Eternally my heart~私の心は永遠に~
すごく好きで忘れられない人はいますか?思い出すだけでとても切なく胸が苦しく涙してしまう人 夢の中にまであなたがでてきて やっぱり夢の中でもあなたが好きで すごく会えた事に幸せすぎて
でも目が覚めるとあなたはいない
それがすごく辛すぎて泣いてた
やっぱり私あなたが好きで
会いたくて会いたくて苦しくなる
夢の中でもいいからあなたに会いたい
会って話ができるだけで幸せだから
今日もまたあなたに会えますように
私には一人だけいます
その人に出会うずっとずっと前私が子供の頃の話からしたいと思います。昭和50年に生まれた私赤ちゃんの頃は何も覚えてなく気づいた時は6人兄弟の長女貧乏子沢山って今なら笑って言えるけどその頃は笑ってなんていれなかった。父親は朝から酒を飲み仕事もしないで飲んでは暴れ飲んでは暴れ六畳四畳半のボロ屋。昔の木造市営住宅今では少なくなりつつある。そんな家が暴れに暴れる父親のせいでさらにボロくなり、窓ガラスなんてものは入れる端から蹴って割る。ガラス代もなくいつしかダンボールをはりさむさをしのいでた。私と1番下の弟とは9歳しか離れてなく母親はいつも妊娠してる感じでもちろん仕事はしてなく家は生活保護。家に電話もエアコンもなくお風呂は五右衛門風呂。この話をすると昭和何年生まれかって。笑われるけどこの五右衛門風呂が厄介で釜にひびがはいってたせいでお風呂を焚くときポタポタと水が落ちてくる。火をつけるのにオガライトっていう物があってオガクズとかを固めて出来てるんだと思うけどトイレットペーパーの用な形でできてるのとこげ茶色の鉛筆みたいな形が大きくなったものを上手く重ねて火をつけるけど落ちてくる水が厄介で中々火がつかないうえ屋根がないから雨がふると濡れながら風呂焚き。家の中はいつもピリピリで食事の時も正座して会話もなく食べてた。私は特に緊張しながら音もたてずに食べた。汁をこぼしただけで私は殴られ蹴られいつも私だけボコボコにされてた。父親はアル中で幻覚を見るほど障子に虫が沢山いると言って火のついたストーブを投げ時には自分の身体にウジ虫がいると言って汲み取りだった家のトイレ昔でいうポットン便所ならどこにでもあるウジ殺しの薬。瓶に白い液体が入っててこれが臭い臭い。その薬を飲んで幻覚で見えてたウジ虫を殺そうとする馬鹿な父親。飲んで死ぬ死ぬとわめいて救急車を呼べと仕方なく公衆電話に私が行く。道中死ねばいいのにと思うが救急車も警察もいつも呼んでいたので来るのも早い。今ならくだらない事で呼べば逮捕されるがその頃はそんな事もなく、またかと思いながらも来てくれる。そんなこんなで父親は死なずに家の中は臭いウジ殺しの匂いだけが充満してた。精神病院を行ったり来たり、ずっと入院してて欲しいが病院の決まりかなんかで3ヶ月で帰ってくる。アル中の人は酒が身体から全部ぬけると正常になる事が多く、そうなれば帰って来るが薬物よりも簡単に買えるので正常になって帰ってもすぐ酒を飲んで暴れるの繰り返し。その度に私は殴られ父親と母親の喧嘩を止めた時、母親にお前を産まなければよかったと首を絞められた事もあった。私は何度死にたいと思ったかわからない。いつも私は神様にお願いしてた。どうして私だけ不幸なんだ神様助けてお願いお願いしますと何度言ったかわからない。ある時中学の授業で血液型の勉強をした。その時私はいつも殴られ蹴られしてた理由がわかった。父親と母親の血液型で私の血液型は生まれない事。私は父親の子供ではない事。その時あった授業の後、学校のトイレで泣いた。思春期だった私は誰にも相談する事もなく中学を卒業し高校に入学したが1年の夏休み家出した。
あの頃の私は 逃げ出す事もできずに
ただ神様を信じて 泣くだけだった
あの頃の私は 神様がいない事を知り
辛い現実から逃げ出した
