オス化女子つるぞの【26】お茶の間のテレビの前で、コギャルとオヤジが大喧嘩!?
前3話では、「空き巣に入られたことがきっかけで、数々のミラクルを引き寄せ、結婚まで決めてしまった」というお話をいたしました。
今回のお話の舞台は、空き巣に入られてから約1週間後、つまり、大型マンションの販売センターに行くよりも前の時点に、さかのぼります。
2005年12月の27日だったか、28日だったかの夜
私は、カウンセリングのスクールの系列であるカウンセリングの会社の、カウンセリングルームにいました。
ここへきて、やっと私は、心理カウンセリングというものを、受けてみることにしたのです。
当時の私は、ファシリテーターさんに父親を投影し、彼に癒着して
でも、それを「手放さなきゃ!」とあがき、ワ~!ギャ~!ピ~!!の状態にありました。
「大好き~!」という自分の気持ちや、「愛してほしい」「認めてほしい」「受け容れてほしい」という欲求を
「それは癒着なんだから、手放さなきゃダメ~~~!!」
「そんなこと思っちゃダメ~~~!!」
と、理屈や理性で抑え込もうとして、私の心と頭は、四六時中、激しい戦争状態にありました。
もうね~、こんなに仲が悪いんなら、いっそのこと
首のあたりでチョキンと切り離して、頭は頭、ハートはハートで
別々の個体として生きていくほうが、よっぽどラクやん
って感じでしたね~。
まあ、実際にそんなことをしたなら、かたや生首、かたや首なし人間で、かなりホラーでしょうけれどw
仲の悪いもんどうし、ひとつ屋根の下で(というか、ひとつ身体の中で?)生きていくことほど、過酷なことはありません。
そんな状態を、数ヶ月続けてきたので、もうええかげん疲れきっていました。
なのに、癒着はいっこうに手放せないし、そんな自分が嫌で嫌で、毎日楽しくないしで、どうしようもなくなって、心理カウンセリングに頼ることにしたんです。
決して弱音を吐かない、強気で頑張り屋な私ですが、もうズタズタのボロボロのヘロヘロでした。
(しかも、1週間前に空き巣に入られて、トドメ刺されてますしw)
このときばかりは、カウンセリングのしょっぱなから、涙も鼻水も垂れ流しながら、自分の中の「惨状」を話しました。
でもね~、こんなときでも私、変な癖があるんですよね~^^;
相手はプロのカウンセラーさんなんだから、普通に
「ファシリテーターさんのことが大好きで、大好きすぎて、苦しいんです」
って言えばいいじゃないですか。
なのに私は
「ファシリテーターさんのことが大好きで
でも、これって、たぶん、父親を投影してるんだと思うんです。
・・・ファシリテーターさんに、普通に近づくことができなくて
でも、近づけないと寂しくて、辛いんです。
でもこれって、私のニーズ(欲求)だと思うし
・・・だから手放さないといけないって思って、頑張ってるんですが
辛すぎて、どうにもならないんです~(泣)」
というふうに話していました。
自分の身に起きた出来事やそれに対する感情を話せば十分なのに、自分の感情を、投影だとかニーズだとか、自分で分析したり、評価したりしてたんですね。
そもそも分析なんて、カウンセラーさんに任せればいいことですし、感情に良いも悪いもないのですから、評価する必要なんてありませんやん。
なのに私は、こんな相談のしかたをしていました。
思えば私、相談のときだけでなく、普段から、自分の中でこんなことを、ずっとしていたんでしょうね。
なので、このときカウンセラーさんからもらったアドバイスは
「ご自分の気持ちを、力でねじ伏せなくていいんですよ☆」
というものでした。
心理学をちょっとかじったぐらいのころに、多くの人が陥ってしまう、落とし穴というものが、あるように思います。
その落とし穴のひとつが
「自分の感情に、○×をつけてしまう」
というものです。
心理学関係のいろんな記事で、罪悪感とか、自己嫌悪とか、嫉妬などといった感情について、よく書かれていますよね。
で、そこに書かれているように、罪悪感とか、自己嫌悪とか、嫉妬などといったネガティブな感情は
感じているご本人にとっても、そして周りの人たちにとっても
あまり気持ちのいいものではありませんし、トラブルの種になることも少なくありませんし、あまりお得なものではありません。
でも、だからと言って、感じないようにしようとするのは到底不可能ですし、感じてしまった自分を責める必要もないんですよね。
だって、人間ですもの。
気持ちのよくないものだろうが、トラブルの種になろうが、お得なものでなかろうが
罪悪感を感じちゃうときは感じちゃいますし
自己嫌悪を感じちゃうときは感じちゃいますし