生徒数ゼロで100万円以上の赤字だった世界チャンピオンの空手教室が、チラシも宣伝も無しでいきなり100人以上になった話

俺は世界チャンピオン。空手でメシが食える、そんな人生を送りたい。




こんにちは!
空手家の妻、北島マリと申します。夫は21歳で全日本チャンピオンに、23歳で世界チャンピオンになった空手家です!

だから「うまくいく!」と意気込んで、空手道場を始めたのが12年前。
しかし当初、空手道場の生徒はゼロ~数人と、毎月赤字でした。


道場経営はうまくいかない、お金もないという生活。

「俺は世界チャンピオンや。俺が強ければ道場生は増える

そう信じていた矢先に、選手生命を絶たれるほどの出来事に見舞われます。

「なんでこんなに、俺は不幸なんや・・!」

その時、偶然に紹介された割烹のマスターから「うまくいかない時の原因」について、人生の基盤となるアドバイスをいただきました。

今回はその時の話を紹介させていただきます。

絶対王者と呼ばれた世界チャンピオン

俺は当時、無敗の空手チャンピオンだった。俺が膝を上げれば相手の顔面に直撃し、K.O.必至の試合ばかりだった。格闘技の専門雑誌では「絶対王者・北島」として特集も組まれたほどだ。

10代の頃から空手中心の生活をして、常に空手ができる環境を選んできた。
父親が早くに他界し、母子家庭で貧乏だった。高校卒業後は働くという道もあったが、働いてしまうと空手の時間が減るので、空手の時間を確保するために自分で奨学金の申請をして大学に進学した。
そして、空手の練習に支障がない歩合制の会社に就職。


「空手でメシが食えたらな・・。」


歩合制の会社なので、時間的に空手を続けることはできたが、営業成績が振るわなければ給料がない。
空手の時間を捻出するため必死に営業するが、精神的に限界があった。
会社を辞め、空手だけして生きていきたかった。でも母親と二人暮らしの生活を支えるために働かなくてはいけない。