田舎育ちで世間も知らない15歳の私。結局その頃に知り合った年上の男。それも19歳年上そこに転がりこんでココにいればあの父親から逃げれるってだけの甘い考えだけで本当にバカだったなって後で思った。15歳で妊娠16歳で出産。その19歳上の人と結婚したのはいいんだけとある時その夫がおかしい事にきづいた。妊娠してちょっとした頃は夜中に寝室とは別の部屋で全裸になってゴソゴソ部屋中動き回ってブツブツ。どうしたの?って聞くとちょっと暑くてと言ってごまかしてた。その事があって私は夫を監視するようになってたけど15歳の私はまだ子供で相談する人もいなくて気づいた時は夫はシャブ中( 覚せい剤)で前科ありありのヤクザ屋さんでずっと私にはわからないようにしてたみたいで私が現実を知った途端に全てをオープン。薬がきれかかった時は身体がキツいみたいで私を殴る蹴る。私は16歳ので女の子を産み母親になった。地獄はこれからスタート。正月、クリスマス、誕生日、いろんな祝い事や家での飲み会など人が集まり最後はシャブパーティ。私は子供と別の部屋に隠れてた。夫に異変が出始めたのは私が2人目を出産18歳で女の子を産んだ後ぐらいからで正直どれくらいの日数で薬をしてるかわからなくて幻覚、幻聴がすごくて窓から外を見ては誰かいるとか言って庭木が人に見えるのか夜中でもチェンソーで木を切り、家の天井で音がすると言っては天井にあがりこんで一日中夫に見えてる何かを探して時には床下をはいでそれも100坪位ある平屋の床を次々に一晩中剥いでいく。私は産まれたばかりのの子と2歳になる上の子を抱き抱えては何度夜中に逃げ出したかわからない。私自身このまま一緒に居たら頭がおかしくなると思ったが怖くて離婚も言えないまま半年が経った。ついに夫は頭が狂って私と2人の子供が寝ている布団に男がいると言って包丁を刺した。私は2人の子供を抱えて着の身着のまま逃げてこのままだと私たちは殺されると思いその足で警察に行った。すべてを話、警察の人が準備してくれたビジネスホテルに泊まり翌日夫が逮捕された。その後拘置所から刑務所に送られた夫、私は刑務所に離婚届を持っていき渋々サインした夫。そんな夫に一つだけ感謝している事それは私に覚せい剤を打つことも強要する事もなかった。私自身が薬に手を染めてたらと思うと本当に怖い。本当にその事だけは感謝してます。
行くとこも帰るとこもない私
小さな手を握りしめ
抱き抱える重みに耐え立ち止まり考える
生きる事を
小さな手を繋いで抱き抱え歩く
大丈夫 頑張るからね
18歳ですでに2人の子供がいる私。泣いてる暇はなく、求人誌から見つけた夜の店。もちろん寮、託児所完備の所。電話して面接。仕事を選ぶ事なんてできない。採用が決まり地元を逃げるようにして出た。始めは辛くても我慢して仕事してたけどお金に少し余裕ができ毎日育児と仕事の繰り返しが嫌になり始めてる自分がいた。その頃知り合った店の客がいていろんな辛さからまたそこに逃げた。店を辞め子供2人を連れその客の所に行った。
一人でね大丈夫と思って
頑張ってみたけどね
やっぱり一人じゃね
限界があるって事知ったよ
身体じゃなく心がね辛くなるんだ
2度目の結婚をした。20歳で長男を産んだ。夫は仕事をしてもすぐ辞めてギャンブルばかりで家計は火の車。仕方なく産後1週間で飲み屋に働き家計をやり繰りしてたけどそんな事ならまだ我慢出来たけど連れ子2人の娘に虐待。正座で食事をさせ物をこぼしたらロウソクを垂らしたり私がいる時は殴られてもとめてたが私が仕事に出てる間は不安に思いながらもお金がないから仕事もしないといけなくてだけど不安が的中仕事終わって朝下の2歳の子が起きなくてどうしたのかなって思ったら上の子がパパが背中を蹴ったと話子供の背中を見て青く腫れて起きるのがやっとだった。その日私は子供3人を連れ夫がいない隙に市役所に相談にいき子供3人を施設に預ける手続きをした。離れるのは辛いけど住む所もお金もなく今のままでは子供たちを路頭にだけなのと怒り狂って探しにくる夫から子供を守らないといけないただそれだけ私だけなら何とかなるという思いで逃げ出した。
ママが弱いから
ママが逃げてばかりだから
辛い思いさせちゃってごめんね
本当にごめんね
ママ強くなって
必ず迎えに行くよ それまで待っててね
ゆびきりげんまん
