種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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第一章 「乏精子症」(種ナシ)発覚! 

「下半身労働基準法違反男」、せっせと避妊 

 30歳を目前に、ベンチャー系の不動産企業で働くボクは、「一刻も早く結婚して、子どもを持ちたい!」という気持ちを日増しに強くしていた。


「幸せな家庭」という、きっと誰もが考える、いたって普通の夢。しかし、まだ20代でそれに「執着」と言えるほどの強い思いを抱いている人は、どれだけいるだろう? ボクの場合は、生まれ育ちが大きく影響して、いつしか人生最大の目標になっていた。

 

 誰よりも温かい家庭に憧れ、できるだけ多くの子どもがほしいと願ってきたボクが、よりによって“タネなし”なんて――。目の前が真っ暗になった非情な宣告と、悪戦苦闘の日々。そして、ついに自分の命より大切な娘を授かるまでの道のりを振り返りたい。

 

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 まずはボクが「幸せな家庭」を追い求めるようになった理由を話そう。

お恥ずかしい話、父は前科持ちだった。いつも酒に酔ってはクダを巻き、酒・オンナ・ギャンブルに溺れ、記憶に残っているのはだらしない姿ばかり。嫌なことがあればすぐに酒に逃げ、酔えば暴力的になって、警察沙汰も一度や二度ではなかった。

 母親も母親で放蕩癖があり、次から次へと金銭トラブルを引き起こす始末。保険外交員として働いていたときには、顧客から預かった保険料を横領し、一時的に逃亡までした。その後の事務処理をこなし、保険会社の幹部や被害者の方々に頭を下げてまわったのは、まだ中学生のボクだったのだ。

 

 母は機嫌が悪いとき、よく金切り声でボクにこう言い放った。

 

「アンタは好きで生まれてきた子どもじゃないから!」

 

 このように自分の存在自体を否定する親が、狭い家のなかで日々、凄まじい夫婦ゲンカを繰り広げる。ボクはいつもその狭間で打ち震え、涙を流していた。痛みを分かち合う兄弟もいなかったため、その絶望感、孤独感は耐え難いものがあり、いまでもフラッシュバックに苦しむことがあるほどだ。それはもう、死にたくなるほどヒドい家庭だった。

 

そのためいつしか、

 

「いつか自分が築く家庭は、今と180度違うものにするんだ!」

 

 という思いを抱いて生きていくことになったのだった。そして、思い描く理想の家庭の中心には、笑顔の子どもたちがいる――。

大人になっても、心の片隅で震え続けるあの頃の自分。この不憫な少年を救い、人生を取り戻すために、「子どものいる幸せな家庭」は、夢というより絶対に叶えなければいけない目標だった。

 

やっかいなのは、絶望的な家庭環境から生まれる、「家のことで疲弊し、学業に割く時間も気力もない→低学歴になる→いい企業に就職できず、貧乏になる→結局、不幸な家庭を築くことになる」という、負のループ。もちろんこんなものは固定観念に過ぎないのだが、ボクはその恐怖にとらわれ、まずは学歴だ!と、寝食を忘れて勉強したのだった。

 

 そして入学したのは、憧れの早稲田大学……と、ここまでの話にまったく嘘はないのだが、「不幸な生い立ちの男が、努力で幸せな家庭を勝ち取る物語」を期待した方、大変申し訳ない。ボク自身、決して「真面目で善良な人間」ではなく、学歴さえあれば「子どものいる幸せな家庭」を築くのは決して難しくない、とタカをくくっていた。子どもだって、放っておいてもできるだろう、と。

 

地獄のような家庭から解放され、大学時代は「とにかくカネだ!」と、学業よりもバイトに明け暮れる始末。そして、卒業後は流されるままに、テレビの制作現場から水商売ビジネスへ(このあたりの詳しい話は、拙著『早稲田出ててもバカはバカ』に記述)。社会人になってからの遅咲きデビューで理性を狂わせ、「下半身労働基準法違反男」などという、品のかけらもないあだ名をつけられるほど、女性と遊び呆けた。

 

 そして、いまから考えると取り越し苦労もいいところなのだが、思うままに遊びながらも、「自分のような不幸な子どもは絶対に作ってはいけない」というトラウマに近い思いはあり、行為にいたるときには避妊を徹底していた。子どものころから病気知らずの健康優良児で、小学校・中学校は皆勤賞。また、父親は9人兄弟、母親は3人兄弟ということもあり、自分がまさか「種なしクン」だなんて、疑う余地は微塵もなかった。

 

 そんななかで、迎えた20代後半。水商売ビジネスから前出のベンチャー系不動産会社に転職したボクは、ある年上の女性と恋に落ちた。出会ったきっかけは水商売で、お互いスネに傷を持った人間同士、相通じる部分があったのだと思う。

 そして、初めて心の底から「家庭を築きたい」と思えた人で、ありがたいことに、彼女もボクとの結婚を強く望んでくれた。

 

しかし、「幸せな家庭」までの道のりは、前途多難なものだった。

 

「結婚」に立ちはだかる大きな壁

 

 順調に愛を育み、ボクは彼女の実家にご挨拶に出向くことになった。頬を刺す2月の寒風が、いま思えばふたりの行く末を予兆していたように思う。

 

 上野から高崎線に乗り、約一時間、埼玉にある片田舎が彼女の地元だった。

 

「お父さん、公務員でカタい人なんだよね? 大丈夫かなあ」

「とりあえず、お父さんは家のことを褒めると機嫌がよくなるから」

 

と、作戦会議をしているうちに、家に到着。彼女のことは本気で愛していたが、「幸せな家庭への第一歩」に慢心しているボクには謙虚さがなく、家に着くなり、不動産の知識から「バブル時代につくられた新興住宅地か。あ~あ、外壁は亀裂が入ったモルタル、柱は細いし、90年代初頭の典型的な手抜き住宅。たぶん5000万くらいで買ったんだろうけど、いま売りに出せば1500万がいいところか。カモにされたんだな、かわいそうに・・・」などと査定をする始末だった。

 

 そんな心の声を隠しながら、さっそくお父さんにご挨拶だ。口八丁で、心にもないことをスラスラと話す。

 

「お父さん、とても素敵なニュータウンですね! 街並みも空気もキレイだし、子育てに最適な環境が整っているのがわかります。家のヨーロピアンな外観も含めて、お父さんのセンスに脱帽しました!」

 

 彼女の助言どおりに家を褒めると、確かにお父さんは満更でもない表情だったが、多分ボクの軽薄さを直感したのだろう。リビングのそこかしこにある、彼女の写真の数々――自分の宝物を奪おうとする男に対して、返す刀で斬りかかってきた。

 

「ところで、キミはどんな会社に勤務しているのかね?」

「……◯という会社に勤務しております」

 

社名を告げた途端、お父さんの顔色が変わった。

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