お尻物語

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 225日(日)ゴム締めから4日目が経ちました。相変わらず痔の痛みと肛門に何か挟まっているような感じで円座が放せません。

傷口が臀部にあったのを、ゴムが傷口をどんどん肛門に引っ張り、傷口が肛門の隣に移動してきました。そのことで毎月ゴム締めをする度に肛門の近くを切開されてゴムを引っ張り抜くので、その時に痛みが違ってきます。

傷口がはるか彼方に臀部の方にあった時は肛門と離れていたので、1回目のゴム締めは激痛でしたが、3日で落ち着きました。近づくにつれて痛みと違和感が増してきました。

例えで言うなら、奥歯に物が入って詰まってしまっているような感じです。歯だったら爪楊枝でほじくり異物を出しますがお尻はそういう訳にはいかないので、もどかしい思いと違和感と痛みとの闘いが続いています。

円座を敷かなければ圧が傷口に直接負担をかけ、ますます何か挟まっている違和感が増してくるので、手放せなくなってしまいました。

夜にNHKの福祉番組を観ました。

内容はヘルパー不足を取り上げていました。いつもだったらテレビに釘付けになっていますが、なぜか観る気持ちになりませんでした。

多分テレビに映っている仲間、障害者の元気な姿を見て羨ましかったのだと思います。

1年前まで車椅子に乗りどこでも出かけていた。それが手術を繰り返してから体力が落ちてしまい長い時間は出かけられなくなった。

その現実がいまだに受け止められなく戸惑う毎日で、元気な仲間の姿を見ると辛いものがあります。

みんなは元気で毎日を過ごして、日々の暮らしの事を考えて行動をしているのだと思いますが、今の私にとってその元気な行動力が、気持ちだけはあるのですが身体がついていかない現実をどう受け止めようかと思い悩む日々が続いています。

見た目では元気そうに見えますが、その事で誤解を招き、「まだ動けないの?」と言われて肩身の狭い思いをしています。今の私にとっては、どこまで回復が出来るかと言う事で頭がいっぱいになっています。早く言えばお尻が完治した後に、今まで通りの日常生活を送れるのかと言う課題にぶつかっています。

内容がいいか悪いではなく今の私にとってはかけ離れている世界だなと思いました。

自分が病気になって感じている事は、いつまでも元気でいられるか保証はない。

ああだこうだ悩んだって一度しかない人生、その時その時で乗り越えられるようになっていると思います。

病院でサバイバル生活をしてきたので考え方が変わりました。楽しく生きなきゃ損です。

おばさんだって頑張るぞ!

 226日(月)今日は訪問歯科が来て虫歯の治療を受けました。

例のごとく部屋いっぱいに道具を広げて右側の奥歯を少し削りました。

運がよかったせいか、まだ初期の虫歯だったので軽く詰め物をして終わりました。

途中で「痛かったら手を挙げてください」と言われましたが、私は不随意運動がある為、痛くなくても手が挙がってしまうので、どうやって先生に知らせようか考えていましたが、口は開けっぱなしで手足は動いてしまう、頭は押さえつけられて動かなくなってしまっているので、(サインが出せないじゃん)とくすっと笑っていました。

時間がなかったせいか歯医者さんは40分であっという間に歯を削り詰め物をして嵐のように帰って行きました。

無事に右側は終わりましたが、左側の奥歯は虫歯が進んでいたのでかぶせを作ることになり、来週出来上がってきます。

入口の工事はあと1回かなという感じです。

出口の方は…わかりません。

 31日(木)今日は北区の病院までヘルパーさんに代理で行ってもらうことになりました。今回は在宅医療についての手紙を渡したので、ドキドキしながら待っていました。

私が歩けていたら家の中で熊のようにウロウロとしていたに違いありません。

そんな思いをして、こういう時に自分が動けないともどかしくイライラしていきます。

本当だったら車椅子に乗って、先生に自分の口から話して耳で聞いた方が納得がいくのでそうしたかったのですが、何しろお尻にゴムが入ってまだまだ体力が追い付かなく、長い時間は車椅子に乗っている事さえできないのです。

今か今かと自宅で横になってヘルパーさんを待っていました。今日は暑く、汗をかいたので、母に「着替えたい」と伝えたら、「え?痔が痛いの?」ととんちんかんな答えが返ってきました。