そして私は知人の紹介で新たな土地でまた夜の仕事を始めました。その後色々ありましたがどうにか夫と離婚することができました。最初の離婚から音信不通にしていた母親に連絡をとりはじめて色々相談をしてた頃、弟から連絡があり母親が父親とやっと離婚する事になって住む場所がないと。私は子供を引き取るためにしてた貯金を使い家を借り母に協力してもらう形で施設から子供達を引き取る事ができた。そのかわり私は母、妹、弟3人、そして自分の子供3人のため昼も夜も働いた。正直キツくて涙したこともある。弱い自分がいて辛い現実から逃げ出したいと思う事もあったけど結局辛いことから逃げても同じって事。その時は良くてもまた辛くなれば逃げてを繰り返すだけって事。23歳の私はこれからの人生どんなに辛くても絶対に逃げないって心に誓って自分の体にその思いを彫った。一生消えない思いを。だから私は産んでもらった母にその思いを話して行動にうつした。決して後悔したくないから。その後も子供が成長していくにつれ書ききれない位いろんな事がありました。その話はまた今度話したいと思います。私は家から高速を使って1時間半かかる場所でずっと夜の仕事をしてたけど、その頃店の社長から自分で店をした方がいいのではと言われ26歳で自分の店をはじめた。夜の店といっても飲み屋とかじゃなく風俗店。華やかな感じはなく客引き、送迎、裏方まで何でもした。私自信日陰だとは思ってなくどんな仕事もでも目標を持って頑張ってする事に変わりなく恥ずかしいと思う事はないと
この職業は色々法律が厳しく、1年に1回から2回警察の取り締まり月があってあまり悪質な事をしていたら捕まってしまう。私の店はとりあえず捕まることなく4年経ち、日々の生活も安定。同じ事の繰り返しにつまらなさを感じてた30歳の私。その頃付き合ってた人、今までとは違い大学出の真面目な人(その後最低クズ男)がいて自分の子供が欲しいと言われ、私は3人目を産んだ後に子宮に避妊具をしてたから病院で外してもらった。その後1ヶ月で妊娠、娘たちも中学になり隠し事をしたくなかったのできちんと話した。ママが幸せになるならと賛成してくれた。妊娠最初の検査でがん検診があった。その後子宮頸癌の可能性があると言われ大学病院に紹介状を持って再検査。その時妊娠3ヶ月。リング外してすぐ妊娠した事お腹の赤ちゃんが病気の事教えてくれるために授かったのかななんて考えながら泣いちゃった。すぐに円錐形切除って手術しないとって言われた。赤ちゃんは大丈夫なのか心配で、普通は4cm切るんだけど妊娠してるから2cm切ってその先にがん細胞が残るかどうかって話。不安はあったけど、大丈夫大丈夫って自分に言い聞かせた。手術とか色々大変で何があるかわからないから早く籍をいれておきたかった私だけどなかなか籍を入れようとしない彼氏に怪しさを感じた私は彼氏が寝てる時に携帯をみたら会社の女性と付き合ってた。それも結婚してた女性で一緒になろうと離婚までさせて一緒に住むアパートまで借りようとしててその女性にも色々な嘘をついて騙してるの知って私は殺意すら感じた。最低最悪男 何度も話して相手の女性とは別れると泣いて謝ってくるので一度は許そうと そんなこんなで病気と男、不安を抱えての手術となった。手術は無事終わり結果切ったさきにがん細胞はなく後は出産後の検査をしてみないとって感じ。とりあえず赤ちゃんも元気で安心した私。
どうしていつもこうなるの
私の何がいけないの?って
自分自身に問いかける
退院後は彼氏の母親が心配して一緒に彼氏の家に住む事になった。その頃私の3人の子供達は学校とか友達とかと離れたくないとの事で私の実家で生活。私は1時間半の場所で仕事をしていたため週1休みの時に実家に帰る生活をしてた。彼氏の家に住みはじめたのはいいけど彼氏の行動がまた怪しく私の不安は的中。まだあの女性と別れてなく続いてた。私は怒りのあまり彼氏の母親に全てを話た私は別れて一人で子供を産み育てたいと伝えた。彼氏の母親も死んだ旦那さん(彼氏の父親)に苦労したみたいですごく真面目でひたすら働いてきた人そんな彼氏の母親が泣いて私に謝って別れないでほしいって。孫が生まれるの1番楽しみにしてたから見てたら可哀想になってココに居ることを決めた。その後その女性と私が話をして決着をつけた。その後3回目の結婚をした。そんな事があったからか夫は仕事を辞め仕事もしないで一日中家にいるようになった。私は大きなお腹で客引き、送迎などできることをした。お店は任せられる店長がいたので私が出なくても成り立ってたので安心して出産入院できた。12年ぶりの出産、予定日より2週間遅れてるのに陣痛がこないため促進剤を朝からはじめた。促進剤を打ち始めて少しして赤ちゃんの心拍が落ち緊急帝王切開いきなりの事で不安のあまり泣いてしまった。とにかくバタバタで手術室に。全身麻酔で目が覚めた時には無事、誕生していた。その日は私の32歳の誕生日。そんな日に誕生した男の子は人生最高のプレゼント。
