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バンドというものに動かされてきた人生(4)

Image by Olia Gozha

一度壊れた時のこと

ギタリストの子と、今度一緒に曲を作ろうと約束していた。ふと思い出して、今作ろうよ!とメールをしたけれどその日返信はなかった。次の日に、彼の母から返信が来た。彼は、亡くなっていた。自殺だった。

お花をもって訪ねた時、彼の母は、新しいパソコンも頼んだばかりだった、なぜかわからないと言っていた。数日前に撮ったという写真は笑顔だった。私もわからなかった。生と死の境界線がどこにあるのか。

この時、いつでもできると思っていたことがどう望んでも出来ないということを初めて実感した。

スタジオも適当に合わせただけだったので彼の弾いたギターを残せなかったこともとても後悔した。彼はもうどこにもいないのだ、と強く思った。曲を一緒にちゃんと作っていたら、と言う気持ちでいっぱいだった。

彼と何も残せなかったことは今でも悔しい。あの時私がまじめにやっていたら、と今でも考えてしまう。


そのバンドはそこで空中分解したのだが、運命は不思議なものでその時の名前も顔も覚えていなかったドラムの人に、またしばらくして再開することになる。

その時、歌がずっと離れなくて、たまに思いだしてました、と言われて、またやることになり他のメンバーを探したけれど見つからず、結果的に二人で活動を始めた。

ギタリストの彼の家に二人でお邪魔して、君がやれなかったことをこれからまたがんばります、見ていてくださいと仏壇に手を合わせてた。彼の家は不思議な静寂に包まれていた。次はいい報告をしに来よう、と誓った。


私の歌とギターが下手な事もあり、ドラムも経験もあまりなく、それでいてツーピースという選択をしてしまったので活動はうまくはいかなかった。

ライブをやっても手ごたえはなく、ただただこなしていく感じがした。

そのうちに、ドラムが就職するからもう辞める、と言って活動を辞めた。


そして私はもう本当にすべてが終わったと悟り、何もやる気がなくなり精神病院にしばらく入院することになる。30歳だった。


初めての入院は、半年病院で過ごしていた。亡くなったギタリストの子のことを考えて、なぜ私はまだこの世界にいるのだろうと思うことがよくあった。

精神病院と言っても、開放病棟だったし、とてもきれいなところで、周りに同世代の女の子も割といて、割とおだやかに空っぽなまま過ごしてはいた。


私の人生は、終わったんだと思っていた。どうでもよかった。死ねなかったので入院しただけだった。生きている意味は、病院にいてもわからなかった。人のいるところにはほとんど行けなかった。


それからしばらく、入退院をくりかえした。

やはりバンドが頭からはなれず、病院からスタジオに行かせてもらったりもした。

先生には、バンドはなくてはならないものだとわかっているようだった。バンドをしていない私に価値はないと、誰かに言われている気がした。

けれど誰とスタジオに入っても手ごたえもなく、続くことはなかった。

たまに一人で病院の外で、何もかも忘れたくなくてギターを弾いていた。

同じ病棟に入院していたおじさんが、退院する時バンドやってたならCD欲しいなあと言ってくれたのだけど、胸をはって出せるものがないことに心が痛んだ。私がやってきたことの意味はなかったと思ったら悲しくなった。


そして歌とギターを全く辞めた。

やりたい、と思う気持ちはあったけれどメンバーを探すという行動にもう出ることができなかった。

そのことを忘れるように関係のないことをたくさんした。仕事もいつまた酷くなって入院するかもわからなかったので、日銭を稼ぐだけだった。


けれど、まだ終わりではなかった。


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Image by Jukka Aalho

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