【五分で読める実話】お姉さん

 小学一年生だったか、それよりも前だったのか。
 家族で出かけた、その帰りだった。駅のホームで電車を待っていると、子どもというのは退屈になる。
「ねえ、まだー?」
「まだ。もう少しね」
 そう中途半端に言うから、子どもはじれったくなる。「少し」と聞いて、子どもがどれだけの量を想像すると思っているのだろう。少し、つまり二分も持てば良い方だ。
「ねえ、まだなのー?」
「まだって言ってるでしょ、もう少しだから」
 はっきりと、『文字盤の長い針が○○のところに来たらね』と言えばいいのに。むくれて、私はそっぽを向いた。
 ――ホームの端に佇む女性が見えた。
 髪は長く黒色で、後ろで一つ結びにしている。癖っ毛なのか、ところどころが重力に逆らって跳ねている。薄い灰色と白の太いボーダー柄であるニットのようなコートを着ていて、ズボンは黒のデニムだ。靴は桃色。
 気づけば私は、その人に向かって駆け出していた。

「ダメェ、お姉ちゃん! 絶対ダメ!」

 そう言って、彼女にすがりついた。女性は驚いたようにこちらを振り向き、見下ろしてきた。
「え、……あんた……?」
 顔は逆光で、よく覚えていない。でも一生懸命に、泣きそうになりながら彼女を見上げたのは覚えている。
「香奈恵、何やってるの!」
 母が慌てて私を女性から引きはがした。
「すみません、娘が。香奈恵、驚かせてごめんなさいって謝りなさい」
 驚かせるつもりは無かったのだ。とても嫌なものが見えただけだ。彼女を取り囲む、黒いモノが。
 母が絵本で読み聞かせてくれた、死神にそっくりだったのだ。
「お姉ちゃん、ダメェ、死んじゃあ!」
「香奈恵、いい加減にしなさい!」
 女性は何も言わず、その場に立ち尽くしていた。
「本当にすみません」
 謝るつもりの無い私を引きずりながら、母は女性に何度も頭を下げた。父が黙って近づき、私を引き受けてしまったから、その後どうしたのかは見ていない。

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「急にどうしたの」
 夕飯に入った回転寿司屋で、蒸しエビアボカドマヨネーズなる変態的な寿司を食べながら、母は私の話をようやく聞いてくれた。ちなみに兄や父は無難な寿司を食べていたので、ネタを覚えていない。
「死神がいたの」
「えー? 死神ィ?」
 年子の兄がすぐ突っかかってくる。
「バーカ」
「政人、今は静かにして。それで?」
「お姉ちゃんに、死神がくっついてたから、死んじゃうの」
「死なねーよ」
「政人」
「はあ、なるほどねえ」
 父、参戦。
「あのお嬢さんが、飛び降りるかもしれなかった。そういう風に見えたんだな」
「飛び降りるって?」
「あー、政人も香奈恵も分からないよな。車と同じに、電車に轢いてもらって」
「お父さん!」
 母がしかめ面をした。
「子どもに何てこと聞かせるの」
「これくらいのこと」
「わざわざ言うことでも無いでしょ」
 ちぇっ、怒られちゃった。父が子どもの我々を見やって肩をすくめた。

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 何故、こんな昔のことを思い出したのか。
 それは、つい三日前に遡る。

 私は公務員試験一本で、就活を行っていた。
 最終面接までは行くのだ。だがそこで落ちる。タウンワークで事務員の仕事まで探し始めた。
 民間を最初から何百社と受けて何十社と落ちている方からは鼻で笑われるだろうが、落ちすぎて、どうせ次も受からないんだろうとまで思い始めた。

 そんな状況で大学に行った帰りだ。
 駅のホームの隅で、ぼうっと電車を待っていた。
 大学で学生課の職員と交わした『世間話』を思い出していた。
『あのー、就活自殺生が出たって、掲示が……』
『……ええ。未遂だけどね……』
 そりゃ死にたくなるさ。ネットや世間は「死ぬな、アルバイトでもしながら目指せば良いだろ」とか言うが、それは就活成功者のコメント(就活成功=正社員で就職)。結局フリーターは正社員就職が激難になる。契約社員は切られる可能性が大、派遣社員はバイト同然。
 新卒で正社員にならなかったら人生を棒に振る。それは全新卒生の常識だ。
 どうせ棒に振るなら、転生してしまった方がいい。ゲームみたいにリセット、てか?
 そうやって線路を見下ろしていた。

「ダメェ、お姉ちゃん! 絶対ダメ!」

 どんっ
 誰かが足下に抱きついてきた。驚いて振り向き、その子の顔を見て、ぞっとした。
 アルバムに写っている、小さい頃の私にそっくりだったのだ。
「え、……あんた……?」
 絶句していると、
「イオリ、何やってるの!」
 母親らしき女性が慌てたように走ってきて、その子を私から引きはがした。
「すみません、娘が。イオリ、驚かせてごめんなさいって謝りなさい」
 母親が、こちらが困る程に頭を下げる。しかし娘さんは全く気にしない。
「お姉ちゃん、ダメェ、死んじゃあ!」
「イオリ、いい加減にしなさい!」
 立ち尽くす私に、母親は娘さんを引きずるようにしながら何度も頭を下げていた。
「本当にすみません」
 父親らしき男性が黙って近づき、娘さんを引き連れて行った。
 やっとのことで私は声を出した。
「……少し驚いただけです。お気になさらず」
 母親はしかし困り顔で繰り返し謝罪の言葉を述べた。
「あんなことして、反動で貴方が落ちていたかもしれないんです。よく言っておきます。すみません」

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 落としてくれと思っていた。そしたら『自殺』ではなくなる。『不幸な事故』で済む。
 だが、もしもあれが――?

 ――お姉ちゃん、ダメェ、死んじゃあ!

「分かったよ」
 就活成功者以外から言われたのなら、もう納得するしかないだろう。
 中央線各駅停車が入ってきた。通勤特快との待ち合わせだ。私は各停に乗り換えた。

 家路を急ごう。



(おしまい)

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