お尻物語

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「でも髪はすぐ伸びてくるし、元通りになるわよ~」と言われて、「またそこも同じか~」と思いました。

美容院の人に男性カットをしてもらって、「お客様、お似合いですよ」と言われてしまい、何だか複雑な気持ちです。

私は幼い頃から男の子に間違われていました。髪の毛を縛っていても、「あら可愛い男の子」と言われて、傷ついていました。

私は顔が男ぶりなので、少し残念な所があります。だから性格も男っぽいのかな~と感じます。

 210日(土)お尻はまだ穴がバックリと開いて汁が出ています。最近はそんなことも忘れるくらい、今後の生活をどうしていくかを考えています。

最近の母は、傷口を見ても「開いてるけど大丈夫ね~」とまるで肛門科の先生のようになっています。

段々と親子共々、穴が開いていること自体が当たり前になってきました。

先日、美容院帰りに区役所に寄り、障害者のしおりという本をもらってきました。

その本を読んで、福祉サービスの勉強をしました。

知っている事もあり、利用しているサービスもありますが、知らなかった事もたくさん書いてあり、日頃から勉強をしてこなかった事を後悔しています。

どーんと構えてその時その時で乗り切って行けば生きていかれると思っています。

こんな私でいいのかな?

 211日(日)今日はなんだかお腹が痛く目が覚めた。

傷口はまだ1,5から2センチくらいの大きさの穴が開いて汁が出ています。

お風呂の洗い場でお尻を洗っていると、何かが次々流れていくのを見て、人間の体は凄いなと思いました。

テレビでは、韓国で冬季オリンピックをやっています。スポーツを見て楽しんでいます。

もっと日本が頑張って欲しいと思っています。

最近はお尻に穴が開いているのを忘れるくらいあれこれとやっています。

私の悪い病気が出てきました。

 212日(月)今日は訪問歯科が来て虫歯の治療をしました。

家の中でどうやって治療をするのかなと思ったら、持ち運びができる機械を家の中に入れて治療しました。

1年近く歯医者にかかっていなかった為、虫歯ができてしまい、麻酔をかけられて歯を削られて応急処置をしました。

麻酔がかかっているので上手くうがいができず、思ったより虫歯が深く、次回歯をかぶせる事になりました。

痔ろうのお陰で歯も大工事になり、なんだかもう入口と出口で工事続きです。

「出来上がりはいつ頃ですか」と歯科の先生と肛門科の先生に聞きたい。

私の体はただいま工事中です。

完成を、乞うご期待。

歯医者さんが「麻酔が切れて痛くなったら連絡を下さい」と帰って行きました。

立ち会ったヘルパーさんが「連絡をしてもロキソニンを処方するだけだから大腸肛門科で貰っているロキソニンを飲んでればいいんだよ」と言って帰って行きました。

「歯もお尻もロキソニンかよ、要するに入口も出口も一緒なんだね。」と親子で笑っていました。

麻酔が切れても歯は痛くなく順調にきています。

自宅に先生が来てくれて、道具を部屋いっぱいに出して30分で治療が終わり、片付けもしてもらえるので、私自身治療が終わったらすぐに横になって休める環境がとても嬉しい。

初めて在宅で虫歯治療をして、これならこの先、年をとっても安心して歯科を受けられると思いました。

訪問医療を選択し生活環境を変えるにあたり、母は私の決断に対して、なにも言いませんが賛成をしています。

「あんたは、ずぼらで、なかなか生活スタイルを変えるという事はできなかったけど、痔ろうになってから否応なしに生活を考えなくてはならなくなって変えたことに対して、いい方向に転がってよかったね。こういう機会がないと動かないね。」と言われました。

私は、切羽つまらないとなかなか生活を変えて行くのは難しい性格です。

ずぼらというひとことはグサッときましたが事実です。

その時バッタリ出くわした時に対処法を考えます。一度しかない人生、「明るく呑気に行きましょう」と、お笑い芸人のぴろきがウクレレを弾きながら歌っています。まさにその通りだと思います。

母曰く「あんたは殺しても生き延びるタイプでなかなか死なない」と言っていました。

私は化け物か。

 213日(火)昨日傷口を見たら1,5から2センチくらいの大きさの穴の半分が、肉で盛り上がって埋まっているそうです。一夜にしてそんなことは起きないと考えていますが、こればかりはわかりません。それこそ私は化け物か驚異の回復力なのかわかりません。

