「対人恐怖で入院していた僕が夜の世界に入り、○○になった話」


高校時代に遊びと部活とバイトに夢中だった僕は
現役での大学合格に失敗し、
浪人する道を選んだ。


どこにも遊びに行かず、
友達にも合わず、
予備校と家を往復する毎日を送っていた。

1浪して受かった大学は中堅大学、トップレベルの大学へ行きたかったので、
2浪することにした。

そんな生活を1年以上続けていると、
いつしか、人とどうやって接したら良いのかが分からなくなり、
人と話すときに異常な緊張を感じるようになってしまった。

こんなはずじゃないと自分に言い聞かせればするほど、緊張が酷くなっていった。

それは対人恐怖症の始まりだった。 


ストイック過ぎる生活がたたり、心が壊れていったのだ。


次第にうつ状態になり、未熟な僕は死を考えるようになった。

死ねば楽になる。

この状態から解放されると。

でも、浪人までしたのだから、最後に大学合格はしたい。

それは何としてでも達成したかった.

そして受験し大学合格した翌日、
自殺を図った

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僕は海の奥深くに沈んでいった。

このままもっと深くに沈んで行くのかと思っていると
どんどん体が海面に向けて上がっていく。

そして、海から顔を出す所で目が覚めた。
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僕は意識を失っていていて、
目が覚めるとそこは病院のベットの上だったのだ。



