あなたの出る幕じゃないと言われそうですが、言ってみる。

直接ではないが、親子に関わる仕事をしていることもあり、本当に過保護というか、“転ばぬ先の杖”な親が多いような気がする。

僕は“転んだときにどうやって立ち上がるか”について関わることが人生の先輩としての立ち位置だと思うし、(死なない程度に)転ぶ経験(正確には立ち上がる経験)が多い方が、たくましく生きていけるようになると思っているんだけど、転ばせていると「やっぱり不慣れな人はダメね」とか「無責任」みたいに見られることもある。ま、よその人にどう見られてもうちの子がたくましく育ってくれればそれで構わないけど、逆にお宅のお子さんは1人で考えられますか?生きてゆけますか?って心配になる。18歳になって急に独り立ちできるわけではないでしょう。

身体も小さいし、経験も少ないから視野も狭い。だからこそ、そこに関わる(子どもの視野を拡げる手伝い)のだと思ってる。

そりゃ子どもにケガはさせたくないし、争いごとに巻き込まれてほしくないから、何でもかんでも禁止して自分の許可したことだけさせていれば、親は安心なのでしょう。でも、だいたいそんなに親の言いなりになります!?ならないですよね?て聞くと、ときどき本当に操り人形みたいな人がいて、しかもやたら自己肯定感が高くてビビる。たいていは、一緒にいると疲れるから、近寄らないようにしている。

僕がまだ小学生だか中学生のころ、親に言われた「いつまでも、あると思うな、親と金」と言われたのが強く残っていて(お金は当時からあまり無かったような…)、少なくともうちの親は、子どもに対して自分の頭を通して考えさせることは意識していたのではないかな。

ついでに言うと「君子危うきに近寄らず」と言うのもよく言ってた。これはたしか弟から仕掛けてくる兄弟げんかで兄が怒られた後に、下の子の挑発には乗るな!ということで言われたのだと思う。たぶん。当時は割り切れなかったこともあったと思うけど、今となってはストレス無く生き抜く知恵の1つになっている。

冷たいとか、怖いって言われることもあるけど、自分にはどうしようも無いことはあるから、それなら関わらない。アドラー心理学で言うところの「課題の分離」という考え方にも通じる物がある…と思っている。自分が冷たいと批判されても、怖がられても、まあ仕方ないです。自分の人生に悪影響がある人にまで好かれたくないから。

そんなことだから、人間関係にも大して悩んだことがない。

話がそれたので元に戻す。

自分が親になってみて、子どもを転ばせたり、待ったりする方が断然しんどいです。全部先回りして、障害物を全て取り除く方がよほど楽だと思った。それを痛切に感じたのが夏休み。初めて行った日帰り温泉で、小1の娘を1人でお風呂に入れたこと。妻がいなかったから、一通り説明して、脱衣所のロッカーの使い方は説明した上に扉を閉める練習をさせて、できなかったら横とかにいる人に聞いたら教えてくれると思うから、と伝えて、こちらは息子と男湯へ。

身体を洗い始めて「この形の蛇口見たことあるのかな?」「シャワーに手が届くのか!?」「思ったより湯船が深いけど、浅いところと深いところは気づけるかな?溺れないかな?」

言葉数が多くなるのは、こちら側の不安の裏返しなのだと学んだよね。いつもはすぐに「出る」っていう息子が、広いお風呂を楽しんでしまって、こっちは気が気じゃない。

今まで、転ばせて来たのは自分が見えるところで、いざとなれば抱きかかえられる状況だったからな訳で、いくら娘が溺れても、三十代も半ばの男が女湯に飛び込んじゃいかんよね(笑)

だから、直線距離にして数十メートルでも、まるで自分の手の届かないところにいる娘が心配で心配で…あぁ、自分も親なんだなと変なところで感心した。

実際に娘は「ドライヤーに100円かかった」と言って、ロッカーから返却されたはずの100円は持ってこなかったけど、まぁなんとか髪の毛も乾かして、脱衣所の外で待っていたわけです。ちょっと感動して、泣きそうになった。初めてのおつかいってこんな感じなのかな?

