一本の映画を撮るように、人生をプロデュースする話。(第4章:歴史と勘右衛門 編)

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自ら自刃して、首を勘右衛門に与えた。


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林田左馬之助・・・。

敵ながら、天晴れ。


これほどの勇将・・・林田左馬之助は見抜いていたに違いない。


この男・・・勘右衛門になら、自分の首をくれてやってもいいと。


自分に匹敵するほどの”覇気”や”想い”や”必死さ”を、


勘右衛門から感じ取ったはずだ。


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戦国時代・・・。

アツイね。


必ずしも、一方が正義で、一方が悪ではない。

どちらも、

”正義”のために、

”主君”のために、

”家”のために、

”愛するもの”のために、

”立身出世”のために、

”誇り”のために、

”生きる”ために、

全身全霊で戦った。


まさに魂と魂のぶつかり合いだ。


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勘右衛門林田左馬之助が教えた通り、

首を母衣で包み、武雄領主、後藤純明に検分してもらった。

首実検で、当人に間違いがないかどうかを確かめ、

それによって、勲功(くんこう)と恩賞(おんしょう)が決まる。

母衣首(もろくび)は、討たれた武者の母衣で包むことで証拠とした。


林田左馬之助が教えてくれていなかったら、

拾い首、捨て首、
または他人の功を横取りする奪い首と判断されていたかもしれない。


勘右衛門の軍功は証明され、恩賞地と屋敷を与えられた。



勘右衛門は、今のオレを形作るものに大きく関係している。


勘右衛門の苗字は、”犬走”

犬走勘右衛門。


そう、


オレのひいひいひいひい・・・

・・・・ひいひいひいひいじいちゃんだ。​


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後に、豊臣秀吉の朝鮮出兵時、

中山勘九兵衛、
野中主水、
橋口九兵衛とともに、

”虎狩り四天王”と呼ばれた、犬走弥大右衛門は、勘右衛門の孫にあたる。


勘右衛門は後に一族で”犬走”という地域から、
”三間坂(みまさか)”という地域に移住する。

そのため、功績を讃える表忠碑は、武雄鍋島家と地元有志の手で、
三間坂の鎮守神社(通称:ごんげんさん)のそばに建立された。


特筆すべきは、碑の表書きに”命(ミコト)”の文字が記されていることだ。

勘右衛門の霊を”戦の神”に神格化しようとの意図が感じられる。


昭和の初期に兵役につく若者は、

まず鎮守神社に参拝して神徳を仰ぎ、

続いて、勘右衛門の表忠碑の前で、

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