お家サロンで月商7桁に到達するまでの〜ロミナSTORY〜第1夜

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いや、言い方悪いか。置いていったのですえーん



どっちも一緒か!w




これもね、私3歳で記憶ないから

誰も教えてくれなくていいのに、



祖母がネタのように(母同様)私に話すわけですよ。

笑い泣きやめてー




言わなくてもいいのにさ!って何度思った事か・・・




まーそんなにね、ネタみたいに毎日言われるわけですから、

幼少期はあまり悲しい事っていう自覚もなく、

自分が成長して知識をつけるにつれ、

事実を思い出すたびに、

心が孤独になっていったのでした。




母が出て行って、そのまま離婚となり、




ママッ子だった3歳の私は



『ママ〜笑い泣き!!!』

と毎日泣き続けたそうです。




ってか、そらそうですよねポーン!!




泣くわな3歳児!!(現ロミナの3番目の子と同じ年)




で…祖母が『かわいそうだからロミナを呼びなさい』と言ったと、



これまた祖母から聞かされたわけです。笑

(母は自分の実家に帰っていた。)




物心ついてから母に捨てた事について自分が傷つくのが怖かったため、やんわりと聞いたのですが、




『私もあの時は死にそうだったからさ〜』と言われ、





いやいや、

自分のことだけかーーーい!!



とひどく気持ちが反発しました。




でも実際に、私が子供を産んだとき、

3歳の子を置いて出て行く。なんて事、できんビックリマーク(名古屋弁)と思っちゃったんですよ。



3歳なんて可愛い盛りなのに・・・(まーイヤイヤ期だけどさ・・笑)

いくら旦那がいやでも子供だけは連れて行くでしょ・・


的なね。




ロミナ新米ママ時代、


自分が母親になったら

あの時の母の気持ちがわかるかもしれない


と思っていたのですが、



逆に思い返せば返す程に、


わからなかった苦しみ、葛藤、怒りがありました。

(それはまた何夜目の話で・・・)



そんな風で、私は母の元に行く事になり、



月に1〜2度父と面会する。という事になっていたのです。



母はその当時、教員免許の取り直しをしていて勉強に忙しく、

祖母宅(経営していた旅館)で過ごす事が多かったです。



直接的に接客に携わらなかったにしろ、

ロミナの商売人気質

祖母の後ろ姿を見ていた影響があるかもしれません。




商売人としてはいつも明るく、

お客さんを楽しませるそれが祖母でした。




ま・・・裏では鬼の様に恐ろしかったけど😱(そこも似てる?w)

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