手首には包帯が巻かれていた。

ベットの横で母は何も言わず、僕の手を握っていてくれていた。

僕の対人恐怖症の事をすべて話すと、
母は受け止めてくれた。

僕は本当は生きたかった。


誰かに助けてもらいたかった。

こんな事になる前に母に相談をするべきだった。

しかし僕は理解されないのでは
と思い込んで言えないでいた。


退院後、僕は生きる道を探した。

生きるしかなかった。


でも、対人恐怖で何もできない。

人が怖かった。

アルバイトの面接にいけない。

友達に会うのも怖い。

お店にすら入れない。

大学へ通う事もできないので入学も諦めた。

とても悔しかった。


精神科にかかると、神経症と診断された。

初めて聞いた言葉だった。

神経症には対人恐怖以外には手を洗い続ける不潔恐怖などがある。

薬を飲んでも効いてるのか分からなかった。

解決策を求めて色んな病院に行ったのだけれど、3分診療で出されるのは薬だけ。

他に解決策はないのかを調べまくった。

すると、「森田療法」という精神療法というものが僕にはぴったりだと分かり、
すぐに森田療法を行っている大学病院の専門医に見てもらい、入院することになった。

精神療法には、「認知行動療法」などがある。

精神神経科への入院。


まさか精神神経科へ入院するなんて、、、

高校生の頃の自分とはまるで人が変わったようだった。

今頃は大学生活をエンジョイしているはずだったのに。そんな生活は叶わなかった。

入院生活は朝の7時起床。

朝食を他の患者さん達と一緒に食べて、

「朝のミーティング」

「動植物の世話」

「掃除」

「犬の散歩」

「夕方の卓球」

「夜のミーティング」

で一日が終わる。

夜は10時に就寝。

そして、
週に2回のカウンセリングに毎日の服薬。

薬を飲む事以外は健康的な生活だった。

精神科へ入院というと、鉄格子が窓に着いるのを思い浮かべるけど、
今でいう、シェアハウスみたいな感じだった。

こんな方法で本当に治るのか、社会復帰できるのか不安でいっぱいだった。

3ヶ月の入院期間が終わり、工場でのアルバイトから社会復帰を始めた。


バイトの面接にいけるくらいには回復はしていたのだ。

徐々に人と社会に慣れていくようにし、毎日をとにかく忙しくした。

「忙しくして症状の事を考えないようにする。」

これは森田療法で学んだ事だ。

入院したからすぐに治るわけじゃなかった。

入院時に学んだ事を社会生活の中で実践していくしかなかったのだ。

バイト内容は工場での単純作業だが、バイトができるようになったのは僕にとっては進歩だった。

症状を治すために、接客のバイトをしたかったので、工場のバイトは辞めて、
宅配寿司のバイトを始めた。

そして、接客、電話応対などに慣れ徐々に社会と人にも慣れていった。

バイト先では久しぶりに同年代の仲間ができて楽しかった。

「大学のサークルはこんな感じなんだろうな」とふと思ったりした。

宅配バイトは夜遅くまでのシフトが多く、風俗街に届けるのは毎度のことだった。

いつものようにお得意様のキャバクラに毎日のように寿司を届けていたら、
ママに顔と名前を覚えられ、

「うちでバイトしない?」
と誘われた。

夜の仕事なんて別の意味で怖かったので断り続けていたが、配達のたびに誘われる。

ママからは
「分かった。じゃ~あ~、1週間だけのお試しバイトはどう?」
と提案された。

悪い人じゃなさそうだし、とりあえずやってみる事にした。

夜の世界に偏見があったが、やってみないと何も分からない。

僕には失うものもないので、「お願いします!」と頭を下げた。

仕事はキャバクラでのウェイター。

20歳の僕は夜の世界で働く事になった。

そこはキャバクラといっても、いわゆる高級ホステスクラブ。

成功者が常連客だったが、中にはその筋の方もいた。

ここで「何か」を学べると思い、宅配寿司のバイトは辞めた。

その界隈では一番大繁盛しているお店だった。

休憩時間がない程に忙しくて大変だったが、症状を忘れるのにはうってつけだった。

半年ほどするとバイトなのにウェィターからホステスを使う立場に昇格した。

そして、ママからは
「ホステスを席から席へ移動させる仕事」が評価された。

この仕事は下手な人がやると
「何で女がつかねーんだ!」とすぐにクレームに繋がる。

また、この仕事はホステス数以上のお客さんが来た時に腕が試される。

かなり頭を使い、女の子を上手く乗せて使う仕事だ。

そんな時のテクニックはいくつかあるが、ホステスが足りなくて本当にどうしようもない時は自ら客席に座った。

しかし、まだ対人恐怖があり、お客さんと話すのが正直怖かった。

薬(抗不安薬)はなるべく飲まないようにしていて、いざという時だけ使った。

薬は持ってるだけでも安心材料にもなる。

お守りみたいなものだ。

「怖い」感情に何とか向き合い、恐怖から逃げないように仕事をした。

これは入院中に教わった事だ。

「緊張してもいいからやるべき事をやる」


ただそれだけだけど、対人恐怖症の僕には一番難しい事。

夜の仕事だけど、自分の居場所があったせいか何故か居心地がよかった。

黒服を着て、
ホステスを使い、
成功者を相手に接客している自分が一年前の入院時からは想像ができなかった。

少しだけ自分が誇らしかった。

ホステスは同年代か年上で初めは可愛がられたが、使う立場になると衝突する事もあった。

ある時、僕が客から殴られて蹴られ、床に倒れるという事件があった。

控室で休んでいると、その時に衝突していたホステスが氷を持って
「腫れちゃうから」と手当をしてくれた。

こんな世界でも人の暖かさを感じた瞬間だった。

そこでのバイトは週6で出勤し、3年間程続けた。

そんな中、周りの友人は大学四年になり、大企業への就職先が決まっていった。

さすがに僕は焦った。

「このまま夜の世界にいつづけるのはまずい。」


そうはいっても、学歴も職歴もない。

対人恐怖症がまだあったので、一般企業への就職は最初から諦めていた。

そんな時にキャバクラを運営している事務所からうちに就職しないかと声がかかった。

そして、そのままズルズルと就職する事になった。

こんな僕でも一応就職できた。

パソコンを使うデスクワークは現場とは違い新鮮だった。

悪いことはしてないが、
夜のビジネスには変わりはない。

対人恐怖がまだある僕には、新しい所に行く勇気がなく仕方なかったのだ。

居心地のいい場所が安心だった。

しかし、支えてくれていた母には後ろめたかった。

そして、そんな時に母にガンが見つかった。

事務所での仕事には症状はあったけど、徐々に慣れていった。

しかし、
次第にお店の売り上げが減っていき、就職して3年ほどで会社は倒産。

今まで
「夜の世界から抜け出せない人」
「一般社会からドロップアウトしてお店に働きにくる人」
を見てきていたので、
次は「普通」の仕事に就きたかった。

みんな普通の人生ではなかった。

その頃には彼女がいた。

それも「普通」の会社へ就活をしたいと思うきっかけにもなった。

彼女とは真剣に付き合いたかったので、付き合う前に僕の過去を全て話した。

普段は時計で隠している手首の痛々しい傷も見せた。

しかし彼女は意外にもこんな自分を受け入れてくれた。

「あなたに変わりはないから」と。

こんな自分は受け入れてもらえないのではと思い諦めていたのに、意外だった。

意外すぎて、ビックリした。

そして、
この頃には、対人恐怖症から抜け出していた。

症状を忘れている自分がいたのだ。

今でも緊張する事ももちろんあるが、普通の人並みだと思う。

壊れた心が治ったのだ。

元の自分にやっと戻れた。

ここまで来るのに、7年かかった。

長い自分との戦いだった。

本当に苦しかった。

26歳にして初めての就活。


「普通」の仕事に就く最後のチャンスだと思った。

とりあえず求人サイトに登録し、興味があって、スキルに合いそうな会社に応募し、面接を受けた。

しかし、高卒では相手にしてくれない会社がほとんどで、数えきれないくらいに落ちた。

まずは書類で落とされる。大卒の強さを思い知った。

キャバクラで活躍していようが「普通」の会社では夜の仕事の時点でマイナス評価。

3ヶ月間の就活を粘り強く続けて、ようやく商社から内定を得た。

キャバクラの事務所では色んな店舗のホステスの管理、店長とのやり取りをしていたので、
そこが評価されたらしい。

筆記試験では受験勉強での知識が役に立ったし、面接もキャバクラでの接客経験が生きた。

点と点が繋がり、人生に無駄な事はないのを実感した時だった。

仕事は法人営業。

またしても未知の世界だ。

商社と言っても大手ではなく、中小企業。

高卒の僕には良すぎる環境だ。

先輩や同僚は有名大学出身がゴロゴロといた。

そして、「普通」の会社での仕事が始まり、彼女と結婚をし、息子が生まれた。

対人恐怖症になった時には
「結婚なんて絶対にできない」
と思い込んでいた僕は、自分の息子を抱いた時に号泣した。

生きていて本当に良かった。

あの時に死ななくて良かったと心の底から思った。

こんな僕を受け入れてくれた妻には今でも本当に感謝している。

はじめは右も左も分からなかったが、
徐々に仕事に慣れていった。

そして、入社3年目には社内でトップ営業マンになった。

営業ができたのは、
キャバクラでの接客の経験が生きているのだと思う。

今の姿を母に見せたいが、母はいない。

今の会社に入る前に母はガンで亡くなったしまったのだ。

僕は母のお墓参りに行くたびに、

「やっとまともになれました。天国で見守っていて下さい。」

と報告している。
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初めて公の場で自分の経験を公開しました。


僕の経験が対人恐怖などの心の病で苦しんでいる方の為になれば嬉しいです。


絶対に自殺なんてしてはダメ。


きっと助けてくれる人、理解してくれる人が近くにいるはずです。

みんなの読んで良かった!