私はしばらく笑い転げて着替えたいと言う言葉が出てきませんでした。

耳が遠いのでよくこういう事があります。緊張していた私にとって、力が抜けた言葉でした。

ヘルパーさんが帰って来てから簡単に先生とのやり取りと、返答の紙を読んで、今後在宅医療と北区の病院の2ヶ所を利用する事を快く理解してくれたとの事で、胸を撫で下ろしました。

私は2日前に、失礼のないように文面を何度も読み返しながらプリントを作成しました。

それにお尻の経過も報告をしたかったので、いつものように3回目のゴム締めの写真を文面と一緒に添える事にしました。また先生がびっくりするのを楽しみにしていたのですが、今回は他に大事な事があったので、お尻についてはノーコメントで少し寂しかったです。

 33日(土)今日は33日でお雛様の日で、飾ってある雛人形が笑っているような気がします。

窓から暖かい日差しが入り、春を思わせるような日です。

外に出ていませんが、今頃は梅が咲き、桃の花が咲いている頃です。でも車椅子に乗って外に行く体力がありません。行ったとしても翌日ぐったりして、歯医者さんやリハビリに支障が出てくるので、気安く外に出掛けることはできません。

寒いんだか暑いんだかわからないまま毎日が過ぎて行きます。

時々マッサージの先生やPTさんが、「外はこんな感じだよ」と伝えてくれます。その情報を聞いて、「今はこうなんだ~」と思い、まるで80代のおばあちゃんになって老後生活を送っているような毎日です。なんだか悲しい…。

34日(日)今日は風が強く吹いて春二番という感じです。昨日はお雛様の日でしたが、終わってしまい季節がめぐってくるのは本当に早いものです。

ちょうど1年前にお尻から血が出るようになり、痛みが増してそろそろ病院に行かなくてはと思っていました。

それがまだお尻にゴムが入り完治していない状況で、1年越しの治療となっています。

現在は少量の汁がパットに付く程度です。ゴム締めから10日経ち少し落ち着いてきたかなあという状況ですが、たまに痛い時があります。そういう時は痛み止めを飲んでのんびりと過ごしています。

病気をしてから感じたことは、元気な頃は健康が当たり前で明日という日が必ずめぐってくると思っていました。それは大きな間違いで必ずいつまでも元気という保証はどこにもなく、明日という日はこないかもしれないという事がわかりました。

私達は毎日生かされてその日その日が楽しければ良いのかなあという考え方に変わりました。

毎日が奇跡的に命を繋ぎ、食べて出すという事の大事さが分かりました。

まずは健康であることのありがたさを知り、高望みや欲望をあまり抱かない事を実感しました。

これは病院であまり恵まれない環境の中にいて感じたことです。辛いこともたくさんありましたが

、人生観が変わるきっかけとなりました。

何だかお坊さんの説教のような事を書いてしまいましたが悟りを開くような気持ちでいます。

なーむー。

 36(火)体力がないので、2,3時間の外出をするだけで翌日はぐったりしてしまいます。

1年前の外出は半日という感じで翌日も元気に過ごしていました。

ところが、入退院で半年間寝ていたらそんな元気はなくなってしまいました。

病院のベッドは元気を吸収するようにできているのではないかと思い始めています。

1回目のT病院で一緒に入院していた方が痩せてしまい、ベッドマットをふかふかの物に取り替えていました。

ベッドに体重計が備え付けてあり、痩せて行くとベッドマットを取り替える事になっているそうです。

でもその3ヶ月の間にどんどん体力が衰え食欲もなくなってきます。

そういうことを考えたら早く退院して、自宅で生活を送るのが1番だと思います。

今回は痔ろうだったので最大で10日入院する事になりました。

健康第一だとつくづく感じています。

母が「もう1回入院したら、あんたは自宅に帰って来られない、そのまま死ぬわよ」と言っています。

私もそれを聞いて同感しました。

今まで元気印で育ってきましたが、それを覆すような事態になりました。

「この子は元気だと思っていたのに、入院してしまうとこんなに変わってしまうのね」とびっくりしています。

311日(日)今日は暖かく春らしい陽気です。テレビを付けると福島の震災から7年が経つというのを聞いて、月日が経つのは早いなと思いました。

あの震災の事は忘れてはならないと思います。

心からご冥福と復興をお祈りいたします。

パラリンピックも開幕したのにTVで放送が少なく何だかガッカリです。開幕式を見ていたら日本が出てきてグッドタイミングでした。

NHKで少し流れるくらいでオリンピックみたいに大々的に取り上げてくれないのが不公平かなと感じます。私自身も冬季のパラリンピックの種目が何があるか分かりません。そういう事も含めて放送で取り上げて欲しいなと思っています。

