就活から逃げてフィリピンにいたるまでの物語〜マジョリティからマイノリティへ〜

どうもこんにちは

友人の名前でググって遊んでいたところ面白そうなブログを書く当サイトを見つけたので自分もお暇つぶしがてらに少しずつ書き始めていこうかとおもいます。
就活において大事と言われる自己分析も兼ねているので、誤字脱字、読みにくさはご愛嬌・・・

それでは簡単な自己紹介から!

居住地 関西
現在地 フィリピン
帰国予定日 もうすぐ
学位 大学生3年生

こんな感じですかね。

それではタイトルにあるようにフィリピンに着た経緯のまえに、僕の人間性も含めて読んでもらったほうが楽しいかな〜と思うので日本の大学までの話も踏まえてじっくりのんびりと書いていこうかなと思います。

今回は大学入学までを書こうかな

遡ること自分が高校生の頃

当時友達には恵まれたものの彼女がいなかった自分は部活が恋人でした。
そりゃもうがんばってました。
今でも多分問題になると思いますがぶっちゃけ殴られたこともありました。
しかし、それでもやり抜いたところ、高校三年にはインターハイ出場!

ええ、やってやりましたよ。
二回戦で敗退するものの自信をもってがんばったと言える数少ないものの一つです。

あ、競技は何かって?

ハンドボールです。

競技人口が日本ではまだまだ少ないのからインターハイでるの簡単なんじゃね?
と思うかたもいるでしょう。

まあ、あながち間違いでもないでしょう。。。

まだまだこれからメジャーになって欲しいと祈るばかりです。

ちなみにインターハイ出場後は国体の選手にも選ばれましたが、試合当日風邪をひいており、なかなかなんともいえない活躍をして、全部の試合に負けブロックで勝ち上がることなくあっさり終わりました。

さて受験じゃ!

切り替えて受験モードとなった私。

頑張りましたが、「8月から始めた勉強始めたやつ受からせてたまるかww」と誰かに言われた訳ではないですがあっさり落ちました。

今時めずらしい?背水の陣作戦で第一志望しか受けなかったためあえなく浪人生活を余儀なくされました。

ちなみに僕は自分以外に滑り止めを受けていない人は見たことがないですがみなさんいかがでしょうか?

浪人だし河合かな?駿台かな?

いいえ宅浪です。

いやーきつかった

たった23年の人生ですが一番きつかったです。
本当に発狂しそうでした。

なにがきついって?

勉強なんか屁です。

きつかったのは誰ともはなせないこと!

後々知ったのですが人はコミュニケーションをとないと狂うそうですね。
あぶなかった。。

最初の方は
友「バイトも始めるし、毎月飯おごったるわ〜!」

僕「あざーすっw大学生太っ腹〜」
と仲の良かった高校の友達と話していました。

・・・そう。最初の方は

ご飯に言ったのは累計2回

この辺りから人間不振のタネが自分の鉢にすっと植えられた気がします。

まあ正直友達の気持ちはわかります。
大学楽しいし、お酒も年齢的にはアウトだけど飲んだりして楽しい!
そんな時に浪人してるもっさりしたやつに会いに行かないよな〜・・・

てな訳で8月まで淡々と勉強してた僕。
9月の模試で志望校余裕のA判定www
しかも志望者の中でのランキングも1位でした。


ここで勝ちを確信したのがいけなかった。

今まで勉強に集中していたが他に目を向ける余裕ができた分、いろいろなことが気になり始めました(なんかJ-popの歌詞みたい)

snsをひらけばもちろん友達の投稿が見られる訳です。

そこでは大学の様子をあげる友達が

「こいつ授業中ゲームしてやがるやべぇwww」

「あー今日自主休講しちゃったー単位やべーww」

は?

ここで正義の権化の大激怒(実際はイラっとしただけ)
いやいや、タッカイ金払って大学行ってなにしとんじゃこいつらは?
俺はこんなにも入りたくて頑張って勉強しているのに・・・(自分もさぼる日がくるとは知る由もない)

とかなりイライラしました。

おまけに高校の友達は気を使ってくれているのか、大学が楽しすぎるのか誰も全然連絡をくれませんでした。

今思えば楽しそうな環境に嫉妬していたのでしょう。

そして、自分で言うのもなんですがかなり異性とコミュニケーションを取るのは好きな方です。
・・いやお話をするのが好きです。

なので最初10月ごろは「女の子としゃべりたいな〜」と思っていたのですが、
だんだん12月にもなると「だれでもいいから喋らせろ!」となっていきました。

当時自我を正常に保つために日記をつけていましたが、受験が終わったあと読み直してみると自分で怖いと思うほどにやばかったです。

そんなことを考えていると最後の模試でなんとC判定をいただきました!!w

余裕だったはずが打って変わって、五分五分の状況。
試験当日は本当になにもものが食べられず、試験は緊張しすぎて終わった後筋肉痛になるという・・・(緊張すると体がこわばって筋肉痛を引き起こすタイプだとこの時知りました)

いよいよ結果発表の日

怖すぎて前日、たくさん親と話をしました。
もしダメだったらどうするか。もう一度浪人するか。それとも海外に行くか。

親も相当なストレスだったのでしょう。この時は流石に家庭内も荒んでいた気がします。

朝10時に発表でネットで見られるようになるのですが、時計を何度も確認しながら待ったのを覚えています。

そしていざ10時になるとなぜかベットで布団にくるまり急いでサイトにアクセス。

結果は・・・


合格!

布団の中で叫びましたね。

今思うとこの浪人した1年間本当にあってよかったと思います。
ちょっと立ち止まって考えるということができるようになりました。

というのも今までずっと集団で同じことをやると言うことに慣れていたのが初めて宅浪というマイノリティ中のマイノリティになったからです。

マイノリティになるということは自分で考えて行動すること。

だと思います。
マジョリティだとあまり考えず、ただ集団の中の他の人と同じことをする。
という風になってしまう気がします。(あくまで個人的な意見です。)

浪人することで現役で大学に行っていれば考えなかったであろう、
「大学に行く意味」「他人との関係」について考えました。

この経験も今フィリピンに自分がいるということに繋がっている気がします。


それでは次は大学生活について書こうかと

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