶ行って挨拶したおばちゃんの手にはダンボール箱。
ミーコとの初対面でした。

おばちゃんの話によると、親猫からも見捨てられ、フラフラ彷徨っているところを保護したのだそう。
おばちゃんの家では既に犬を飼っており、娘(僕の母親)が猫好きだと知られていた祖母宅に連れてきてみた次第。
幼い僕は、生き物を飼う大変さなど考えず、「飼いたい」と祖母に訴えます。
祖母は一人暮らし。僕も日中は学校があるので、面倒を見るのは基本祖母です。
そうした間も僕は初めて間近で見る三毛猫という生命に夢中になっていたのでしょう。
祖母が何を言ったかなどまるで覚えていませんが、無事、引き取ることになりました。

小さい三毛猫。たぶん、生後半年いってないくらいだったと思います。
テレビの陰に引っ込んでプルプル震えていました。
カレーのご飯を少し分けてあげますが、もちろん食べません。
(その日の晩ご飯「レトルトカレー」は、今でも僕をちょっとおセンチにさせてくれる思い出のメニューです)
とりあえず牛乳を人肌に温め、かつおぶしと一緒に差し出します。
でも猫はプルプルしたままこちらを睨むばかり。僕はとりあえず慣れてくれるまでは、と巨人横浜戦に意識を戻しました。

ちょっとした後のことです。猫はテレビの陰から恐る恐る足を出し、家内の探検を始めました。
嬉しかったです。この家に興味を持ってもらえたことが。これで家族になれるだろう、という喜びでいっぱいです。
名前は三毛猫だからミーコにしました。

幸せなにちじょう

ミーコは人懐っこい子でした。
祖母が座っていれば、膝の上に乗り。
僕が寝転べば、背中の上に乗り。
変声期前のソプラノボイスで鳴き真似をすると返事してくれたり。
猫好きの母も、僕の送迎に祖母宅に寄ることを楽しみにしていました。

僕は僕で、小学校の友達に自慢しました。
遊びに来た友達と一緒になって、これでもかと言うほど愛でまくりました。

一人っ子で、遊び相手といったらゲームボーイというような僕でしたが、ミーコと一緒に暮らすようになって初めて「愛する」ことを知りました。
学校ではいっちょまえに好きな女の子とか居ましたが、それとは全然違う感覚だったように思います。

異変

数ヶ月経ったあるときです。ミーコが風邪を引きました。
鼻水はグシュグシュ。咳やクシャミを連発。元気もありません。

お医者さんに連れて行ったところ、下された診断は

「寄生虫に冒されていて、栄養を全部吸い取られちゃってる」

ウチに来る前は野良をやっていて、しかも弱っていたところを保護された。そういう病気や虫を持っていてもおかしくありません。
何より衝撃的だったのは、その時お尻から虫の頭が覗いていたこと。
お医者さんが引っ張り出してくれました。10cmくらいありました。そんなのが、この小さな身体に入ってるんだ、と。

そこからは闘病生活のはじまりです。
投薬はもちろん、体温を上げるためにホッカイロをタオルで来るんだベッドを用意して寝かせます。
入院もしました。ハラハラした日々でしたが、帰って来てくれたときは心底ホッとしました。
それでも、治療は続行。今までの元気は全くありません。
僕も元気が無くなっていきました。

そしてその時

ミーコはまた入院します。何度目の入院だったかは忘れました。
いよいよもって厳しくなってきた。お医者さんにもそう言われました。

はっきりと「今日明日がヤマだ」と言われた、それでもその数日後。
電話が鳴り、祖母が取りました。

お医者さんからだとわかった僕は、耳を塞いでました。

そして電話を切った祖母から。

「ミーコ、死んだって」

わかってました。あの弱り方で助からないことくらい。

自分でも驚くくらい、ドライに受け止めました。

最期の対面に来院されますか、との問いに僕は断固拒否。
供養の方法の相談なども含め、母の会社帰りに行ってもらうことにしました。

ミーコが死んだ姿を見たくなかったんです。

そしてその日の夜、母が病院から帰ってきて僕に伝えます。

「立派なベッドに入って、周りをお花で囲んでもらってたよ」

「ミーコね」

「とっても綺麗な顔してた」

それを聞いた瞬間、泣き崩れました。
なんで僕はミーコの最期を見てやらなかったんだろう。
花の一輪も手向けてやらなかったんだろう。
その後悔と、悲しさと、今まで我慢していた分が一気に溢れ出した様でした。

大人になりました

今ではすっかり僕も大人になりました。祖母は施設でゆっくり暮らしています。

「ミーコ」の名前は、それから第三代まで続くことになりました。
第二代は失踪。第三代は祖母の家を建て替える際に飼えなくなるので里子に。
「ミーコ」みんなに、辛い思いをさせてしまいました。
でも、みんな精一杯を生きてきてくれました。それぞれの愛を教えてくれました。
ごめんね。ありがとうね。

現在、自宅では猫を三匹飼ってます。個性豊かで、まだまだ若い子達ばかり。
数年後、十数年後にはまた別れが待っているとわかってはいます。
「ミーコ」の分まで生きてね、なんて言いません。でも、あの後悔だけはさせてほしくありません。
最期まで愛させてね。
これからもよろしくね。

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