お尻物語
今日ヘルパーさんから、私が住んでる区が「今年度から入院してもヘルパーさんを利用する事が出来るようになる」と聞いて、嬉しくなりました。
私が入退院を繰り返している間、この問題を早く解決して欲しいと願っていました。
今までは、入院前に区役所に行き、ケースワーカーさんと話し合って決めるとの事でしたが、その手間がなくなり院内でも自宅と同じように利用出来る事になりそうと聞いて、安心しました。
時間の制限はあるとの事ですが、一歩前進して良かったです。
4月2日(月)今日は一日お尻に違和感があり、ヘルパーさんが午前中のケアが終わった後に、母にお尻を見て欲しいと頼みましたが、「面倒くさくて嫌だ」と断られてしまいました。
座った時にゴムが当たる感触があったので、まだ取れてないと思いました。
午後からヘルパーさんが来て、夕方トイレに行った時もゴムがお尻に触る感覚がありました。
夜にいつものようにトイレに行くと、便みたいな少し多めの汁がパットに付いていました。
うまく言葉では言い表すことはできませんが、何だかいつもと違う感じで薄皮一枚で繋がっているような感じでした。
排便の時に力んだ時、ピーンと何かが取れた感覚がありました。
排便が終わり、母がお尻を拭く際にゴムが手に当たらなく「ゴムが取れた」と言って私をトイレから出して、割箸で便器の中を探しましたが、結局ゴムは便に混じって確認ができませんでした。
母に便器の前に座らされて、身を乗り出しながら自分の便の中から何とかゴムを救出しようと必死になっていました。
頭から落ちそうなくらいになって手が便器の中に入りそうな勢いでした。
母が「その手を入れないで」と言いながらひたすら割箸でゴムを探していました。母は私の便を上に上げて途中で2人とも「ウエッ」と言いながら探しましたが、見つかりませんでした。
母と二人で大笑いしながら「私達なにやってるのだろう」と言って諦めることにしました。
私はゴムが取れたら携帯でゴムの写真を撮って何センチか図ろうと思っていましたが、便と共に排水溝に流れていったので夢は叶いませんでした。
推測では出ていたゴムの長さは3.5センチでプラス5ミリ位だと4センチ位かなと思います。
毎月1回病院に行き、ゴム締めをした後に携帯で写真を撮る事にしていますが、今回はわずか5ミリで2月から変わっていないので写真を撮る事はやめました。母に「変化がないのでやめておきなさい」と言われました。
ゴムが取れたという事で大きな変化があり、今日は姉が来ていたのでゴムが流れてしまって代わりに何もないお尻を携帯で撮ってもらいました。
母と姉がお尻を覗き込んで私はどうなっているのかが知りたくて、撮った写真をじっと見ていました。母と姉もじーっと私のお尻を眺めていました。
私は1年近くたくさんの人にお尻を見せているうちに、羞恥心と言うものを無くしてしまったので、恥ずかしくも何ともありません。医学的に経過をひたすら携帯で撮り続けていました。
姉や甥っ子、母や父に「おめでとう」と言われました。たまたま姉と甥っ子は来ていたのでそのタイミングで取れて良かったと思います。
1年近くお尻と闘って来たので、嬉しさが倍増でした。
頭の中で、今まで辛かった事、ゴムが入っていたあの違和感の事、誤診で2回目の入院が決まりなかなか現実を受け止められなかった事、手術をしてまた失敗したらどうしようという不安や、いつまでゴムが入っていて穴がいつ塞がるんだろうという見えないトンネルの中にいた事、お尻を治しながら自分が動けなくなった事で訪問系のサービスを必死で勉強した事、色んな事が甦りましたが、ゴムが取れた事で一歩完治に向けて進んだ事は大きいです。
まだお尻はゴムが取れただけなので、お肉がない状態で穴が空き中から汁がパットに付きます。
これからどうやってお肉が上がって蓋が閉じ綺麗なお尻になるのか楽しみです。
