種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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 そんな、優しくて子どもが大好きな、ボクが愛した彼女の姿は、もうなかった。こうまで自分をさらけ出した彼女に、追い打ちをかける必要なんてない。でも、彼女もボクと同じように不幸な家庭に生まれ育った同胞だったという気づきとともに、「だったらなぜ?」という気持ちが沸き上がってきてしまう。

 

「オレの人格なんて、最初からどうでもよかったってこと? オレの種(精子)が欲しいために、好きなフリをして、演技していたの? 君の気持ちを本気で信じていた、オレの気持ちは?」

「呆れるくらい愚直に、真面目に仕事をする、その性格が好きだったわ。旦那は外で仕事だけしてくれればいい、家庭のことは女房に任せる。お金だけしっかり家に入れてくれれば、浮気しようが構わない――それが私の主義なの。悪い? あんたみたいな男だったら、そうやってうまく生活していけると思ったの。でも、子どもができないならすべてが台なしでもうやってらんない!」

 

 もうこれ以上、会話はできなかった。一度は共に幸せな家庭を築くことを夢見た女性への最後のアドバイスなのか、あるいは負け惜しみなのか、もう寒さも感じなくなった体から、次の言葉を絞り出すのが精一杯だった。

 

「・・・わかったよ、別れよう・・・でも、そんな考え方じゃ、結婚できて、子どもができたとしても、また失敗すると思うよ。オレが育った家庭も本当に最悪だったけれど、だからこそ、明るい家庭を築こうと思ったんだ。過去に執着して腐っていたら、何も変わらない。本当に幸せになりたいなら、そこを考え直したほうがいい――。でもまあ、まさか自分が種なしクンだなんて思わなかったし、ガッカリさせちゃったよね。ホント、2回連続そんな男にあたるなんて、男運がないよな。次に付き合う男は、もっと慎重に選びなよ。その上でさ、できれば“種”としてではなく、ちゃんと人として愛せるといいな」

 

 凍える体と同じように気持ちは冷めきっていたし、怒りに似た感情も胸の奥に渦巻いていた。けれど、ボクが生まれ育った家庭のことをカッコつけずにもっと話し、それでも前向きに生きようという意思を明確に伝えられていれば、彼女との関係も違ったものになったのではないかという後悔と、最後に嫌味に聴こえる言葉を叩きつけてしまった自己嫌悪が、彼女に向いたマイナスの感情を飲み込んでいく。

 それと同時に、「自分の種ナシをどう克服すべきか」という、なんとも切り替えが早いというか、あっけらかんとした課題も胸に去来するのだった。

 

株の信用取引で失敗、不妊治療費が出ない!?

 

 われながら、なんともカッコがつかない男だ。彼女に啖呵を切り、「種ナシを解消して今度こそ幸せな家庭を築くんだ!」と息巻いていたところで、株の信用取引に失敗。当面100万円もあれば乗り切れると算段し、それくらいなら余裕を持って工面できると考えていた治療費どころか、生活費すらひらひらと宙を舞うことになってしまったのだった。

 

 かろうじて破産は免れたものの、貯蓄はほとんど信用取引の追加保証金に回さねばならず、一時的にカードローンにも頼らざるを得ない日々が続いた。しかし、食うや食わずのなかでも、カラダをどうにかしなければ、という思いは強くなるばかりで、久しぶりにクリニックを訪ねることにした。

 

「先生、ご無沙汰しております。しばらく来ることができませんでしたが、ブログの方はいつもチェックさせてもらっています。ミツバチと農薬の問題、調べるほどにひどい話で、ボクも憤慨していますよ!」

 

 相変わらずくたびれた印象ながら、目の奥に不思議なバイタリティも感じる先生は、うれしそうにボクを迎え入れてくれた。

 

「君はあのブログの数少ないファンだから、来てくれてうれしいよ。しばらく顔を見ないから、どうしているのか心配していたんだ」

「実はいろいろありまして、ボクが種ナシだということで、彼女に捨てられちゃったんです。だから当面、子どもをつくることはできなくなってしまいました」

「そうだったのか……。いいお嬢さんだったのに、もったいない。でも、『種ナシ』は大げさだよ。君の場合はあくまで中度の乏精子症で、精子が少ないだけだから、回復の余地はある。子どもは十分、望めるよ」

「ありがとうございます。だからこそ、ボクもこうして未来を信じてやってきました。ただお恥ずかしい話なのですが、ちょっといろいろあってお金がなくなってしまって……」

「競馬? パチンコ? それとも、先物取引にでも手を出したのかな?」

「いえ、株の信用取引で失敗してしまいました」

「ダメだよ、短期利得目当ての信用取引は、プロにカモにされるだけだから。私は余剰資金で現物外の長期投資しかしない。現物なら含み損があっても放っておけばいつか上がるチャンスが巡ってくるし、それに――」

 

 と、思いもよらず投資の相談にまで乗ってもらうことになった。よく見てみると、診察室の書棚にはさりげなく『会社四季報』が収められている。言っては失礼だが、やはりパッと見の“くたびれたご老人”という印象とアンビバレントなものにも思える、農薬の闇を暴き、投資でも結果を出しているという事実が、ボクのなかで信頼感を増幅させていた。