そんな時、所属流派の先輩が
「空手の道場を出さないか?」
と、声をかけてくれた。


「お前に会いたいって、社長が。道場を出すために協力してくれるらしいぞ」


夢に描いていた空手だけの生活、空手でメシが食えるという人生。

先輩に紹介された会社は、俺の「世界チャンピオン」という肩書に魅力を感じてくれていたようだ。

シフト制で空手を優先させてくれるという条件を出してくれた。


俺が空手の道場をすれば、大流行するに違いない


空手の道場だけで生活をしている人を全国に数人知っている。
名高いチャンピオンたちがそうだが、俺も世界チャンピオン。

その人たちに出来て、俺に出来ないわけがない。


さっそく先輩から紹介された会社に入社し、自分の道場を出した。

先生が強ければ生徒は自動的に集まってくると思い込んでいた俺。

しかし、待てど暮らせど、入会者はこなかった。


家賃8万円。収入0円


道場の看板には「世界チャンピオン直接指導」と掲げているのに、まったく入会者がいない。


毎月、8万円の赤字だった。


周りの人からは、
「経営の仕方が悪い」だの、
「道場だけで生活するのは無理」だの、
「お金のかかる趣味」だの、批判的な言葉をたくさん浴びせられた。


道場のために時間の融通をきかせてくれる会社とはいえども、実際には秒刻みスケジュールの日々。

来る日も来る日も、通勤電車に飛び乗って、降りたらまた走って道場へ・・という生活は正直言ってしんどかった。


しかし、俺が強ければ生徒は集まってくると信じていたので、俺は自分が強くなることに集中していた。


「次の試合でもまたチャンピオンになれば、口コミが広がって生徒が増える」


いや、勝てば生徒が集まるというのは家族への言い訳という要素が大きかったかもしれない。本心は、ただ俺が強いことを証明したい、ただ強くなりたいだけだった。


10月に全日本大会がある。その大会に向けて練習に励んでいた。
誰が一番強いのか。日本一を決める大会だ。

大会1か月前、強くなりたいやつらが有志で集い、合同稽古をひらいた。


「俺、強いから。練習会でも倒しまくってくるわな。」

そう言って、心を弾ませながら家を出発し練習会場へ向かった。
合同稽古の参加者は皆、日本一の座を狙っている。

体育館で繰り広げられる、激しいパンチの打ち合い。本気の蹴り合い。
練習の中でさえも、俺が一番強いことを見せつけたい。俺の圧倒的な強さを。


その練習中に、予期せぬ出来事が起こった。

バチンッ

組手中、足をどこかに思いっきりぶつけた。

痛みには強い俺。しかしその日の夜、顔がゆがむほどの痛みに襲われた。


痛い足を引きずって通勤ラッシュの電車に揺られ、出勤した。

あまりにも痛すぎるし、足を見れば倍ほどに腫れ上がっているので、早退して病院を診察させてもらった。
来月には大事な試合があるし、病院で手当てを受けて早く治さなければ。

俺の足を診察しながら、医師は少しため息をついた。


嫌な予感。そして医師の診断結果に、俺は耳を疑った。



「アキレス腱が切れてますね。膝のじん帯も損傷しています。」

痛すぎると思った。ぶつけたと思っていたのは俺の勘違いで、アキレス腱が切れていた。膝もぶっ壊れてるなら痛いはずだ。


手術することになった。


「全日本大会は、どうなる・・?」


頭に不安がよぎった。手術してしまえば、回復までに相当の時間がかかる。でも今は、手術以外の選択肢がない。


大事な試合を目前に控えての大けが。もう、諦めるしかなかった。


手術が終わって、ギプスを巻かれた足。今日から松葉づえの生活。


松葉づえの生活は、思っていた以上に不自由だった。

歩く速度が遅くて、普通の人についていけない。

階段を上がるのに、全身を使わないと上がれない。

風呂に入るのにも一苦労だ。


何をするにもクソほど時間がかかった。


ちょっとそこの物を取りたいだけでも、思うようにできない。

家族に頼めば、大きいなため息と冷たい視線を送られる。


片足が使えないだけで、毎日の暮らしに相当なストレスがかかった。


こんなにも不自由なのに、俺に合わせようとしない家族に苛立った。

こんなにも不自由なのに、俺を労わらないなんて。


しかし俺は、早くケガを治して試合で勝たなければいけない。

ここで終わりじゃない。この次の試合が勝負だ。



ケガしても優勝して、俺の強さを証明したい。絶対王者の名にふさわしくぶっちぎりでトーナメントを勝ち抜いてやる。


「来月の試合は無理でも、半年後の試合には間に合わせよう。」


半年後には、別の流派が主催する全国大会があり、俺はその試合で完全復活することに焦点を合わせた。ケガをカバーするように、トレーニング方法を見直した。スポーツや筋トレに関する様々な本やDVDで勉強したり、専門家からアドバイスをもらい、強くなるためのことは何でもやった。