6ヶ月と2日目の出来事です。4月25日(水)に検診に行くので完治宣言が出るのが楽しみです。
4月5日(木)今までお尻の写真を撮り、ゴムが取れたので、「アルバムを作ったらどう?」と母が言い出し、作る事になりました。
この1年、お尻と戦ってきたので、記念にしたいと思いました。
4月14日(土)ゴムが取れてからもうすぐ2週間が経とうとしています。
お尻の状況は元々痔ろうの穴があった所は肉が上がってきたのですが、鉄板のようにまだ固くなっています。ゴムが入っていた所はまだ突っ張り感があり、こっちも鉄板のように固くなっています。母には「まだまだ綺麗なお尻には程遠いわね~」と言われてしまいました。
お風呂上がりにお尻を拭いてもらう時、固くなっている所をタオルでキュッキュッキュと拭かれると飛び上がってしまいます。自分的にはまだ痛みがあるうちは駄目かなと思います。
ゴムがなくなってから、排便の時に母が「お尻を拭くのが楽になったわ~」と言っていました。一方で半年お尻にゴムが入っていた私としては、それがなくなってしまい、何だか寂しい思いがありました。
いつも前傾姿勢で便をすると便座カバーに汚れが付くので、ペーパーを敷いてもらって座ります。いつも汚してすみません…。
普通に床に座れる事が幸せだと思いました。
4月16日(月)今日は昨日のアルバム作りを仕上げた後に、パソコンのお尻の写真の日付を整理しました。同じようなお尻の写真を見て、訳が分からなくなります。
でも二度と撮れない写真なので、整理整頓が苦手な私でもヘルパーさんの力を借りながらここだけはキッチリと仕上げたいと思いました。
仕上げたアルバムを母に見せると、1回目の手術の後の腫れ上がった写真を見て、「この時が一番つらかったよね」と言っていました。
写真を見ると否応なしにその時の状況や心情がタイムスリップしますが、形にして良かったと思います。これを見て、二度と同じ過ちをしないように自分を戒めるように時々は見ようかなと思います。 4月17日(火)車椅子の件と訪問理美容の件が進まなかったので、区役所に問い合わせしました。いつも声をあげないと話が進まないのはおかしくないでしょうか?
母曰く「あんたは、黙っていない性格だから大丈夫よね。ただでは起きないタイプだから」と言っていました。私が幼い時に地域の方や区役所でも「何かあったら助けて下さい」と言って歩いていました。「助けてくれなかったら声をあげなさい」と言われて育ちました。そのお陰でじゃじゃ馬でただでは起きない私になりました。親は子の鏡である。まさにその通りである。
4月18日(水)今日はお尻は相変わらず切れ目があるものの落ち着いています。
一週間後の今日は定期検診です。いつもなら少し気が重いのですが、今回はゴムが取れたのでもうお尻を切られることはないと思い、気楽です。完治宣言が待ち遠しいです。
4月20日(金)家の中で使っている座位保持椅子を改造することになりました。
入退院を繰り返して筋力が衰え、体重が39~40kgに減ってしまった事によって、体型と椅子の大きさが合わなくなってしまい、座れなくなったのです。業者さんとPTさんとで話し合い、どういう椅子にしようか試しました。どんな椅子になるのか楽しみです。
4月22日(日)車椅子で出かけられなくなったので、訪問理美容を利用しました。
利用してみると、便利で優しい理美容師さんと出会い、やっと頭がさっぱりして良かったです。
4月25日(水)今日は検診の日です。ゴムが取れてウキウキしながら病院に行きました。
病院は空いていて完治宣言をもらえるとウキウキしながら待っていたら、すぐに呼ばれて診察室に入りました。