 

「話は戻るのですが、乏精子症の根治治療には、『精路再建手術』でしたっけ? 場合によっては費用のかかる切る手術も必要なんですよね。ただ、相手もいなくなり、お金も余裕がなくなってしまったこともあって、すぐに体外受精をしなければいけないこともないし、長い目で見て5年、35歳になるまでに、いい相手を見つけて子どもをつくることができれば、と考えるようになりました。だから、外科手術なしで、何とか改善する方法はないかと思って、それをご相談したかったんです。先ほどの株の話に例えるなら、子作りも短期目当てのスイングトレードじゃなくて、長期の現物投資でじっくりいきたい、と」

 

 クリニックからしたら、サッとメスを入れた手術で終えた方が楽で、利益も出るはず。しかし先生は、ボクの言葉に拍手のひとつでもしそうな表情で、次のように応えてくれた。

 

「いい心構えだね。もともと私は薬物療法や、安易に切る手術には反対なんだ。もちろん、こういうクリニックに来るカップルのほとんどは、『できる限り早く子どもがほしい』という切実な事情を抱えているから、その気持に応えるために、どうしても化学治療や外科手術に踏み切らざるを得ないこともある。でも、やっぱり“上から読んだらクスリ、下から読んだらリスク”なんだ。体に無理な負担をかけてしまったり、500万円かけても失敗するケースもあるから、なるべくなら時間をかけて取り組んでほしいと思っている

500万、ですか……」

「そう。『体や財布に負担をかけても、子どもができればいい』と思うかもしれないが、化学療法はその場しのぎの対処療法に過ぎず、博打の要素は多分にある」

「それでは、漢方薬なんてどうですか? 化学薬品でなければ、リスクも低そうだし」

「確かに副作用のリスクは低いけれど、私に言わせれば、やっぱり気休めに近いものがあるな。そうだね、45年かけてじっくり構えるということなら、根本的な問題に立ち向かって、正面突破を狙うというのはどうかな?」

「正面突破、というと?」

「精子が滅しやすい、いまの生活習慣をあらためることだよ。農薬や社会毒を極力、排除した生活に取り組む、王道中の王道だ。信じられるかどうかわからないが、十分に価値があるし、私がこれまで得てきた知識を総動員してサポートするよ」

「食べるものを全部、無農薬に切り替えるということですか?」

「会社に勤めていれば食事の付き合いもあるだろうし、完璧に切り替えるのは難しいだろうね。ただ、自宅で食事をするときとか、休みの日とか、そういうところから変えていってほしい。自炊で無農薬の米を食べるようにするだけで、ずいぶん変わるはずだよ。昔の百姓は貧しかったけれど、子沢山だった。貧乏百姓一家がパンやパスタ、ピザなんて食べていたワケがないだろう?」

 

無農薬生活のススメ

 

 確かに、子沢山で9人兄弟だった父の実家は農家で、山で収穫した山菜や根菜、イモをよく食べていたと聞いた。ちなみに祖母は40代でも子どもを産み続けたそうだ。会津にいる従兄の家もやはり農家で、自家栽培の自然農中心で米をたくさん食べていると聞いていたが、4人兄弟でみな体が大きく健康だということを思い出した。

 

「でも、無農薬の食べ物なんてどこで売っているんですか? 高そうですよね」

「ネット通販がオススメだよ。デパートでも手に入るけれど、やはり値段が高い。それでも、化学治療にかけるお金からしたら、大したことはないはずだ。これを機会にタバコをやめるとか、飲みに行く回数を減らすとかすれば、十分にカバーできる。ただ、その生活を続けることができるかは、本人の精神力次第だね」

 

 診察が始まってから20分ほど経過しており、ほかの患者さんの迷惑にならないか、少々気になり始めていたが、まだ聞かなければならないことがある。

 

「失礼な聞き方になってしまいますが、実際に食生活の改善で精子が蘇った患者さんって、いるんですか?」

「申し訳ないが、5年計画でじっくり、という人はなかなか来ないから、患者に実践させたことはないんだ。でも、多くのデータと経験則から、オーガニックな生活を地道に続けることが、究極の不妊治療だと私は信じているよ。先ほど昔の百姓の話をしたが、飢餓に苦しむアフリカの国々で人口が急増していることも考えてみてほしい。飽食を謳歌するより、質素でオーガニックな食事のほうが、精子の質を高めるサーチュイン遺伝子というものが作動しやすいことがわかっている。乱暴に言ってしまうと、飢餓にさらされると本能が『子孫を残さなければならない』と察知する、というような話だね」

 

 いつのデータかは不確かだが、この地球上では、アフリカを中心に1分間で17人もが飢餓で亡くなる一方で、飽食の東京では毎日、50万人分の一日の食事量が無感動に廃棄されている、といった話を聞いたことがあった。東京に住むボクが子どもを授かりづらいのは、天罰のようなものだろうか……などと考えてしまう。

 

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