よみがえり
梶尾真治先生の小説、映画にもなった「黄泉がえり」に似た夢をさっき見ました。
GWの遊び疲れからか、体調崩して寝込んでいました。子は大きいが母子家庭の寂しさや不安が、いつもの何十倍にも大きく感じられてた矢先、ご先祖様から「大丈夫だよ」と言って貰えたような気持ちになれたことに感謝します(*^^*)
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夜、少し昔。実家の下のリビング。少し広く感じる。
ジグソーパズルのピースが、どんどん形になってきていた。白と黒という殺風景な、畳一畳程にもなる横に長いパズル。私の中では2011年の震災を知らず、そのひと月前に亡くなった父が、黄泉がえってきていて、私は梶尾先生の小説を読んで先を知っているので、父がまたあの世に行く前に、やり残したこのパズルを作り上げたいのだと思った。
父は空手の師範だった。中国が好きで空手関連や遊びで行くたびに珍しい物を買ってきて、この横に長い白黒のパズルも中国からのものだと直感した。
ここで父に会えなかったのですが・・・
今度は、私の母方の実家。
県営の二階建ての住宅に住んでいました。
いきなり私は二階にいて
「ご飯だよ」と今は亡きおばあちゃんの声が下からして、上を見上げてる。
私は降りて行こうとすると、写真でしか見たことのない、母の弟が部屋から出てきて降りていく。写真で知ってる若さ、そして黄土色より少し濃い色のセーターを着てる。
私は不思議に思ってると今度は、隣の部屋にいて、同じく今は亡き若き、背筋がピンと伸びているおじいちゃんが「ご飯だよ」と言って階段を降りていく。
私は自分の腕をさすったり、つねったり、確かにした。
そして今度は、おばあちゃんそっくりの顔をしたおばあちゃんが、母の弟のいた部屋から顔を出して言った。
「私は今日もここから見てるだけね。もう下に降りるのが大変でね」
もしかしたら私のひいおばあちゃん?
だけどひいおばあちゃんは、おばあちゃんが6つの時に亡くなってしまってるから、ここには住んでいなかったはず。
私のおばあちゃんは優しくて、だからひいおばあちゃんも優しいと感じた。上から私たちがご飯を食べるところを見る事が出来ないのに、顔だけ部屋から出してニコニコとしていてくれるという事が、おばあちゃんに似ていてわかったからだ。
私はひいおばあちゃんらしき人の顔を珍しそうに見て、懐かしの階段を一歩一歩降りて行った。私の知ってる階段は、もっと幅が狭かったのにここの階段は奥行きに長さがあり、このくらいがいいと感じた。そうして階段を降りて行ったはずだが。
次にいた場所は、大きな何処かの宿の部屋。
そこには、まだ小学生の弟がいて、テーブルの上で横になってふざけている。
私は興味深々に声をかける。
「いちろーだよね?」でもいちろーは答えてくれず、ニコニコしながらテーブルの上でコロコロと転がって遊んでいる。
こんな可愛いいちろーは見たことがない。あの頃はケンカばかりしていたのに。何とか話がしたくて嗾けるが、ニコニコするばかりで話にならない。
あれ、さっき持ってきたかな?
私は自分のスマホ(現生の)をお尻のポケットにあるかどうか、今のは大きすぎてとてもポケットには入らないはずと思いながら手をやると、昔の携帯が入ってた。
もう、使い方も忘れてしまっていた。いちろーを撮りたかったのだ。携帯を向けると、いちろーは興味を示してジッと注目し始めた。そんな可愛いいちろーをカメラにいくつか納めた。はずだった。
すると、後ろに父の気配が。
髪が黒く濃く、スポーツ刈りにしていた若き父の後ろ姿を見た。とても懐かしい。
やはりあのパズルは父が。
そしてその時も私は、自分の腕をさすってみたり、つねってみたりしたのだが。
いちろーが、私と話してくれなかったのは、私は今の私のまま会ってしまったからだろうか?人見知りのいちろーはふざけるしかなかったとか。
私の今のスマホは、何処へ行ったの?
すると、布団を被って寝ていて暑かったのか、次の瞬間目が覚めた。
やっぱり。
腕をさすられる感覚、つねった時の痛み、リアルに見えた人たち。それも目が覚めた瞬間、無かったことになるんだろうなぁって、夢の中で私は確かにそう思った。
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