ベッドで横になっていると、隣の話が聞こえてきました。患者さんが「あと、どれくらいかかりますか?」先生が「あと2回絞らないといけない」という会話を聞いて、仲間がここにもいたんだなと思いました。その人の話を聞いているうちに「ゴムが取れてもまだお尻に穴が開いているのよ~」とお尻を見せたくなりました。
先生にいつものように「どうですか?」と聞かれて経過報告を読んでもらい、お尻の傷口を診て、今回は肛門の中に機械を入れられて治っているか確かめられましたが痛かったです。
今日は痛いことをしないと思ったので痛み止めを飲まず病院に行ったのが悪かったです。
てっきり完治宣言をもらえると思ったので5月の予約を考えておらず、先生から「第3週と第4週のどちらかに来てください」と言われて落胆し、慌てて第4週目に予約を取りました。
前に「ゴムが取れたら終わりです」と聞いていたので、母と二人で「話が違う!」と帰宅後に話していました。
先生は経過報告とお尻の状態を見て総合的にまだ完治ではないと判断したと思います。気持ち的に今日は完治宣言をもらえると思ったので、ガクっとなり一気に疲れが出てしまいました。お尻の状態はまだ完治ではないので完治宣言をもらえなかったのがすごく残念でした。
もうすぐ術後7ヶ月迎えます。長い道のりです。
本当は今日、完治宣言をもらったらこのお尻物語を終わろうと考えていましたが、完治宣言が出なかったので、この物語はまだまだ続きます。皆さん、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
4月27日(金)PTさんから「車椅子が出来上がったらまずどこに行きたいですか?」と聞かれて、私は「眼科に行きたい」と答えてしまったのです。一緒にいたヘルパーさんにも後から「眼科ではなくもっと夢のある話をすればいいのに」と言われてしまいました。
5月1日(火)ティルト式リクライニング型の車椅子はどういう物か分からなく、本当に体に合うのか試乗することになりました。(ティルトというのは、自由自在に角度が変えられます。リクライニングは背もたれを倒すことができます。)思ったより車椅子が大きく親子でビックリ。この車椅子が玄関に入るか心配になりました。
お尻は相変わらず切れ目がありますがお肉が少し柔らかくなってきて回復に向かっています。
汁も減ってきたのであと一歩という感じです。ゴムが取れて明日で1ヶ月です。
山越え、谷越え、えんやこりゃ。
5月2日(水)今日でゴムが取れて丸1ヶ月が経ちます。お尻の状態はまだ切れ目があり、ゴムが取れたところが硬くなってまだパットに汁や便が付着することがあります。
周りのお肉が鉄板のように硬くなっていましたが、やっと少し柔らかくなってきたかなあという感じです。
5月6日(日)テレビ番組の中で「人生の転機」というテーマでタレントさんを取り上げていました。みんな紆余曲折あり、山あり谷ありの話をしていました。それを聞いて誰もが上り坂と下り坂とまさかというのがあると聞いてまさにその通りだと思いました。
みんなが予測もしない事に遭遇し、生き方が変わるのだと思いました。
テレビを観て、今の自分に置き換えて考えると、言っていることが心に響きました。
「楽しいことも辛いことも長くは続かない。その時その時を超えれば良いんだよ。」というコメントがグサッときました。
私も今回色んな経験をして「なんでこうなるの」と責めていることがありますが、辛いことも長くは続かないと聞いたので、これを超えればもう一つ自分が大きくなれるのかなと思っています。
これは神様がくれた試練と挑戦状だと思って上手く乗り越えたいと思います。
まだまだこれから何が起きるかわかりません。でもそんな時に今回の経験を生かして自分に負けない強さとそれをうまく超えられる知恵を生かして、今後の人生を楽しく過ごしていきたいと思いました。まさかテレビを観てこんなことを考えるなんて思ってもいませんでした。