半年後の全国大会で優勝することが、道場を流行らせるチャンスなのだ。無敗のチャンピオンに、負けは許されない。


道場を流行らせて、金持ちになって、今まで批判してきたやつらを見返したい

そのためにも勝たねばならんのだ。


「ケガしてても、勝てる。」
そう自分に言い聞かせて、ケガの回復を祈った。

半年後。チャンピオン復活、道場入会者が増える予定の日。

ケガは万全とまではいかなくても、勝てる自信があった。


「倒せばいいだけやから。」
そう豪語し、試合に挑んだ。




結果は、1回戦負け。

何年も、何年も勝ち続けたチャンピオンが1回戦負けだった。


10年ぶりの屈辱だった。


「あーあ。ケガしたら、終わりやね。」
「チャンピオン、年(とし)やね~」
「弱くなったな~。」
色んな人が好き勝手なことを言ってくる。


悔しくて泣いた。

俺はこんなもんじゃない。あの時、ケガさえしてなかったら勝っていた。

試合の帰り、良くしてくれている先輩が北新地の高級割烹に連れて行ってくれた。
その店でもクダを巻く俺。


「ケガさえなかったら、勝ってましたよ!」
「あんな奴、ケガしてなかったら・・」


割烹のマスターは黙って俺を見ていた。


勝ったのは、俺の実力。負けたのは、人のせい。



それからも、負けた試合のことが頭から離れず、毎日イラついていた。


変わらない会社。
変わらない貧乏。
変わらない現実。


「俺は、負けたんや・・」


試合後も、いつもどおりに会社へ行く。

負けた試合のことを、外野からとやかく言われる。


勝てるはずない、やっぱり無理だっただろう、ほら言わんこっちゃないと皆が口を揃えて言ってくる。


「あの練習会で、あいつと稽古したからや・・」

「あの練習会で本気出さんかったらよかった!」

「仕事が忙しいから練習時間も取られへんし」


俺は不満ばかりだった。

目の前の不満を、いつも誰かのせいにしていた。いつも何かのせいにしていた。

RRRRRR・・突然の電話



自分の周りすべての事への不満が募り、イラつきが絶頂に達していたある日、あの割烹のマスターから電話が鳴った。

「北島君。ケガしてたから負けたとか、ケガさえしてなかったら・・とか、ケガのせいで負けたんじゃないって、ほんまはわかってるんやろ?


いきなりの電話で、意味が分からない。


「北島君、いいか。負けたのはケガしたからとか、関係ないねん。信念があれば、何でもうまくいくねん。


マスターはそれから俺にたくさんの本を送ってきてくれた。


感謝が良い事を引き寄せるというマーフィーの法則。

「ありがとう」「感謝しています」といった天国言葉を口にすることで運気が上がるという斎藤一人さんの著書。


その他にも何十冊というすべての本を食い入るように読みつくした。


不平不満を言わない事、目の前に起こることすべてに実は感謝しかないこと。
そんなことが書かれていた。


不満を言わない生き方、周りのすべてに感謝する生き方。

今までの俺とは異次元の生き方に、衝撃を受けた。


起こるすべての事は自分にとって必要なこと。実はすべての事に感謝しかない、という考え方。

俺の辞書には無かった考え方だった。けれども、スッと心の中に入ってきた。


「よし、今から生き方、考え方を変えよう。」


自分を変えてみることに、お金はいらない。騙されたと思って徹底的に自分を変えてみよう。


俺は、自分を変えた。


絶対に、怒らない。
絶対に、不平を言わない。
自分のすべてを、徹底的に変えた。


俺は今まで、世の中のすべてに対して批判的な人間だった。
会社勤めはしんどくて、世界チャンピオンなのに道場生は集まらなくて、貧乏で。
倒れそうなぐらい疲労困憊で帰宅しても、嫁は先に寝ていて、冷めた晩ご飯を一人で食べて。


不満に思うことを完全にやめて、俺は生まれ変わった。
不満だらけだった人生を、捨てた。


俺が変われば周りも変わる・・?


マーフィーの法則や斎藤一人さんの著書を読んで、不満を言わないことやいつも笑顔でいることを始めた。
すると周りは意外な反応を示した。

「なんや、ニヤニヤして気色悪い」だの、
「ありがとうって言ってたらいいと思ってたら大間違いやで(笑)」だの、馬鹿にしてたようなことを言われるようになった。

しかしここで腐っては、俺がすたる。

「感謝してるんやったら態度で表せば?」「口先ばっかり!」
道場は相変わらず収入を生み出すこともなく、家計を圧迫している。空手は家族の時間を減らす上に、家計費までも減らしてくる。
家族からも不満をぶつけられた。


