22歳上の彼女と暮らして見えた母の姿④

前編: 22歳上の彼女と暮らして見えた母の姿③

長男との奇跡



この奇跡の話は、僕と妻が出会う前のことだ。



長男が大学生だった、ある冬の日の出来事。

彼は原付に乗って走行中、追い越してきたタクシーがウィンカーを出さずにいきなり左折してきて、巻き込まれた。

飛ばされたあと、下半身を触った彼は、一瞬で自分が「下半身不随」になったことに気付いたらしい。


腰椎の一部が粉々になり、神経を損傷した。



救急で運ばれた医者からは



「一生寝たきり」


「社会復帰はありえない」


「死ぬまで病院をたらい回し」


ということを告げられた。
この医者は、指導医をするほどの先生であり、自分が彼に対して無理と言うことは世界中のどこにいっても無理だと言い放ったらしい。


僕なら(普通なら誰でもそう思うはず)それだけすごい医者が言うことなのだから、絶望してしまう。これからどうやって生きていこうとか、将来への不安や恐怖でいっぱいになると思う。
もしくは泣き崩れて、何も考えれないということもあるかもしれない。


でも、彼女と長男は違った。

事故当日、医者の説明を聞きながら、彼女は「どうやったら歩くのだろうか」ばかりを考えていたと言う。さらに医者が無理というなら専門的なことは一切信じず、ただひたすらに、自分の感覚を信じてやり切ろうと考えていたらしい。


そんな彼女は長男に、



「脳にストップをかけるな。」



そう言い続けたらしい。



普通だったらあり得ないし、僕だったらそんな風に考えられない。
そしてさらにすごいのが、長男が彼女の言葉を信じて、それに向かってやってみようと思えたことだ。


彼女と長男の信頼関係がなければ、こうして信じ合うことはできないと思う。


それから、二人は独自にいろいろなことを試行錯誤ていった。

6カ月後、長男は歩くまでに回復して、退院した。


入院していた大手病院では、

「病院始まって以来の奇跡」


看護師さんの間では

「私たちの仕事を改めて考えさせられました」

と言われたという。



この話を聞いた方は、奇跡の感動話として受け取る方が多いのだけど、彼女から伝わるのはまったくそういったものではない。

むしろそうして捉えてしまうと、この「奇跡の話」の真意が伝わらない。


ここでの本質は「信じることの大切さ」であると僕は思う。


自分もそうなのだけど、何かを信じ切るというのは簡単なことではない。
僕も大層なことを言っているけど、どんなことがあっても何かを信じ切れるかという意思の強さがあるかというと、自信はない。

でもこの話を通して彼女と長男は、信じることが何事においても大事であるということを目に見える結果で証明してくれている。

彼女は「最高の母親」だと思っている。


人間の可能性を信じ切り、その存在全てを受け容れる。

そうすることで、子どもは母親に対して、絶対的な信頼を抱くと思う。

僕は彼女から多くの気付きをもらっている。

だからといって、彼女のように考えることは簡単ではない。

でも正直になって、自分の良いも悪いもを受け容れていくことで、本来の自分に近付くのではないかと思う。



この4回のSTORYにわたって、僕は自分の母親と、彼女の母親としての姿を伝えた。



今、お母さんである方へ。

これからお母さんになろうとする方へ。

伝えたいことがある。



あなたの子どもを信じてあげてほしい。



そのためにはまず正直に生きてほしい、そして自分自身を信じてほしい。

自分が正直に生きていないと、子どもはもちろん、他人を信じることもできない。



僕自身も、自分を信じています、なんてまだまだ言えない。

でも「自分の気持ちはこうなんだ」ということを自覚して、それに正直になれば、きっと楽に自分らしく生きられると思う。

親の意見や、周りの意見に流されても幸せにはなれないと僕は思っている。

自分らしく生きることが出来た時に、本当の幸せがあるのではないか。

彼女の子どもたちは、全員がそれぞれ自分を生きていて、僕よりずっと幸せそうだった。

それは、お金とか、学歴ではなかった。








これからどんなことが起きるかわからない。

そんなときにこそ、自分に正直になることを忘れないでいたいと思う。




最後に、彼女がいつも言っている言葉で終わりたいと思う。






「信じることは愛すること」

ーMahiro Shuー


(終わり)

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