まだお尻から汁が出ています。

今年もお雛様を出しました。

もうお尻の出来物騒ぎから一年が経ちます。

まだお尻は工事中です。

いつ完成するかわかりません。

 214日(水)昨日から傷口に変化が見えて喜んでいたところ、よく母の話を聞いたら、「ゴムが入っていない浅瀬の部分に肉がなんとなくついてきたかなという感じよ」と言われてショックを受けました。

てっきりゴムが入ってる部分に肉が上がってきて、もうすぐ治るのかと考えましたが、思い違いでした。

肛門科の先生に渡す為に経過報告を毎日つけているので嘘を書く所でした。

「浅い所はすぐにでも肉が上がってくるけど、深い所は簡単には肉が上がらない」と先生から母に説明があったそうです。

私はその事をすっかり忘れていて、肉が上がってきたという言葉に舞い上がってしまいました。

2日間の経過報告を今日作り直しました。

母に「話をよく聞いてから打ち込みなさい。あと3ヶ月はかかりそうだから急がなくていいんだよ」と言われてしまいました。

もう1年経つので、この生活が当たり前のようになってしまいました。

携帯でお尻の傷口を見たら、2回目のゴム締めから変化がなく、ガッカリしています。

まだ治っていない事にやっと気づきました。

時々写真を見ないと、私は頑張ってしまいます。それが悪い癖です。

リハビリを始めて1ヶ月が経ちましたが、まだ体力が戻らず、筋肉痛で体中が痛み、熟睡ができなくて困っています。

元通りになるには、まだまだ先です。

 217日(土)マッサージの先生が訪問してくれて、マッサージを受けた際に、「体はほどほどに動かせばいいんだよ」と教えてくれました。

脳味噌は意外とバカにできていて、腸で考えて直感で動くといいらしいです。

脳は騙して勘違いしやすいみたいで、腸の方がその時々の体の具合で考えてくれる箇所みたいです。

世の中では腸活が流行っていますが、今の私はまさに腸活の時期を迎えています。

ここでも腸の話が出て驚いています。

もうすぐ検診で3回目のゴム締めがあるかどうかわかりませんが、若干気が重いです。

激痛ではなくなってきたものの地味な痛みが1週間以上続きました。トホホ…。

母が新しい下着を買ってくれました。

現在はパットをあてているので毎日生理帯をはき1年近くパンツをはいていません。

パンツをはける日が待ち遠しいです。

 219日(月)今日は訪問歯科が来て虫歯の治療を受けました。

部屋いっぱいに道具を広げ、自宅が歯医者さんになりました。

歯の型取りの液が分離して1回目は失敗しました。麻酔をかけられて歯を削ったりしたので1時間かかりました。

しばらくは麻酔がかけられて感覚がなく、いかりや長介みたいな唇になったような感じです。母と2人で「今日は体調がよくて治療ができてよかったね」と話しましたが疲れました。

入口の工事はまだ続きます。

 221日(水)今日は検診の日です。

この1ヶ月はいろいろとありましたが、なんとか無事に術後3ヶ月を終えることができそうです。

1度目の今ごろは2回目の入院が決まり凹んでいた時期です。それから考えると感無量です。

たぶん病院に行けば3回目のゴム締めが行われます。

激痛ではないもやもやとした痛みがまたくるのではないかと思うと気が重いです。

お尻をちょっと切り、ゴムをちょっとだけ移動させるという感じですが、10日間ぐらいは痛みとの闘いです。私の中で儀式になっています。

朝から気合いを入れて病院に向かいました。

私の番が呼ばれて、ベッドに横になり、看護師さんに下着を脱がされてお尻丸出し状態で待っていると、隣から痔ろうの患者さんと医師の会話が聞こえてきました。「パンツが当たると擦れて痛い」と患者さんが言い、医師がお尻にゴムを入れて徐々に縮めていく事を説明していました。

患者さんは「お尻にゴムが入るという事は違和感はありますか?完治までどれぐらいですか?」と聞いていました。

患者さんは、物凄い不安を抱えて医師に話を聞いていました。何か半年前の自分がいるようで、くすっと笑ってしまいました。

そこで私が歩けたら隣に行って、「あなた、私も痔ろうで同じシートン法で手術をしてゴムがお尻に入っているのよ。これでもうすぐ術後4ヶ月なの。違和感はあるけど、何とか日常生活はできるよ。でもね、手術後のお尻はえぐれているから、オムツをつけて暮らして行けばいいのよ。ある程度経ったら、パッドが小さくなって汁もだんだん少なくなっていくし、そんなに怖がることないわよ~」と話したくなりました。

