じゃあどうやってしあわせになったらいいの?

すべての行動のモチベーションは、しあわせになること


都会で、田舎で、人々がせわしなく活動しているけれど、それはなぜかと言えば、みんなしあわせになろうとしているのだ、とダライ・ラマ法王が仰ったのですが、全くその通り、すべての人・動物・何でもいいですが、その行動の動機はしあわせになりたい気持ちなのです。

じゃあどうしたらしあわせになれるの〜?ってことですが、それは個人により設定が違います。もう何十年も前にパチンコ屋で住み込みバイトをしていたことがあるのですが、その店に、まるで天使のような男の子が働いていました。「この店の人たちはみんないい人ばかりですよ〜」とか言ってて、店内のマイクワークでも「いらっしゃいませ!喉が乾いたお客様は店内右奥に自販機もご用意しておりますので、ぜひご利用くださいませ〜」なんて、そんな優しい店内放送どこでも聞いたことないわ!って感じだったし、とにかく彼が怒ったりイライラしているところを見たことがありませんでした。

わたし個人の感想では、お店の従業員は確かにいい人もいるけど腹黒い人もいるかなって感じで、お客さんなんか負けが込んでると八つ当たりしてくるし、そんなに良い労働環境とは言えないと思っていたのです。

じゃあわたしと彼の何が違うかと言えば、フォーカスしているものが違うのです。カメラと一緒で、どこにレンズの焦点を合わせているか、ということなのかと思うのです。

え、じゃあなに、わたしってそういうしあわせばっかりにフォーカス出来ないポンコツカメラなの〜?って、また自分を詰ってはいけません。

そもそも、前回、前々回で書いたように、わたしたちは、普段自分が認識するような「自分」ではありません。身体でも思考でもなく、周りで起きていることを観察している、体験している方が本当の自分です。「自分」というキャラ設定から世界を見たらどんな感じかな〜っていうのを敢えて知るために、自分劇場で自作自演しているのです。

ラーマクリシュナのお弟子さんのヴィヴェーカーナンダさんは「この世が完璧じゃないって言ったら神に対して不謹慎では?」と言っていました。ナウシカでもこんなくだりがありましたね。ネタバレ且つうろ覚えですけど、墓所の科学者が作った、絶対に罪を犯さない人類の卵をナウシカが破壊してしまうシーン。

神が全知全能だったら、最初からパーフェクトな世界を創ればいいじゃないですか?もしわたしがポンコツなら、神もポンコツってことになります。

神ってなに?全知全能とかオカルトなんだけど?って思うかもしれません。でもわたしたちが身体でもなく、思考でもなくて、量子もあるんだかないんだか分かんない、となれば、この世は壮大なエネルギーが織りなす永遠の夢のようなものです。どうにでもなるのです。だから大したことないのです。

その上で、あなたが体験していることをまさにそのエネルギーが体験してみたかったから、いま目の前の出来事が起きているのです。その体験がどんなものであれ、全てであって、無限の可能性であって、傷付くことも破壊されることもない「それ」が、「これってどんなんかな?」って思って創造したことなのです。

でも自分劇場の主人公視点としては楽しくない出来事も起きてくるかもしれません。そういうときは「なにこれ、この脚本やばくない?草」と思って気楽に構えればいいのです。あまり主人公に同化すると苦しくなります。たぶんそれも一興なんでしょうが。

いま自分が「自分」と思っているほうじゃなくて、もっと壮大なほう、ウパニシャッドなんかではブラフマンと呼んだりしているやつですか、そちらからしてみたら全部いい感じでしあわせなのです。だから既にしあわせなんですね。実は。





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