ずっと忘れないよ
あの時守ってくれた事
本当にありがとう
ずっと忘れないよ
あの時産まれてきた事
すごく嬉しくてすごく泣いた
本当にありがとう
これからもよろしくね
ミラクルボーイ君
私は育児に仕事、夫に対するイライラからストレスで体重が95キロに。仕事は相変わらず風俗店経営。気付けば9年も営業してた。この11月警察の手入れに入られなければ10年目だねなんて話したりもした。忘れもしない11月2日21時、20人位の警察官が小さな店にいきなり入ってきた。本当テレビで見る感じお客も一人いて女の子も接客中。正直終わったと思った。風営法違反で逮捕。手錠をかけられパトカーに乗る。運転していた刑事が私の名前で驚いたと。小さい頃父親が暴れてよく警察を呼んでいたがその頃よくきていた刑事だった。私は笑うしかなかった。私の横にいた刑事なんかいきなり下の名前て呼び捨てで話してきて、なんだコイツ呼び捨てかよって思ったけどこの最近は家でも店でもママって呼ばれてたからなんか久しぶりに名前で呼ばれたなって手錠してパトカーに乗ってるのに不謹慎にもドキッとしちゃった。その呼び捨て刑事が担当みたいで取り調べで色々話してたら最初のシャブ中旦那の事も知ってて私の人生丸裸って感じなんだけど、なべちゃん(呼び捨て刑事)と話してるうちに私取り調べされてるのにドキドキして楽しくてしかたなかった。留置場にいてもドキドキが止まらなくて、なべちゃんの事考えて、取り調べの時間が待ちどうしくて仕方なかった。自分自身どうしちゃったのかわからなくて夜も眠れず、ずっと考えてた。取り調べ中ってずっと事件の事ばかり話するわけじゃなく、世間話したりたわいもない話をしたりとそんな中なべちゃんが言った。ここから出たら日陰の仕事じゃなく陽の当たる事、昼起きて夜寝るそんな生活した方がいいって。私なべちゃんの顔見れなくて窓の外を見て涙した。なべちゃんは突然泣き出した私にびっくりしちゃって何で泣くんだって聞くから私はそんな生活した事なんてないからわからないって泣きながら言った。次の日取り調べの時間になると留置場まで迎えが来る。なべちゃんがおはよう大丈夫かって聞くから大丈夫よ、昨日は泣いちゃってごめんねって。いつも明るく強そうなお前が泣くからびっくりしたってそんな話しながら取り調べ室についた。手錠外して取り調べが始まると思ってたらなべちゃんHappyBirthdaytoyouって恥ずかしそうに歌ってくれた。その日は私の34歳の誕生日。泣くなよ、泣くなよって言いながら。私なべちゃんの事好きだって。今までの好きとは違う好きって感じ。なんか34歳で初恋みたいな甘くて切ない感じ。それになべちゃんになら何でも言えて自分自身に嘘つかなくて本当に人生で初めて私が私でいられた。
いつも暖かく見守ってくれるあなた
まるで春の日差しのよう
いつも厳しく怒るあなた
まるで夏の太陽
少し冷たく でも暖かい
秋の風
そんな二人の恋は
辛く切ない 冬の夜空
だけど明日ココからでないといけなくて初犯って事もあり略式裁判で罰金50万。そして次の日留置場から最後のお迎えになべちゃん来てて、旦那迎えに来てるよ優しそうな旦那じゃないかって言うから外ずらがねって私返した後、私陽の当たる事するからきっと変わるからその時は会いに来てもいい?って正直な気持ちを伝えた。そしたらなべちゃん、突然来るなよ、電話して来いよって私嬉しくてまた泣いちゃった。
あなたと約束したから
ちゃんと守りたくて 頑張った
本当は あなたに会いたくて
頑張っただけかも
約束守ったら あなたに会えると思って
私頑張ったから
あなたに会いに行ってもいいですか?