夜に母とお風呂に入っていたら、母が「誰がお尻にゴムを入れる事を考えたのだろう」とふいに言い出し、私は「それは分からない」と答えました。

人間の体は傷口があると1週間で皮膚がくっつき1ヶ月で綺麗に傷口が無くなるそうです。そういう事を考えると痔ろうは汁を沢山出さなければなりません。1ヶ月で肌が綺麗になってしまうと中がグチュグチュ状態で再発率が高まってしまいます。

しかしお尻にゴムを入れるという考えは面白いなと思いました。

 313日(火)今日は在宅医療の方が来るので、朝から巻きでケアをしていました。

実は3月に入ってから喉元が腫れるという症状が出てきました。

母方の叔母が甲状腺を患い、その血を受け継いでいるので「一度検査をした方がいいんじゃないか」と言われ、検査を受けようと思いました。

入退院を繰り返して体力も落ち、食欲もあまりないので家族が不安を抱いていました。

人の顔を見れば、「もっと食べろ」と言うが、運動量が少ないので食欲も落ちる。

なんとなく眠いと言うと病気だと言い出す始末。

訪問医療の方とお話して、契約をしました。

急遽、主治医になる先生が来てくれて、血圧測定と内診と採血をしてくれました。

初めてなので、先生が3人来てびっくりしました。

喉元の腫れは、急に痩せたから腫れたように見えるとの事でした。

でも、念のために甲状腺の検査をする事になりました。

血液で分かるとの事で来週結果が出るそうです。

2回も手術をしたので、それなりに体のどこかがおかしくなってもしょうがないと思います。

急に食欲旺盛になることはないと思うし、体力がいきなり付くわけでもないし、なんでも段階というものがありそんなに急激に元気が湧くことはありません。

親の思いはありがたいのですが、半年間入退院を繰り返したのでゆっくりとマイペースでいこうと思います。

訪問医療と契約して長い目で見た時にこの決断は良かったと思います。

 319(月)昨日、母が観ていたテレビ番組で、足にほくろみたいな黒い出来物が出来てそれが巨大化し、皮膚科に行ったら腸の病気で「3日遅れていたら命が無くなっていたよ」と医師から言われた人がいたそうで、肉をごっそり取らなければならなかったそうです。

その病はまだ解明されてなく、治療も注射を打たなければならないという事ですが、その注射が保険が効かなく、毎月23万というお金がかかるそうです。

何故腸の病気が足に出たのか不思議です。皆さん気を付けてください。

 328()今日はお尻の検診です。4回目のゴム締めが待っています。

今回は病院が空いていたのですぐに呼ばれ、先生が経過報告を読んで、「ゴムを少しきつくしますよ」と言ったので、気合いを入れていると、お尻を何となく触ったような感じで気が付くと終わっていました。4回目のゴム締めは、そんなに痛くありませんでした。

車椅子に乗るとお尻がじわじわと痛くなりました。気の早い私は経過報告のプリントの中に、質問という欄を作り、「もしゴムが取れた場合、ゴムを持って受診した方がいいですか?」と書いたところ、「取れたら捨てて受診日まで来なくていい」との事を言われました。でも、ゴムはまだ取れそうにもありません。少し早かったかと思いました。

帰ってきてからトイレに行くとうっすら血がついていました。お尻が何となく痛かったので、痛み止めを飲みました。車椅子には円座を敷いていたので、往復のタクシーはそんなに痛くありませんでした。

母にお風呂上がりにお尻を見てもらったところ「5ミリ弱ゴムが長くなったかな」と言っていました。トータルで35センチのゴムの長さになりました。またしっぽがほんのちょっとだけ伸びたかなという感じです。このしっぽはいつになったらなくなるのでしょうか?

母にいつもお風呂上がりにお尻を見てもらっていますが、お尻の状態は3回目のゴム締めと変わらなかったです。母曰く、「浅瀬の部分に赤いものがあるけど、鉄板みたいに固く、肛門のところは柔らかい。多分中は肉が上がってきてないかもしれないよ~。だから先生がお尻を見て状態が変わっていなかったから絞ってもいけないと思ったんじゃないかなぁ」と言っていました。

今回は先生からは「順調ですね」と言ってもらえなかった事が少し気になっていました。それを母が言ったので、やっぱり…という感じでした。浅瀬の赤いところが鉄板みたいに乾いているので、そこに何かが当たると痛い時があります。それを言い当てた母は凄いと思いました。

ゴム締めの日はお尻を切開するので痛みがあるし、出血もある為、湯船に浸かる事が出来ず、シャワーだけ浴びました。1ヶ月に1回の儀式になっています。いつになったら終わるのでしょうか?

 330日(金)病気をしてから急激に身体機能が落ちて、車椅子に座っている事が難しくなってしまいました。

原則、車椅子を作り替えるには6年間使用しなければならないという規定があります。今回、6年未満で本来なら作れません。

ケースワーカーさんとPT さんと話し合って、ティルト式リクライニングの車椅子を正式に作る事になりました。

 331日(土)今日、障害者のしおりという手引きをもらいました。そこに青い鳥郵便葉書という、障害者手帳があれば、無料で葉書を20枚もらえる制度を初めて知りました。

40年障害者をやってきて、この制度の事を知りませんでした。初めて知った時に「なんでこの制度の事を教えてくれなかったのか」という疑問がわいてきました。

福祉制度は利用する事が多く、その度に色々と調べますが、誰もこういう制度がありますという事は言ってくれません。知っている者勝ちと言うところがあります。もちろん自分で制度を利用するに当たって、知っておかなきゃいけない事が沢山あります。でも知らない方たちはそれだけで損をする事もあります。それでいいのでしょうか?

知った者勝ちではなく、公平に制度を利用するに当たり、誰かが情報提供をする事も大事だと思います。

役所の方は知らないのが悪いという風潮があります。それを私達が変えて行かなくてはなりません。知る権利と情報提供をしてくれる人を探す力を身につけて行きたいものですね。

この青い鳥郵便葉書は4月から受付が始まるので、初めて利用するに当たりどういう手続きが必要なのかを調べました。今回、車椅子が体に合わなくなった為、郵便局に行かれないので、どうしたらいいのか電話で問い合わせをしました。郵送で送って郵便局の方が葉書を届けてくれるとの事で、良い制度だと思いました。

術後もうすぐ6ヶ月目を迎えます。「妊娠していれば大きなお腹になっている頃ね」と母が言っていました。月日が経つのは早いものです。

 41日(日)今日は、エイプリルフールです。みんなに、ゴムが取れてお尻が治ったと言いたい所ですが、本気に思われたら大騒ぎになるのでやめておきました。

2月と同じ状態が続いています。朝ヘルパーさんにお尻の事を聞かれましたが、「2月と同じ」と伝えると「長いですね」と言われました。しかしこればかりは私もわからないので待つしかないのです。

お尻にゴムが入った時から、「完治までは半年は掛かる」と先生から母に説明があったそうです。

長い場合は、1年掛かる事もあるそうです。個人差があり人それぞれとの事で一概には言えないので気長に待つしかありません。

すべては、痔ろう君次第で治る日が決まります。

最近母が、「ここまで待ったんだから急がないで細胞の働き方に任せるしかない」と言っています。

私のお尻を見て「あなたの治り方は、ゆっくりなのよ、歳も歳だし」と言って、励ましているのか傷つけているのかわかりません。ゴムは肛門の隣で3.5センチ立っています。

お風呂上がりにいつものように母に見てもらいましたが変わりはありませんでした。

感じとしてはお尻がいつもと違う。ゴムが入っているところが前に飛び出しているような感覚で「あれ?」といった感覚はありました。たまにこういう感覚はあるので、あまり気にする事はありませんでした。

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