種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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 しかし、ロシアという大国の大統領による重要な宣言も、日本では報じられない。当時の報道は、SMAP解散騒動一色だった。

 

 少々長くなったが、とにもかくにも、ボクは農薬と不妊にまつわるデータを読み漁り、「子どもを授かるには、生活を変えなければ」と強く思うようになっていた。しかしそんななか、幸せな家庭を誓った彼女から、思いもよらない言葉を投げかけられるのだった――。

 

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第三章「夫じゃなくて、種が欲しかっただけ

――失意の種なしクン、それでも不妊治療へ」

 

彼女の“裏切り”

 

 話を戻そう。ボクの“種ナシ”が発覚してから、彼女の態度が豹変した。

ボクは「デキちゃった婚作戦」が失敗に終わっても、彼女のお父さんを誠心誠意説得し、籍を入れ、不妊治療に取り組んで、中長期的に子どもを授かりたいと考えていた。しかしそんななか、彼女が「結婚を取りやめたい」と言い出したのだ。

 

 東京に珍しく雪が降った日の夕方だった。クリニックから悪夢の宣告を受け、その傷も癒えないボクらは、池袋駅西口に繰り出していた。

 

渋谷、六本木、恵比寿など、典型的なオシャレ街より、どこか垢抜けないカオスを感じる池袋は、ふたりがデートを重ね、愛を育んできた思い出の街だ。西池袋にはめったに来なかったが、駅前ビルには国内有数の指定暴力団が本部を構え、ロサ会館を中心とした西一番街には風俗店/キャバクラが密集、客引き・路上スカウトがあふれるなど、水商売を通じて出会ったボクらにとっては、不思議と落ち着く場所だった。

 

 いつものようにお気に入りの洋食店「キッチンABC」でオムカレーを注文するが、彼女の言葉数が少ない。普段なら「男の子だったらスバルくんって名前、よくない?」なんて、笑顔で話してくれるのに、この日は表情も沈んでいた。

 

「少し歩きたい」

 

 彼女はそう言って、ボクを導きながら芸術劇場前の西口公園に向かう。普段はナンパ目的の男女や、明日を夢見て歌やダンスに明け暮れる若者の姿で溢れているが、降雪の影響もあってか人はまばら。ベンチに腰掛けるなり発せられた彼女の言葉に、ただでさえ白い雪が舞う眼の前の風景が、さらに真っ白になった。

 

「やっぱり、あなたとの結婚は考え直したい。私、子どもがすぐに欲しかったの・・・」

 

彼女はボクの目を見ず、うつむきながら切り出した。黙っていられるわけがない。

 

「え!? でも、まだ子どもができないって決まったわけじゃないよね?」

「でも、先生の話では精子が150万しかいないって……。乏精子症が改善する保証もないし、体外受精だって成功率は半々でしょ? 私、もうマル高(マルコウ。高齢出産の隠語。35歳以上の妊婦が所持する母子手帳には、かつて高の字がまるで囲まれた印がつけられた)リーチだから急いでいるのよ」

「まだ34歳だろ? マル高なんて、この時代になんでそんな型式にこだわるの?」

「あなたは若いから知らないのよ。私はいっぱい見てきたの。何百万円もかけて不妊治療をしても子どもを授からずに、諦めてしまったカップル。男性の方は、もしかしたら切る手術もしなければいけないのよ? リスクが高すぎるわ」

「そんな……子どもの話はあとにしても、ボクと一緒になりたいって言ってくれたじゃないか。暗い過去もすべて受け入れて、お父さんにも会わせてくれたじゃん?」

 

 そんなやり取りが続いたあと、彼女から決定的な一言が告げられた。

 

「ハッキリ言うわ。私はあなたがあまりに元気だから――見た目も実年齢より若くて健康的だし、きっと障害なんかない、元気な子どもを授かると思ったのよ。とにかく子どもがほしかっただけなの! あなたはあっちの方も・・・夜も絶好調だから、すぐに妊娠できると思ってた。それが・・・よりによって、あなたが種ナシだったなんて!!」

 

「そんな言い方はないだろ!」と、ボクは声を荒げた。いまとなっては、追い詰められた彼女への配慮がなく、女性にこんなことを言わせてしまったことを反省するばかりだが、冷静に受け止めることはできなかった。

タバコの煙を勢いよく吐き出しながらボクを否定したお父さんと同じように、彼女はその顔が見えなくなるほどの白い吐息とともに、さらにまくし立てる。

 

「あんたは本当に分かってない! 私たちの親世代なんて、精液1ミリリットルに精子が8000万とか、1億はいたって知らないの?先生が言っていたように、いまは農薬やら添加物やら、食べ物の影響もあって、男の人の生殖機能がどんどん衰えていると言うけど、それでも2000万くらいの数値なら自然妊娠はできるんだって。あんたみたいな元気いっぱいの人なら、きっとそれくらいはあるって信じてたのに!」

 

 ボクは彼女の取り乱しようにも困惑したが、男性不妊についてやけに詳しいことも不可解だった。これまでそんな話はしてこなかったのに。ボクは沸騰しそうだった頭を冷やし、その違和感を伝えることにした。

 

「焦る気持ちはわかるけど、さっきからおかしいよ。何か隠していることはない?」

 

 返ってきた言葉は、ボクにとってさらに衝撃的なものだった。

 

「実は私……バツイチなのよ。前の旦那も種ナシで……どれだけがんばっても子どもができなかった! それが原因で壮絶な離婚になったの! でも、彼はあんたと違って酒もタバコもやるし、徹夜麻雀も好きで明らかに不摂生、不健康だった。だから再婚するときは健康そうな人を選びたかったの。ハッキリ言って、私は夫じゃなくて子どもがほしいの! 私、正気よ。これが本音。オトコなんて信じられない。自分のお腹を痛めて産んだ自分の分身で、私だけを愛してくれる無邪気な存在……子どもだけを信じて生きるって決めたのよ!」

 

 過去に水商売にかかわり、母子家庭、DV、シングルマザー、生活保護、児童相談所……と、さまざまな人間ドラマを見てきた経験則から、何となく話が見えてきた。また、彼女のお父さんが離婚経験者であることは聞かされており、夫婦仲がよくなかった。ボク自身、幼少期に両親の諍いにとことん苦しめられてきた張本人だから、ピンときた部分もある。

 つまり、彼女は「家庭」というものに幻滅している。しかし、その穴を埋めてくれる存在として、自分の血を分けた子どもだけは諦められないのだ。ボクは両親が築いたものとはまったく違う、幸せな家庭を求めたが、彼女はそんなものは幻想だと考え、ボクのことすら信用してくれていなかった。

 

「うちの父親はね、カタブツの公務員を気取っていながら、飲み屋で若い女とデキて、女房を捨てたクソ野郎なのよ! お母さんに経済力がなかったから、私は安定した収入のある父親に押し付けられたってわけ。大好きだった母親と引き離されて、継母みたいな愛人と同居する気持ち、わからないでしょう? あんただって、もうすぐおばさんになる私になんてすぐに飽きて、若い女に手を出すに決まってる! でも、血のつながった子どもさえできれば、それでよかったのに……」

 

 料理好きでよく、お弁当をつくってくれた。

 ボクが会社の不正に巻き込まれたときも、何も言わず信じてくれた。

 自分のためにはほとんどお金を使わず、母親や妹のために使っていた。

 

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