「人生は長いか短いかの問題ではなく、生きていた時間にどれだけ輝けるか質の問題」とタレントさんが言っていました。その通りだと思います。
どれだけ自分が納得して楽しく生きるかだと思います。たまに思わぬ事に出くわしますが、ピンチではなくいかにチャンスに変えていくかが問題なのです。
できるだけ楽しく笑って生きていくのが一番だと思いました。
軽く受け流す程度で観たいと思っていた矢先だったので、ちょっと違うかなと思いました。もう少し軽いテレビが観たかったなと思いました。
テレビを観た後に読書をして、最終日のゴールデンウイークをダラダラ過ごしました。たまにはこんな日があってもいいのじゃないかと思いました。
お尻は切れ目のところにお肉が上がってきて、硬いところもお肉らしく柔らかくなってきたそうです。
汁も少しづつ減ってきて順調に回復に向かっています。
余談ですが入院で病気は治ったにも関わらず、家族の事情で退院する事ができない方もいました。
高齢で独居をしている人はこの世の中少なくありません。バックアップをしてくれる人がいなかったら一生病院にいることになります。中には施設に移りたいが金銭的な問題で病院に入院という事にしてくださいと家族から頼まれる場合もあるそうです。
独居もいいですが、もしもの時に備えて家族と話し合う事の大事さを感じています。
本来は一つ屋根の下で暮らすことがいいと思いますが、なんらかの事情で暮らすことが無理なら電話でもいいし、一度会ってみんなで話し合う必要性があると思います。
そうしないと、とんでもないことに繋がってくるとつくづく思っています。
家族は時にはもろく壊れやすいものです。
いかに日頃から家族と話をしていくかに繋がってくると感じています。
私も将来独居老人になるので、幼い甥っ子に「おばさんが死んだらこうしてね」と話してあります。
まだ小さいので詳しいことを話しても理解が難しいので姉に伝えてあります。
もっと私が年を取って甥っ子たちがいろいろと理解できる年になったら、書面で詳しく書いておこうと今から思っています。
健常者でもいつか死ぬという事を考えておいた方がいいと思います。
自分で焼き場に行ってお墓に入ることはできないので、先の事はある程度見通した方がいいと思いました。
入院中、こんな事がありました。
患者さんが「お見舞いに来て」と電話をかけて家族を呼び出していました。家族は忙しいのに、そのことも考えられないのはおかしいと思います。
私は痛いお尻と慣れない環境の中で眠れず、フラフラ状態でいました。
お見舞いをする時には自分の事だけではなく、患者さん一人一人を考えて欲しいと思いました。
5月9日(水)今日は車椅子の判定の日を迎えました。2度の手術により状態が変わったので、ティルト式リクライニングの車椅子に作り替えたいと判定士さんに話し、許可をもらいました。良かったです!!
5月22日(火)突然母が家の中を片付けたいと言い出しました。
小中高のアルバムをパソコンに落として、CDに焼く作業を延々としました。
5月23日(水)今日はいよいよ検診の日です。先生から今度こそ「完治ですよ」と言ってもらえたらいいなと心から願っています。
お尻はまだ裂けている部分があるので自信はありません。確実に良くなっているのでそこのところを評価してもらいたいです。
病院に着くと空いていて、すぐに診察室に呼ばれました。いつもように先生が経過報告を読んでお尻に機械を入れて診ると「治っていますね」とやっと言われて嬉しい気持ちになりました。
今のお尻の状況はまだ切れ目があり完全ではありませんが、これが完治と言われてもピンとこないのが本音です。7ヶ月かかりやっとここまできました。夜は1年ぶりに下着を履くことが出来ました。当たり前のことが嬉しかったです。バンザイ!
