平凡に生きてきたつもりが、一億分の一を引き当てていた話。~あと血液のがんになった話~
(この先生には、これ以降とても長くお世話になることになります)
隣には、若い女性の研修医さんが控えていて、熱心にメモを取っています。
私はこの間もずっとボロボロ泣いていたので、研修医の彼女は私のティッシュ渡し係にもなりました。
「生検とPET検査の結果が出ました。」
「悪性リンパ腫です。ホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫があるんですが、今回は日本では発症頻度の低いホジキンリンパ腫です。近年20代の若年層の間で増加傾向ではあります。」
「血液のがんで、白血病などと同様の扱いです。」
「年間10万人あたり約10人疾患します。この型(タイプ)は少ないので、10万人に一人ほどです。」
「縦隔の腫瘍が大きすぎるので、現時点ではステージⅢです。これで骨髄にまで浸食があれば、ステージⅣになります。」
「では、今からマルクという検査を行います。腰のあたりから骨に注射して骨髄を採取します。骨に針を入れるので、一部骨を砕きます。」
ヒエッ、と声が出ました。
先生は眉ひとつ動かさず、では10分後。と言って、席を離れました。
恥ずかしいことに、処置室に連れていかれ、さあベッドにうつ伏せになって背中を出してください。
と言われても、なかなか言うことを聞かず10分ほど駄々をこねました。
その日は両親が付き添ってくれていましたが、10分後処置室から
う゛ぁぁぁあ゛ーーーーー…
という、おおよそ女性らしからぬ声が聞こえたそうです。
幸い骨髄への浸食はなく、ステージはⅢでした。
「治療」
6月13日、治療の為の入院の日を迎えました。
投薬が始まる前に済ませたほうがいい、という看護師さんの勧めで、肩口程に伸ばしていた髪を切ることにしました。
病院の中の美容院、って何のダジャレだろうと思いながら、看護師さんに連れられて院内の美容院につきました。
席に着いた途端、美容師さんは、どうせ抜けるんでしょ?と言うが早いかザクザクと髪を切り始めます。慌てて静止して、せめて近々来る見舞い客に見せられる程度には整えてください。とお願いすると、不思議そうな顔をされました。
14日、抗がん剤を投薬する際に使う、CVポートという器具を左腕に入れる手術を受け、15日にはいよいよ抗がん剤の投薬が始まりました。
『ABVD療法』という、使用する4つの薬剤の頭文字をとった治療を、二週間に一度のサイクルで行います。2回の投薬で1クール。計8クール行うことに決まりました。8か月の長い治療です。
最初の1か月は入院しながら治療。問題なければそれ以降は通院での治療になります。
最初に呼吸器外科の先生が言ったように、一番心配していた吐き気の副作用は「いい吐き気止め」のお陰で、当初心配していたほど強くは発現しませんでした。
ですが、もう一つの副作用は防ぎようもありませんでした。
投薬して約2週間後、ある日の夜に病院内の浴室で頭からシャワーを浴びていると、手にゴソッと嫌な感触がしました。シャワーを浴びても浴びても髪は抜け続けてキリがなくて、その場でしばらく座り込んで泣き続けました。
見舞客には会う勇気もわかず、結局家族以外面会謝絶としました。
「不安」
さて、このたった一カ月弱の間に数えきれないくらい切ったり刺したりされたせいで、私は一時的に先端恐怖症のようなものを発症してしまいました。
目をつぶると瞼のすぐ上に注射針が近づけられている気がします。
目を開けていても背中や腕、首筋など、一度でも手術を受けた場所には常にメスが当てられているように感じてゾワゾワします。私はすっかり眠れなくなってしまいました。
主治医の先生に症状を訴えると、メンタルケアを担当する精神科の先生を呼び寄せてくれました。
「不安になったら目を閉じて、数を数えながらゆっくり息を吸って、吐いて。」
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