インドの山奥で修行してきた話-16 【一回くらいは真面目な研究のお話】

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学生時代の自分が何を成そうとしていたのかを少しだけ。
自分はそもそもユングが好きで将来精神科医になることを志していた。
大学入試願書締め切り当日に何をトチ狂ったのか郵便局に向かう途中に国立医学部の願書を捨て、
慌てて代ゼミに「◯大か◯大の願書余ってないですか!?」と電話して急遽建築学科に方向転換。浪人時代にはそこそこの医学部でもまず大丈夫ってくらい成績は良かった方なので代ゼミのチューターも親も突然の乱心に唖然。今思うとあれが人生最大のミスジャッジだったなぁ。。。。。。。

ま、それは置いておいて。建築の道に誤って入った後も共時性とか共同幻想とかそういう話が好きだったので、民族宗教的なモノが如何に建築に影響を及ぼすかって事で論文テーマを決めた次第。
インドでは伝統的にマンダラ区画分割線に従って計画されており、それは寺院(既往研究多々有り)だけでなく村全体も寺院を中心としてマンダラによって計画されていて、更にはその構成要素の各住宅も入れ子状にマンダラによって計画されている
(この時点では既往研究無し)という、中世建築書の記述を実測データによって考察しようというのが研究の内容。

       ↑ 自分の建築の中で唯一マンダラ意識して計画した自邸

建築マンダラについて極簡単に説明すると、地上の全てを食いつくすヴァーストゥ・プルシャと呼ばれる神話上の巨人を「地」の上に描き、その巨人を正方形グリッド(基本は9×9のプラマシャインと呼ばれるグリッドが用いられる)に封じ込めるというもの。

各グリッドには巨人を鎮めるための神が配されており、最も重要な中心の3×3区画にはブラフマー神が配置される。
街区計画においては
この3×3のブラフマー区画には寺院を配置する事が定められていて、住宅建築においては柱・壁等一切の構築物を設けてはならないとされている。


      ↑ 建築巨人ヴァーストゥ・プルシャ。肩からミサイルとか発射しません。

そのことにより南インド伝統住居にはブラフマー神が鎮める中庭があり中庭の周りに回廊があり回廊の周りに各区画を鎮める神に由来する室が配置される構成になっているはず。。。。。。であったが実測調査の結果はあまりその説を確定させられる程のモノではなかった。正直な所。
ただ中庭と回廊だけはある。この中庭の存在がインド住居では中々興味深い。
日本人の感覚では中庭と聞くと楽園的なモノをイメージするかもしれないが、インド住居における中庭は本当に只の空洞なのである。
かと言って神聖な場所だから綺麗にしているわけでもない。本当に只の
空洞。むしろ汚いと言ってもいいくらいの只の外部。
中庭の周りの回廊も中庭から入り込む砂や埃や雨で比較的汚い。そして回廊の外周りの各室は光もあまり入らない様なつくり。
そして住人たちは半外部的空間である回廊部分でほとんどの時間を過ごしている。寝るのもメシを食うのも回廊でという生活スタイル。

これは論文では無いので勝手に言わせてもらうと、建築マンダラというのは構築否定の思想だと自分は考えている。
本来「地(
ヴァーストゥ・プルシャ)」は人為によって一切汚してはならないのだが、中心の定められた範囲を「地」のままに残すという事により免罪符を得る。そのことによりパーソナルエリアを設定する壁を境界として設け、日射と雨を凌ぐ屋根を支える柱を建てることを許される。

南インド伝統住居の中庭は作られたものでなく、何かの象徴でもなく、ただ手を付けてはならない「地」そのもの

その根底にあるのは「本来建てるべきではない」という「地(ヴァーストゥ・プルシャ)に対する畏怖」

まぁあまり言い過ぎると「気でも狂ったか?」と周りから噂されそうなので持論についてはこの辺でおしまい。

      ↑ 現地で買って来た本。こうして並べてるだけでとても怪しい



で、この調査というのは実在する住居の中庭や土間、壁や柱の位置そしてそれら要素の寸法を全てコンマミリ単位で採寸し、それを図面化したものに様々なグリットを設定してみることによってマンダラの単位を考察し、本当に
ヴァーストゥ・プルシャの意思が計画に込められているのか検討するのが目的であったわけでして。。。。。
そんな訳でしたので、住居の寸法を測っておしまい。ということではなく、ホテルの部屋ではモクモクと採寸したデータを図面化してグリットとマンダラ単位を様々な視点から検討し、もっと綺麗なグリットに収まる可能性を感じたら再度寸法を測りに入らせてもらうということの繰り返し。

最後に、この20年前の日記やスライドを探してる中で、今まで行方不明になってた論文発表時のレジュメが発見されたので保存目的で以下に貼り付けておきます。
この時の事思い出すなぁ。。。。。締め切り終盤は何日もほとんど寝てない様な状況でひたすら眠気覚ましに怪しい合成酒飲みまくりゴールデンバット吸いまくり、最後は熱まで出て自分の論文発表が終わるやいなや「すみません!体調不良なんで研究室のベッドで休ませて下さい」って程やったんよなー。この時熱計ってみたら39℃超えてたの覚えてる。
夕方頃「全員の発表終わって今からみんなで飲みに行くけど、お前行かないだろ?」って言われたんだけど、この打ち上げだけを楽しみに生きていたんで最悪の体調のまま強引に参加。ただ飲みながらホントきつかった。一次会終わって二次会に向かう途中に自ら「やっぱ帰ります。。。。」とこの私が言い出したほどに酷い体調でした。翌日からも数日寝込んでたなぁ。。。。。あの時は正に力尽きた感じでした。






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