とりあえず夫の所に帰った私。店がなくなった今、そして変わりたいと思う今、同じ仕事はしないと決め、料理が得意だった私は居酒屋をするためすぐに行動にうつした。そしてもうひとつ行動にうつした事がある。夫との離婚。2歳になった息子、警察に捕まった事で夫の本家から義理母の戸籍に入れられてしまい泣く泣く息子を手放した。11月12日警察を出てから生活、人との付き合い、そして私自身変わった。でも変わらなかった事も私の家族、そして友
また一歩踏み出そう
自分の決めた道を歩いて行こう
その道を一緒に歩いてくれる
仲間がいるから
きっと進んで行ける
時間もお金もない私 古いテナントを安く借りお金をかけずに店作り。保健所の許可もおりていよいよ明日は12月1日オープン。私は携帯を手に取り何度も番号を押しながら消しを繰り返しドキドキする胸を抑えながらやっとの思いでこの前までいた警察署に電話して部署と名前を伝えてなべちゃんを呼んでもらった。久しぶりのなべちゃんの声にテンションが上がりまくってドキドキが止まらない。少しだけ警察署の駐車場に降りてきてもらって、緊張のあまりまともに顔も見れなくて話すのも早口でダメダメな私がなべちゃんに伝えた事、今はまだ夜の仕事から離れられないけど必ず何か見つける事
夫と離婚した事それから明日居酒屋をオープンする事。その場所が書いた地図と私の携帯番号を渡して頑張るからいつか来て欲しいと伝えた。そして最後にありがとうって言って帰った。
言葉に出したら
壊れそうで
言えない
好きって一言を
12月1日居酒屋えんむすびオープン。毎日休まず夕方6時から翌3時までとにかく働いた。いつかなべちゃんがお店に来てくれると信じて。おそろいのマグカップなんかも買ったりしてずっと待ち続けて4か月。私の体重も95キロから35キロ減りと言うより取り調べ室でなべちゃんとした何気ない会話でホルスタインはあまり好きじゃないって言ってたから必死でダイエットした。そんなある日夜12時を過ぎた頃、店は暇で誰もいなかった。店の扉が開き真面目にしてるかぁ~ってなべちゃんが突然来て私は自然に来るの遅いよ~って言ってた。お酒飲んで来たからお酒はいらないってだから私あのマグカップにコーヒー入れてあげてたわいもない話してたんだけどお客さんが来たからなべちゃん帰る事に。また来てね絶対来てね。なべちゃん約束だよって言って仕事に戻り、その日は胸が苦しくて眠れなかった。
あなたに会いたい
あなたに会いたくて
胸が苦しくなる
忘れかけてたのにどうしてまた出会うの
忘れたと思ったのにどうしてこんなにも
辛くて泣きそうになるの
あなたの事好きだからかな
きっとそうだとしても片思い それでもいいかな
あなたの事思えるだけで私幸せだから
私はなべちゃんがまた来てくれると信じて毎日お店で待つ日々。初めてなべちゃんが来てくれた日から1ヶ月位たった夜1時頃、なべちゃんが来てくれて私なべちゃんとの時間大事にしたかったからお店の看板消した。なべちゃんと一緒におそろいのマグカップで飲むコーヒーに私すごく嬉しくて時間が止まらないかなとか思ったりして。私のドキドキがなべちゃんに聞こえるんじゃないかと思うぐらい。どこのパンが美味しいとかどこに行きたいとかの話で今度連れて行ってってなべちゃんに言ったら、わかった、わかったって言うからそれじゃ約束のキスしてって勇気出して言ったらなべちゃん、ハァーって言いながらキスしてくれた。私すごく嬉しくてキスしてるに涙でちゃってホントお前よく泣くなってギュっと抱きしめてくれた。その日私となべちゃんは結ばれた。朝から仕事のなべちゃんを家まで送り私も家に帰った。あれからずっとなべちゃん来なくてずっとなべちゃんの事考えては毎日ため息しては泣きなべちゃんを思い出してた。