5月25日(木)家の中で使っている座位保持椅子がやっと出来上がりましたが、業者さんの設計ミスで座位保持専用のテーブルが入らない事がわかりました。
でも体にぴったりしたチャイルドシートみたいな椅子が出来上がりました。
この1年お尻に振り回されました。病気療養中に考えて思い出した事を書き、まとめる事にしました。障害者が病気を抱えるという事はどういう事かを皆さんに知ってもらえたらと思います。
ただでさえ日常生活が大変な中で、そこに新たに病を抱えることになり、家族やヘルパーさんにどれだけ負担になっているか。
私自身も2回も痛い思いをして、どれだけ体力も精神力もすり減らしてきたか。
病院では人間らしい生活を送る事は出来なく不自由な入院生活をしてきて院内もヘルパー制度を認めて欲しいとつくづく感じました。
国の制度では、病院は看護師と医師がいて24時間完全看護という条件で病院に入っている間は基本的にヘルパー制度は利用できませんでした。
しかし重度身体障害者にとって、看護師が常に横にいる完全看護とはいきません。
ナースコールは自力で押せなく、呼ぶこともできませんでした。
入院前に医療相談に行き、看護師さんにやって欲しいことを紙に書いて伝えました。
T病院では全て看護師さんが介助をしてくれましたが、Y病院は夕方から食事介助を家族に頼んできました。看護師が不足していて巡回も来なく、喉が渇いても水さえ飲めませんでした。
誰かがナースコールを押したついでに水を飲ませてもらったり体勢交換を頼んでいました。
どれだけ不自由だったか。この事を考えてもらい重度身体障害者が入院を必要とした場合、コミュニケーション支援だけではなく、自宅と同様なヘルパー制度を認めてもらいたかった、と思っていた矢先に、全国で入院してもヘルパーが入れるようになりました。
重度訪問の障害区分認定5から6に限り認める事に改制されました。
ここまでたどり着くには、難病の《ALS》の方が国会に出向き訴え闘った背景があります。
身体障害者が痔ろうで病院に入院して手術を受けるケースは少なそうに感じました。
手術が終わって病室に帰ってきて、私が吐き気を訴えた時に、「重度さんがなんか言ってるよー」と担当ではない看護師さんが歩きながら担当の看護師さんに報告していました。
私は意識朦朧としながら、「重度障害者を人間だとは思っていない、ここの病院は本当におかしい」とつくづく思いました。
体に障害があるからといって、そういう態度はやってはいけないと思っています。
普通に、「気持ち悪いのですね。只今担当の看護師に伝えてきます」と言うのが普通の扱い方。
「重度さんがなんか言ってるよ」、と言う態度は許されるべきではないと考えています。
入院2日目に母が婦長さんに呼び出されました。
「夕方は看護師が少なくお宅のお子様の食事介助ができません、ご家族で介助をしてくれませんか?」と言われたそうです。
初めからそのつもりだったら、私はいろいろ手立てを考えました。このことも親子で頭にきました。それに喉が渇いても水さえ飲めない現実がありました。
私は身体障害1級で手足が動かなく使えなく、寝返りだって狭いベッドの中では一苦労するし、人の手を借りなければなりません。
何もできない私にとって、コップに水をついで飲むという作業はできません。
食事も一人で食べることは出来なく、ナースコールを押せない等、あらかじめ病院側に伝えていました。なのに出来る出来ないさえ答えてくれませんでした。
入院してから「特別扱いはできません」という態度を取られ、悔しくってたまりませんでした。
身体障害者が痔ろうになることもあり、むしろ人より何倍も座っていることが多いので、痔になりやすいのではないかと思います。なんでこの病院では事例がないのか首をかしげました。
障害者だって人間で病気になるはずなのに、障害者を入院させたことがないということが考えられません。
みんなどうしているのだろうか?お尻が痛くなっても我慢しているのだろうか?としか考えられません。看護師さんが定期的に2回だけ巡回するので、その時だけ水分補給や体勢交換を頼めました。
それ以外は、誰かがナースコールを押した時に、ついでにやってもらいたいことを伝え、なんとか頼みました。こんなことは許されていいんだろうか。
2016年から障害者差別解消法が施行されました。
公共の場で差別的な扱いをされた場合、この制度が使えます。
この制度を使えば訴えることはできますが、事を荒立てて治療を投げ出されたら本末転倒になると思いました。
でも、このことはなんらかの形で公の場で伝えたいです。
世の中はバリアフリーになってきていますが、病院の関係者がこんな態度で患者さんと接している現実をみると、本当の意味ではバリアフリーにはなっていません。
障害あるなしに関わらず、人として扱い言葉を選び、態度をわきまえてほしいと思います。
