今日は八時に帰るね

「八時に帰るね」

母が最後に放った一言。
私はその日、いつもと変わらず学校へ登校した。鳴り響くチャイムの音、笑い声。受験生も残り半分となった私は、進路に悩んでいた。

つい先月、今までゴールド免許であった母が一時不停止により免許を切られた。しかし、その時に母は、序だからと勝手に聞いたらしい。
「どーやって白バイ隊員になったの?」
そこから話は盛り上がたったようで、帰ってきた母は私に警察官を勧めてきた。やりたいことがない私は
「MARCH以上に行けなかったらなるよ。変な大学いって、将来何やりたいかもわからないままでいるより就職するよ。」
と言った。正直これは今でも思う。いい大学に行けたとしてもいい人生を歩めるとは限らないが。そして、
「じゃあ受験料タダだから!警察試験受けてね!」
と言われた私。保育園の、時の夢は警察官悪くは無い。だが大学に行きたいという想いが強いため、
「とりあえず理大の推薦チャレンジしていい?」
と言った。それから私は指定校が落選した時のための受験勉強と共に、指定校推薦、警察試験を受けた。

4時間目開始のチャイムがなり、私は席について生物の授業を受けていた。生物は得意科目だったので、面白半分に内容も軽く受流し、自分で受験勉強をしていた。
「ガラッ、髙橋ちょっといい?」
と、担任の先生が授業中に入ってきて呼ばれた。
「お前なんかやらかしたか!指定校やばいね···」
とクラスの声が上がった。もちろん冗談であろう。何も問題を起こしていない私は、なぜ呼ばれたかの理由もわからず先生の元へと行った。
「お母さんが仕事先で倒れたって今職員室に電話が来たから、どーする?」
当然病院向かうに決まっている。ただ、そんなに心配はしていなかった。持病も特になく、過去にも一度このような事があった。その時は軽い貧血で点滴を打ったらすぐ良くなった。

そして学校から担任とともに1時間弱車で病院へ向かった。仕事先が家から離れていたため、病院が遠いのだ。病院へとついた私は救急病棟へと向かうように言われていた。着いた時その場にいたのは、仕事先の先輩だろうか?は同僚だろうか?分からないがそこには同じ仕事場の人がいた。
「お母さんが急に倒れて···。」
倒れた。と聞いた時、心臓の鼓動がはやくなり、戸惑いが隠せなかった。医者の説明があるからと、息子である私は医師の説明を待った。
「どうぞ」
と言われるがまま、診療室に入り私は説明を聞いたあえて病名は詳しく語らないできたい。察する方もいるだろう
「病名は脳卒中です」
私は病名を耳にした瞬間。一瞬希望が薄れた感じがした。少なくとも良くなる病であろうと勝手に思っていたのに···。しかし、そういうような甘いものではなかった。

ひたすら泣いた。作ってくれた最後のお弁当をたべながら。味を噛みしめて食べた。堪えようとしても止まらなかった涙。窓を見ると青空。初めて天に願った。治って、お願いだからと。

そして、手術前の顔合わせ。
おばあちゃんは遠くに住んでいるため、電話で手術の許可を取った。
また、涙が止まらなかった。看護師が手を握ってあげてと言ったので手を握った。でも、反応をしてくれない。もちろん麻酔をしていたからだろう。だけど寂しさが込く、母子家庭である私にとって、最愛の母。どっと想いが溢れる。

手術が始まり、私はしばらく待っていた。職場の方がお見舞いに来てくれた。ご飯を買ってくれたりした。

そして終わった手術。3時間30分程だった。同時におばあちゃんも到着。悪化する可能性、安静にしてなければならないという面から集中治療室にいる母。それからというものの悪化する心配から、私はずっと母のそばにいた。寝不足で体調を崩してはいけないからと、後日また病院へ向かうとして、帰宅をした。しかし···、私が帰宅をした時すぐに入ってきた電話。嫌な予感しかしなかった。
「血圧が、急低下してます」
最悪の状態になってしまった。
どうすればいいか分からず再び病院へ。医者から告げられた
「もう手の打ちようがない」
それ以降は言うまでもない。ずっとそばに居て、話しかけた。つたわらない思い出。何度も繰り返したありがとう。今まで育ててくれてありがとう。産んでくれてありがとう。何度も何度も···。

倒れてから三日目。母は天国へと旅たった。

急な出来事で、いつの間にか一人になった私。大学合格。警察試験。今まで何を頑張ってきたかすらもわからなくなってしまった。泣いても変わらないのに。誰にもこの想いが伝えられず、一人で苦しんだ。

お葬式の日が決められた。母との最後のお別れの日。それまで私は母何度も会い行った。冷たくなっていた。
「ゆきちゃん」
「その呼び方やめて!」
「親が子供を好きなのは当たり前なんだからいいじゃん」
なんて、日々の温かな会話が鮮明に思い出される。

その後も悲しみが取れないままいた。クラスの皆には先生から状況を伝えてもらった。
すると、俺達がついてる!元気なお前を見せてくれ!!泣かないでね。そんな顔みたくない!
友達ににかけられた言葉。もちろん友達だけではなく職場方、先生方も。ふと気づいた時にはいろんな人が支えてくれていた。泣いてるわけにはいかなかった。いつまでもこうしているわけには。私は夢がない。けれど、一つだけ大雑把な夢はある。゛誰もを救える人になりたい
゛というものだ。気づいた時には皆に助けを求めている側になっていた。情けない。そう思った私は今までの感謝の念を抱いて最後まで喪主としてお別れをした。今でも綺麗な母の顔は忘れられない。笑っているようにも見え、ごめんねと誤っているようにも見えた。お葬式が終わった後、その場で全員に誓った。
「皆様が支えてくれた分、いつか私が恩返しできるように立派な人になります。もう私は泣きません。強く生きて、みんなが笑顔になれるよう努力します。」
この言葉は自分に今でも言い聞かせている。カタリエに投稿しようと文を書いている今も、涙が出そうになる。もちろん流さない。現在も全員が支えてくれながら生活をしているからだ。支えられるようになることが、スタートだと思う。

進路は大学進学を決意した。警察官は大学卒業後も目指していけるからだ。私は今、一人暮らしをしている。弱音を吐くと寂しく狭い。将来の自分がどうなってるか、勉強はついていけるか、お金は大丈夫か、不安を語るとキリがないほど。それほど母の有難味を実感している。そして、今は色々な世界へと視点をずらしつつある。自分以外にも親がいない人も関わる機会があり、弁護士や医者、いろんな人と関わる中で、日々優しくなりたいという気持ちが強くなる。


私は今も成長し続けています。人を助けるために出来ることは、弱い人の心。強い人の心。を知ることだと私は思っています。これらはもちろん私に降り掛かった人生の壁ですが、様々な人の支えもあり、こうして乗り越えてきました。学生ながら文章は下手ですが、少しでも皆さんに読んでいただけたら幸いです。そして勇気を与えることが出来るなら、とても喜ばしいことです。

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