「不満を言わなくなったり、ずっと笑ってると、不満を言わそう、怒らせてやろうってやつが出てくるんだよ。何笑ってんだよ、男のくせに気持ち悪いってね(笑)」

そう斎藤一人さんは言った。

「天国言葉を使って、笑顔でいたって、何も起こりませんっていう人がいるんだけどね。それでも天国言葉を言い続けるの。笑顔でいるの。そうすれば、うまくいくの。」


笑顔で居続けること。文句を口にしない事。
家族にまで批判されると、心が折れそうだった。

それでも俺は変わると決心したのだ。周りからの攻撃を笑顔で跳ね返し、口からは感謝の言葉を述べ続けた。

そうすると、不思議なことが次々と起こった。



毎日、俺の携帯電話に着信の嵐。問い合わせ、体験の申し込みの電話が鳴りまくった。

チラシを配ったり、広告を載せたこともなかったのに。


数人しかいなかった道場生が、その月いきなり100人を超えた。


そして、会社員を卒業。

夢にまで見た、空手だけで生計を立てる人生になった。



「あんな会社、辞めたる」じゃなくて、「あの会社があったから、今がある」。
「ケガさえしてなかったら・・」じゃなくて、「ケガがあったから」大切なことに気づけた。勝ち負けよりも大切なこと。


うまくいかない自分からの卒業

あんなに苦戦していた道場経営が、いきなりうまくいきはじめたのは、信念を明確にした日からだ。
儲けたいとか、試合で勝ちたいとかいう事ではない。

自分は光で居続けるという信念。

泥の中でも真っ白に咲き誇る、蓮であり続けるという信念だ。


周りがどんな批判を浴びせてこようとも、自分は不満をぶつけず、相手に感謝の心を返すのだ。


人に喜ばれる人になる。


口から不満を漏らしていても、何も始まらない。

感謝を口にすると心に決めた瞬間から、すべてがうまくいき始めた。



2005年に設立した道場は、約6年間赤字だった。
大けがをした2011年黒字に転換し、道場生は100人、150人と右肩上がりに増えていった。



今までは応援団などいなかった俺に、初めて横断幕を作ってくれる応援団がついた。


感謝の気持ちですべての人に接していただけなのに、俺の試合を応援してくれる人が増えていった。


空手道場を通じて子どもへの教育というものを考えたとき、文武両道な子が増えるとかっこいいよな、と考えた。そこで、学習塾を設立することを決めた。

2013年、学習塾を設立するときにも、俺を応援してくれる人たちで教室が埋まった。


今は道場2つ、学習塾4つを経営している。

マスターからの電話が、人生を変えるきっかけになった。


好きなことをしながら稼ぐというのは、時に困難にぶつかったりもする。

そんな時、マスターからのあの言葉を思い出す。

「いいか。信念があったら、うまくいくんやで。」


敏腕経営者と人さまから呼ばれるようになった今、「見返してやりたい」という気持ちは微塵もない。

いや、むしろ逆だ。

「見返してやりたい」などという気持ちは、感謝を口にしていくうちに消えていた。そして気が付けば成功者と呼ばれるようになっていた。

今はただ、周りのすべての人の幸せを願うだけだ。


生まれ変わろうと思った瞬間から、人は何度でも生まれ変われる。


道場経営はうまくいっている。ジュニア選手も数多く育ててきた。

しかし、心のどこかに、まだ捨てきれない夢があった。


「もう一度、表彰台に上がりたい。」


あのケガから体は故障続きで、試合に出ても満足の動きができなかった。

要は、K.O.することができなくなっていた。


「先生、年やのにそこまで動けたら、スゴイよ!」

「ケガしてるのに、それだけ出来たら上出来やで!」


俺と同世代のチャンピオン達は皆、引退している中で俺は現役の選手をしている。

それだけでスゴイと言われる。


でも、何か違う。


「俺の空手は、倒す空手や!」

かつてのようにK.O.してこそ、自分らしい空手なのだ。


俺が育てた弟子たちが、倒す空手を体現してくれれば良いか・・?

そう気持ちを切り替えようともした。


「やっぱり、俺も倒したい」

できることを感謝いっぱいやりきって、引退することにした。

2017年、一番弟子と共に全日本大会の表彰台に上がった。

俺はあの大ケガから6年ぶりにK.O.をキメて決勝まで勝ち上がった。

弟子はトーナメント中ほぼすべてK.O.して決勝まで勝ち上がった。


俺について来てくれて、ありがとう。

空手に出会わせてくれてありがとう。

たくさんの気づきをありがとう。


口からは感謝の言葉だけを言うようにしてみよう。

この瞬間から、人生はうまくいく。



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最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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