病院の風潮として感じたのは、高齢者の患者さんが多く認知症に少しなりかけている人が多かった事です。
そのためか高齢者に対して赤ちゃん言葉を遣い、食事介助が必要な方はナースステーションに連れて行かれ、看護師さん一人に対して患者さんが二人という体制で介助をしていました。
一度目の入院が決まったときに、自立生活センターの先輩に病院の話を聞いていました。
「病院によっては人手が足りない、ナースステーションに連れて行き順番に食事介助をする」と聞いていたが、まさかここがそのケースに当たるとは思っていませんでした。
今回痔ろうという病になり、普段体験できないことを経験してきた中で思ったことは、障害を抱えて新たに病を抱えるということは、大変なことだと実感しました。
家族もヘルパーも非日常を送らなければなりません。すぐに治るだろうと当初は考えていましたが、今となったらそう簡単には治らないし、時間がかかると覚悟をし直しました。
身体障害者が病気になるということは、何十倍も苦労しなければならないと感じました。
今回、2回目の治療はお尻の病気に強い有名な病院を選択しました。
障害を抱える私にとっては条件はあまり良くなかったのですが、腕はピカイチで、手術を受けて間もなく「あら?切ったの?」と言う程度の痛さでした。
私が言いたいのは、病院選びです。自分が何を選択していくのかです。
1回目は選択肢や知識がなく、紹介してもらってそのまま手術と言う道を選んでしまったのです。
ここで最初から2回目の病院に受診して、セカンドオピニオン的な事も考えられたのです。知識がない事はいかに怖い事かわかりました。
病院側が例え障害者に弱くても、腕がピカイチだったら、回復までのアフターケアは充実しているだろうと思いました。
入院生活は恵まれてはいませんでしたが、これも私が大腸肛門科の有名な病院と医師を選択した中でたまたま地獄と天国を味わうことになりました。腕が良く、さらに自分に合った病院を見つけるという作業はかなり難しいと感じています。
また病院関係者に差別的な扱いをされて、どれだけ嫌だったか。元気になったら自立支援センターに連絡し、このことを一部始終伝え明らかにして、体質改善のために私達が声を上げて病院関係者や世の中の障害者を取り巻く環境を変えていかなければならないと感じ、今こうして文章を作り、訴えに向けて少しづつ書き留めています。
格言として言えるなら、健康第一で日常生活を送って、万が一病気になった時何を優先していくか、自分の病気を調べ病院を探す。その病院は自分にとっていいかを良く考えるべきだと思います。
体に異常を見つけたらすぐに受診する事と、1回の診断で決めずに、いくつかの病院を受診する事をお勧めします。ネットで障がい者にやさしい病院サイトとかあると便利だと思います。
重度身体障害者の1年に渡る痔ろうと診断されるまでの道のり。1度目の医師による判断ミスで痔ろうの診断をされず2度に渡る手術を経験しました。
この経験は障害や病気のお持ちの方に経験してほしくありません。二重の苦労を背負うことになってしまいます。この事を1人でも多く知ってもらいたく重度身体障害者の痔ろう体験記を書く事にしました。
お尻を患ってから1年が経過しました。その間に身体機能も低下して、さまざまなことを変更しなくてはいけない現実と戦ってきました。この1年苦しみましたが、障害が重くなっても私は私なのでこれから考え方を変えて前向きに生きていこうと思います。
これは障害者痔ろう体験記として世の中に広めていきたいと思っています。
読んで何かを感じて受け取ってくれればうれしいです。
この物語は終わりたいと思います。
最後に完治宣言が出て携帯でお尻を撮影しました。
この続きはまた何かの機会に皆さんに報告が出来ればと思っています。
次は痔ろう体験記ではなく、明るい話題で会いましょう。
最後までお付き合いして下さりありがとうございました。皆さん体にはくれぐれも気をつけてください。
【完】
・・・その後、特例で車椅子を作り、半年かけて出来上がりました。
体力が落ちてしまったので、せっかく作った車椅子に乗って外出することが難しい状態が続いています。
お尻の方は1年以上経った2018年11月中旬になっても、まだ完全に肉が上がりきっていなく長い時間は座っていられませんし、時々腫れたり下着に汚れが付きます。なんだか嫌な予感です。
本当の意味での完治はまだまだ時間がかかりそうです。でも前向きにマイペースで暮らそうと思っています。
ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
著者のNatsumi Fukadaさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます