「嵐」の作曲家から学んだこと

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はじめに

 

僕が上京したときにとてもお世話になった、1個上の男性、田中さん(仮名)。

 

後に、国民的アイドル「嵐」に楽曲を提供することになる人だ。

 

(もちろん当時の僕には、将来そんなことになるとは、知る由も無かった)

 

実は僕は、田中さんとは小中高と一緒で、通ったピアノ教室もギター教室も一緒なのだが、ちゃんと話すようになったのは、僕が高校に入ってしばらく経った頃だった。

 

高校に入ってバンドを始めた僕は、音楽仲間ということで、田中さんとも交流を持つことが出来たのだ。

 

その頃の田中さんは、速弾きなどを主体としたハードロックのバンドをやっていた。

 

コピーもオリジナルも両方ともやっていたが、とにかく田中さんのギターはめちゃくちゃ上手くて、度肝を抜かれた。

 

他のメンバーもとても上手かったし人気もあったので、そのままそのバンドでプロを目指すのだろうと思っていたら、どうやら色々思うところがあったようで、田中さんはそのバンドを解散して上京し、東京では一人で音楽活動をしていた。

 

その1~2年後。今思えば我ながら無謀だが、僕もギターを背負って上京して、プロを目指して活動を始めた。

 

煙草が大嫌いな僕だったが、「時給が良いから」という理由だけで、煙草の煙が充満するパチンコ屋でバイトを始めた。

 

バイトして、ギターの練習をして、バイトして、作曲して、バイトして、ライブして、またバイトして・・・

 

生きていく上で、何か仕事をすることは絶対に外せないので、こんな感じで毎日は流れていった。

 

それは田中さんも同じで、毎日、某有名小売チェーン店で働きながら、プロになるための音楽活動を続けていた。

 

そして、その後、国民的アイドル「嵐」に楽曲を提供するところまで上り詰めた。

 

これが田中さんが当時から描いていた夢なのか、途中で夢が変わったのか、僕には分からない。

 

ただ、いずれにしても、客観的に見て誰もが分かるような、明らかな「成功」をしているし、普通の人ではたどり着けないような、そんな場所にたどり着いている彼を僕は尊敬している。

 

そんな田中さんから僕が学んだことを、田中さんの言葉や行動と共に、ここで共有させて頂ければと思う。

 

 

 

1.「毎日、辛いことだらけだ。でも、考えようによっちゃ、毎日、楽しいことだらけだ」

 

毎日バイトをしながら、いつ芽が出るとも分からない音楽活動を続けていたあの頃。

 

もしかしたら、一生、芽が出ないかもしれない。

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