種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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「聞いたことがないな。上場しているのかね?」

「いえ……目標にはしていますが、いわゆるベンチャー企業ですので」

「大学はどこを出た?」

「早稲田です」

「早稲田まで出て、もうちょっとマトモな会社に就職できなかったのか?」

「すいません……」

 

 コッ、コッ、コッ・・・古時計が奏でる耳障りな秒針の音と、石油ファンヒーターの鈍い振動音が響く、嫌な沈黙。そのなかでお父さんがピース缶からタバコを一本取り出し、マッチで火をつける。汽車が出発するように鼻から勢いよく紫煙が噴き出され、怒涛の攻撃が始まった。

 

「今からでも、地方公務員など狙えないものか? 吹けば飛びそうな会社だろう」

「いえ……もう30前ですから、縁故でもない限り厳しいですね。自分の至らなさで、お父さんから見ると不安定な身分になってしまっていますが、時代も徐々に変わっており、今は会社が安定していても、個人が安定するとは限りません。ボクがしっかりしていれば、不安はないと考えています!」

「そうは言うが、娘には堅実な人生を歩んでもらいたいと思っているんだよ。君のような男が娘を一生、面倒見ていけるのか、オレは大いに不安だな」

 

 ボクは内心、「保守的なカタブツ」と断じていたが、娘を持った今ならわかる。これは大学以降の放蕩のツケというものだろう。心から真摯に向き合うことをしていなかったボクは、お父さんからまったく信頼を得ることができず、露骨に難色を示されてしまった。あとから聞いた話だが、お父さんは男手ひとつで娘を育て上げた苦労人でもあり、どこの馬の骨かわからない輩に嫁がせるわけにはいかない、という思いもひとしおだったはずだ。

 

 後日正式に、彼女を通じて、お父さんは交際自体に否定的だという事実を告げられた。しかしありがたいことに、彼女はそれでも、ボクとの結婚を望んでくれたのだった。

 

デキちゃった結婚計画

 

 ボクは当時、東池袋のワンルームマンションに住んでいて、彼女はそこに入り浸り、半同棲というかたちで暮らしていた。彼女はいつも明るく、結婚に向けてアレコレと作戦を練り、お父さんを説得しようとしてくれていた。

 

 しかし、ボクはと言うと、テレビから流れるこれまで大爆笑してきたダウンタウンのフリートークにも笑うことができなくなっており、後ろ向きになるばかりだった。

 

「やっぱり、結婚は難しいんじゃないかな。お父さんは自分が公務員だから、同じようにカタい職業の男じゃないと納得しないだろうし」

「気にしなくていいよ。今の時代、結婚なんて最終的にはふたりの意思なんだから!」

 

 そうして明るく振る舞う彼女の口から、驚きの一言が飛び出る。

 

「子どもを先に作っちゃおうよ。そうすればパパも認めざるをえないでしょ?」

「え!? それこそ、順序が違うって大激怒じゃない?」

「大丈夫! うちのパパ、ああ見えて実はデキちゃった婚だったのよ。文句なんて言えるはずないもん」

 

 そうまでして結婚を望んでくれる彼女――ボクは感激し、その提案を受けることにした。冒頭に記したとおり、30代を目前にして家庭を望む気持ちが格段に強くなっており、子どもがほしい、あたたかな一家団欒を早く手に入れたいと、毎日のように考えるようになっていたのだった。目の前に理想の相手がいて、あまつさえボクの子どもを産みたいと切望してくれている。こんなにありがたい話があるだろうか?

 

 ということで、ボクは彼女の期待に応え、結婚に向けて前進するため、全身全霊で妊活に取り組むことを決意した。ただ、こちらも前述したとおり、「子どもなんて簡単にできるだろう」と甘く考えていたのも事実。それでも、彼女の基礎体温をはかり、緻密に排卵日を予測して、いわゆる「タイミング法」で、早期の妊娠に向けて努力した。

 

 しかし、半年間、毎月頑張ってみても、一向に妊娠の兆候は見られなかった。最初の1~2ヶ月は「いかに下半身労働基準法違反男〝a.k.a.暴れん坊将軍〟でも、そう簡単にはできないものだなぁ」などと悠長に構えていたが、半年も経つと焦りが芽生えてくる。34歳で高齢出産の域に近づいていた彼女は、ボクより追い込まれているように見えた。

 

「大丈夫だって! 子どもは授かりものだから、そのうちできるよ」

 

 と、励ます僕の言葉にも、徐々に悲壮感が漂い始めていた。

 

自信喪失の「暴れん坊将軍」、病院へ……

 

 今になって考えると失礼極まりない話だが、ボクは最初、彼女の体に何か問題があるのではないか、と疑った。そして、結局のところ1年経っても子どもを授かることができなかったため、ふたりで病院に行くことにしたのだった。

 

 一般的な倫理上も、ふたりの関係上も、彼女だけに疑惑の目を向けることなど、あってはならない。まさか20代で「暴れん坊将軍」な自分に問題があるとは思わなかったが、ボクもしぶしぶ精液検査をすることにした。

 これも今は猛省するところだが、当時はそうした検査をすること自体を恥ずかしく思っており、誰にもバレず、また知人に遭遇しないよう、なるべく目立たない病院を探した。そして見つけたのが、雑居ビルの2階にこぢんまりと構える、お世辞にもきれいとは言えないクリニックだった。

 ボクはサングラスにマスク姿、まるでフライデー、FLASHの芸能人熱愛スクープ写真で見るようないでたちで、ふたりで恐る恐る訪ねると、待合室には、風俗関係の仕事をしていると察しがつく女性が数名(かつての仕事柄、ひと目で分かってしまう)。彼女いわく、「そういう病院の先生は腕がいい」らしく、その説を裏付けるように、壁には行政からの感謝状がいくつも掲げられていた。

 

 受付から程なくして、彼女とボクはそれぞれ、看護師さんに極めて事務的な呼び出しを受けた。さて、精子の検査など、いったいどうやってするのか?ボクが不安と興味が入り交じる複雑な心境になっていると、「検査室」と表示された、狭い個室に案内されるのだった。

 

「(精液を)採取したら、そこの箱に入れておいてくださいネ」

 

 そう淡々と話すホステス風の看護師さんの口元に微かな笑みが否定できないことをボクは見逃さなかった。まるでウブな少年を弄ぶ、淫靡な眼差し・・・というのも、個室に備え付けられたテレビでは、無修正のアダルトビデオがエンドレスで自動再生されていたのだ。画面に映っているのは忘れもしない、バブル期を代表する伝説のAV女優「樹まり子」。少年時代に友達からこっそり借りた擦り切れそうなVHSテープの裏ビデオ、思い出の作品で、欲情するより、むしろノスタルジーを感じてしまう有様だった。

 

(ああ、樹まり子さん・・・まさか、こんなところで再会することになるとは……)

 

 そもそもこの病院がどうやって裏ビデオを入手したのか疑問ではあったが、薄いドアの向こうからは、待合室の声が聴こえてくる。こんな状況でことをなせというのか……と、情けない気分になりながら、ボクは「禅の如き集中力で自慰行為に励む」という、なんとも矛盾した時間を過ごすことになった。

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