当の娘は、それなりにお湯は楽しんだ模様(父親の立場を考慮して気を遣っているのかもしれないけど)。

ともあれ、親が口うるさくなるのは、愛情ではない。

自分では意識していなくても「自分は言った」「最善を尽くした」という点で安心したいのだと思う。言うならば不安の裏返し。なぜ不安なのかと言えば、子どもを信じていないから…ということなのでしょう。

だから、あえて逆に育ててくれた親には感謝している。それでも自分の親がお節介だなと感じたことがあるので、世間並みの親に育てられていたら、いまは何も自分で決められない人間になっていたかもしれないと思うと恐怖しかない。ある意味、親の言いなりの人形みたいな人間になっていれば、親には都合が良いのだろうか?

でも、親としても言いたいことも色々あっただろうに、それを飲み込んでただ信じてくれていた(と思ってる)。そんな親の姿勢から人を信じることを学んだ。

素直であることを良しとしていたが素直になれとは言われなかった(聞いていなかっただけか?ただ、ある意味、コミュニケーションの失敗が吉と出た形だ)。言われてたら反発してたと思う。でも、ニュースや何かの出来事の度に、面と向かった会話ではなくても、素直であれ、という親の価値観は聞いていたのだろう。

やっぱり素直に生きた方が自分にも良さそうだ、と学んだ。自分で感じたから、そうあろうとしている。

いや、やっぱり親に言われたのかな?親だったのか、尊敬できる誰か(学校の先生とかかな?)だったのか。まぁ学生時代にそんなにたくさん知り合いなんていませんからね。

さて、本当に電車とかで叱り飛ばす親子(というか、親)を見てると、この親はどうしたら電車に乗る前に予めルールを伝えられるようになる(親が言う=伝える、ではないですよね。子どもに伝わるように伝える。たいがいは子どもは賢いし、良いことをしようとするから、)か、と考えることがある。もちろん親子関係はそれぞれだし、その瞬間だけ見て一概には言えないけど、親が頭ごなしに言うことで、①周囲に対して「私はちゃんとしつけてます」アピールをする、②イライラのはけ口、③その瞬間には言うことを聞くことが多いという過去の成功体験の再現、をしていると感じる。

子どものテンションが上がっちゃったりしていて、公共の場所のルールを忘れている場合は、親は一緒になって大声出さないで、静かに伝える手段を持っていたら良いのだろうな。

なんて、「奥さんに子育てを押しつけている子育ての現実も知らない父親の理想論だ」と言われそうですが、不毛な「なんべん言ったら分かるの!」はもう辞めません?って思います。

ただですら体力勝負なんだから、そこは力抜きません?

子どもを信じるなら、そんなに一から十まで指示する必要あります?

困ったことする前までは良い子だったのなら、そこをすかさず「いい子だね😊」「私はうれしいわぁ」って言ってあげません?スマホから目を離して。

自分の子どもが「大人はいいな」って言う理由が、「勉強しないでテレビやスマホしてても怒られないから」だったらどうします?

それが、転ばないように手を出して口を出して、一生懸命にしつけてきたあなたの子です、っていうのは、僕は嫌だから、転ばせる。びしょ濡れにさせる。泣かせる(わざと足かけしたり、水をかけたり、泣かせる訳ではないですよ)。

でも、「おおー!泣かないね。強い✨」だし、「濡れちゃったね。どうしよっか?そうだね、拭こうね」だし、「どうしたら良かった?」って泣き止んでから聞きたいと思う。そうは言っても、上手くいかない時もあるけど。

ちょうど今日、電車でひたすら「うるさいー!」って大声を出してる2才くらいの子がいて、お母さんとおぼしき女性が「あなたの方がうるさいよ。静かにしよー」って言っていたのと重なって、とりとめの無いことを書いてしまった。あの子は何に対してうるさいと言っていたのかは分からない(一緒に乗ってる親っぽい人も、急だったので分からないようだったし、口うるさい感じでは無かった)けど、本当に他は1人で乗っている人も多くて、静かな車内だったんですよ。親としては居づらかったでしょうね…。

まとめもないです。

勝手なことを書きました。読んで不快な思いにさせてしまったらごめんなさいね。

とにかく、世の先回りしすぎている親に、あなたの言動が子どもの考える力を奪っているんですよ!ってことに気づいて欲しいです。

そのために、目の前1人の生徒を伸ばす話を、大人が何人も考えている、そういう組織に私はいます。

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