私なべちゃんの事なんにも知らなくて知ってる事っていったら渡邊(なべちゃん)私より4つ年上おでんが1番好きでバツイチのAB型でタバコ吸う女が嫌いここまでは私が警察に居た時に聞いた事。お酒が好きで健康そうだけど心臓悪い。寮じゃなくアパートに住んでて愛車は黒のワンボックスカーこれは送った時教えてもらった事携帯番号も知らなくて番号教えてるけどかかってきた事は一度もない。だから電話も警察署にかけて呼んでもらわないといけないからあまりかけるとなべちゃんに迷惑かけるといけないからかけれなくてだけどどうしても話したいから電話をかける口実がほしくて、前に留置場で見た新聞にカラーセラピーの事載ってたから会えなくなって2ヶ月目に資格を取った。その帰り勇気を出して警察署に電話してなべちゃんを呼んでもらった。電話に出たなべちゃんの声聞いて私また泣いちゃった。カラーセラピーの資格を取った事なべちゃんが元気そうでよかった事もう電話かけないって事を伝えた。
君に出会えた事 感謝するよ
君に出会って こんなにも変われた
すごく好きで すごく愛しくて
本当に大好きな人
君と同じ場所にいるだけですごく幸せ
君の存在がこんなにも
自分を変えてくれる
ありがとう 本当にありがとう
どんなに辛くても君がいるから頑張れる
だけどたまには
君を思い出して泣くくらい いいよね
いっぱい泣いたら
また明日頑張れるから
ごめん 本当にごめん
今日だけは君を思って泣きたい
また明日からは笑顔で頑張りたいから
君に出会えた事
そんなキセキに感謝するよ
人生最初で最後のキセキ
そんな君との出会いに ありがとう
9月の始め前にいた店の社長が具合悪くて1日だけ客引きのバイトに来て欲しいと言われお世話になった事もありその日久しぶりに客引きをした。そこに突然なべちゃんが現れびっくりする私に店も閉めてるし探したってその後来るの遅くなってごめん。色々考えて来るのに時間かかった事、退職願いまで書いた事、来年転勤になる事そして私に一緒に違う土地に行かないかって。なべちゃんはなべちゃんなりに真剣に考えてくれたんだってその時思って、その気持ちだけで私十分だから退職なんてやめて定年まで頑張ってほしいって伝えた。ホントはバイト放ったらかしでなべちゃんと帰りたかったけど私一人しかいないからそうはいかずなべちゃんも明日早いから待てないっなって上手くはいかないもんだなって思った。私は逮捕歴あってなべちゃんは警察官。上手くいくはずないよね。
あなたの声が すごく懐かしくて
涙がこぼれそうになった
あなたの問いかけに
私ちゃんと答えられなくて
本当にごめんね
私あなたの心がわからなくて
自信がないんだ
本当はすごく好きなのに
本当にごめんなさい
きっとあなたの声聞くのも
これで最後なんだと思うと
すごく辛くても 涙がとまらない
本当に大好き
私あなたがいたから
ここまで変われたよ
本当にありがとう
幸せになってね
その日の夜私は刻んだ。
Eternally my heart
私の心は永遠に
あれから7年たった今42歳の私。4度目の結婚をし現在3才の息子の子育てに奮闘中。娘2人にも子供が産まれ孫も3人に。この7年間も色々ありました。夫とは、たまにケンカもするけどそれなりに幸せです。今でもなべちゃんの夢を見て一人泣く事があります。きっとこれからもなべちゃんを思い出して泣くと思います。
私の心は永遠に
Eternally my heart
あなたにはそんな人がいますか?
私には一人だけいます
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

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