③田舎の工業高校生が株式公開を目指し七転八倒、んで失敗する物語。

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●携帯電話基地局工事参入

 

一職人として「携帯電話基地局工事」に入り込み、技術の習得につとめた。

1年もすれば、会社として参入していった。工事を請け負うまでになっていた。

 

悪くなかった。

 

携帯電話は新しい産業だった。

基地局の設立など、膨大なインフラ工事が必要だった。しかし、新しい産業であるために、新しい技術であるために、施工できるところが少なかった。

ウチがたかだか1年足らずで受注までこぎつけたのも、マーケットの拡大スピードに施工業者の増加が追いついていかないことが大きかった。

設計自体は、コムシス、大明など上場企業「電電ファミリー」と呼ばれた、古くからNTTの通信工事を担当していたところが行っていた。

その下請けの施工会社が実際の施工を担当していた。

 

ウチの施工会社での立場は2番手。孫請けと呼ばれる立場だった。

 

・・・もともとは3番手から始まった。

当然、カネの流れは上場設計会社から1次下請け会社に流れ、その下の2次下請けを通しウチに入金される。

その際、上にいる1次下請け、2次下請け、双方が20%、20%のマージンをとっていく。なので、ウチは、元々の請負金額の60%程度の工事代金でやっていたことになる。

この場合の上位2社は、売り上げを通すだけだ。人を出すことはおろか、打ち合わせすらしない。ただ、名前を通すことで売り上げを通す。・・・・・建築業では下請け、孫請けといったヒエラルキーは絶対だ。受注元である上場企業は簡単に一見の施工会社と取引することはない。そのため受注元上場企業との取引口座を持つ1次下請けの力は絶大だった。であるために、名前を通して、売り上げを通すだけで黙って20%のマージンを取っていった。

これが日本の建築業の構造だった。

 

東北の除染作業でも、名前だけを通してマージンを取っていく企業が数多い。

国が支払った金額のほとんどは、こうした名前貸企業に流れる。

末端の、本当に危険を冒して除染作業に携わっている作業員には、国から支払われた数分の一の金額しか手に渡らない。

これが、日本の現実だ。

日本の建築コストは高いはずだよな。

 

それでもチャンスだった。

独立して、最初に一般的な電気工事に参入していったときのウチの立場は4番手だった。

・・・・・・最終的に2番手という位置になったが、それは、そもそもの親会社が小さかったし、バブルのアダ花みたいなもんで実力と呼べるものではなかった。

そう考えれば3番手ならばいい立場だ。しかも、上位1社には「スジ」を通して・・・・それなりの金額を支払うことで退いてもらった。

現状2番手。あり得ない大出世といっていい。

そして今後も膨大な仕事量を見込めた。

しかも請負代金が良かった・・・・施工内容が難しかったからだ。

 

「携帯電話基地局工事」に参入して2年が経っていた。

携帯電話会社の通話エリアは拡大の一途。

1998年に長野オリンピックの開催が決定していた。

オリンピックには、国内外から数多くのプレスがやってくる。

電話回線、ネット回線の膨大な数が必要になる。

新たに有線でインフラを構築するより、無線で構築する方が安価だし、早い。

そのため、携帯電話インフラの構築が急ピッチで行われていた。

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