何も特技のなかった元保育士の私が、時間もお金も自由になって好きな場所に行ける理由
仕事面でも人間としても尊敬できる師匠となりました。
私は最初は保育士としてできないことも多くありましたが、
いつも見守って丁寧に教えてくれました。
毎日仕事に行くのが楽しかったんです。
そのおかげで、保育士として私はぐーーーんと成長。
どんどんスキルを身に着け、保育士としてある程度認められるようになってきました。
他の人より子どものことが分かるときも多くなってきた、という自負もありました。
「大変なことも多いけど、子どももかわいいし、やっぱり天職だな~」
とやりがいを感じていました。
そんな時、保育士公務員試験は相変わらず受けていたので、
ある市の試験に受かりました。
受かった市で経験を積み、
地元でまた保育士として採用されたらいいな~と思いました。
受かった市に正式就職しました。
正式採用されるが人間関係がひどい…
さて就職先。
スキルをもって就職したから子どもとの相性はよく、仕事面でも認められたんですが、
ブラック保育園だったんです…
保護者の方の見栄えをすごく気にする保育園で、
手取りの給料が18万円なのに、
発表会の衣装を、
スタジオアリスの衣装並みに豪華なものを作らないといけないので、
衣装の布代は
「7万が自腹が普通」とか…
(給料の半分?!
どこの市に聞いてもそんなことはやっていないと言われる…)
冗談抜きでほんとにこんな感じで作ります↓
そのスタジオアリス並みの衣装をクラスの15人分位作らないといけないので
寝ずに作る日々が続き、
さらに日中保育で子どもと外を走り回らなきゃいけない…とか。
それでみんな寝不足になるから当たり散らされる、
とかの謎すぎるループが、当然のこととなっていました。
運動会とか参観日とか行事に向けての時期は、
子どもが遊ぶ保育中は、本当は一緒に遊ぶのが当たり前なのに、
本当は必要のない豪華すぎる大道具小道具を
子どもを無視して作るのが一番、
という文化でした。
その時期は子どもを外に出してのびのびと遊ばせることもできず、
子どもを室内でほったらかし、
子どものエネルギーも有り余って目も行き届かずケガ…とかもありました。
個人情報保護に厳しい業界なのに、
子どものことをこまかく書いている資料は、
保育園で書いたら厳重注意され、
家に持ち帰って書くように言われ、
だいたい休みなしでまた出勤とか…
人間関係も、保育園じゃなく幼稚園の業界の人も知っていたくらい
有名なやっかいな人もいて、みんな振り回されましたし…
なのに、給料は18万円から上がる気配がありません…
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