そんなこんなでベッドに横になり、先生に経過報告を読んでもらうと「順調だね」と言われ安心しました。

お尻をライトで照らされて、何だか恥ずかしく思っていたところ、「お尻を付き出してください」と言われましたが、私は自分ではお尻を付き出すことはできません。

看護師さんに手伝ってもらって、クの字の姿勢にしてもらいました。

先生が「それでは少しゴム締めをしますね~」と言い、3回目のゴム締めは肛門のすぐ隣を切開してチクッと1センチ弱ゴムを縮めました。前回、ゴムを短くして2センチになりましたが1センチ弱引っ張ったので3センチの長さになり、しっぽのようになってしまいました。

また母から「お尻を拭く時に邪魔だ」と言われ、勝手にゴムを切って縛るのではないかとハラハラしました。

案の定帰宅後、母がお尻を見て「ゴムが長くなりうっとうしい」と言っていました。

診察室から出た時に気付いた事があります。ラジカセがありクラシックがかかっていて、患者さんにリラックスをしてもらうのかなと思いました。私の1度目のゴム締めの時にBGMが欲しいとこの記録の中に書いたので、伝わったのかな~と思いました。

もっと色々な音楽が流れると楽しいと思います。

またじわじわと痛みが出てきましたが、痛みに耐えながら車椅子で帰宅しました。

パットに血液が混じった汁が付いていました。

痛み止めを飲んでゴム締めをしましたが、痛みが強かったので食後すぐにまた痛み止めを飲みました。完治まではあと数ヶ月かかると言われました。頑張ります。

出血があったので例のごとくゴム締めの後はシャワーだけという事になり、寒さとの闘いでした。

貰って来たお薬を整理して、時間がかかり、いつもより遅く就寝しました。

 223日(金)ゴム締めから2日が経ちました。ゴム締めの後は必ず痔のような痛みが襲ってきます。昨日は切れ痔で辛い物を食べた翌日のような痛みが丸1日続き、痛み止めが手放せませんでした。

お尻をつく事さえままならなかったり、トイレでお尻を拭かれて痛くてしょうがなかったです。

今日は相変わらず痔の痛みはあるものの、昨日よりは若干良くなってきたかなという感じです。

でも痛み止めは欠かせません。円座も手放すことができません。

朝トイレに行き携帯で写真を撮りました。お尻から1センチ弱のゴムがピロ~ンとあっかんべをしているような写真でした。

母とヘルパーさんとで「このお尻はグロテスクよね~」と話していました。

写真を見てこのお尻が我が身の物だと思うと、よく座ったり便を出したりする事ができるなぁと思います。

私はひとつ悩み事がありました。それは在宅医療です。

在宅医療に切り替えるにあたり悩みましたが、自分の身体の状況を考え、在宅医療を選択しました。

 224日(土)医療費の1年間に使った金額が送られて来ました。

そこには目が飛び出るような額がありました。

まず1回目の入院代45万いくらと、2回目の入院代30万いくらという金額でした。

ざっと計算すると80何万という額でした。

その他に薬代、オムツやトイレットペーパー、ティッシュ、ウエットティッシュ、尿取りパッド、ペットシーツ、飲み物代、食べ物代、タクシー代、合わせると100万超えるくらいの額になります。

2回目の手術が終わって自宅に帰ってヘルパーさんが入るようになって、ある事業所の所長さんから、「しばらくオムツを使うのだったら区の補助金制度があるから申請したら?」と勧められました。

区役所のワーカーさんに事情を説明すると、最初は自宅にオムツの申請書を送るということでしたが、「痔ろうは一時的な病気なのでこの制度は使えません」と言う連絡が入りました。

オムツ補助金制度は、本当に障害や病気でトイレに行けず、用を足す事が出来ない方が対象ですとの事でひとつ勉強になりました。

でも一時的な病気であれ、オムツや尿取りパッドは欠かす事が出来ないので、ちょっとでもいいので制度を改めるきっかけになったらと思います。

1年に渡るお尻の出来物はとてつもない事になっています。

私のお尻にこれだけの額がかかっているなんて、目が飛び出るし両親に頭が下がりっぱなしです。

どれだけ心配やお金がかかり、迷惑をかけたのかと思うと、今後どう恩返しをして行けばいいのかと考えています。

病気をする事はお金もかかり大変です。病気って怖い!!!

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