若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話

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監督の先生が一人ついた。その先生を僕は今まで見たことがなかった。他の学年の先生らしかったが、見た目がとても貧相だった。先生は具体的に何を指示するわけでもなく、ただ教壇の机に座っているだけだった。僕にはこの先生が、いやいや教室に来ているように思われた。まるで、お前らが修学旅行に行かないものだから、余計な仕事が増えた、と言わんばかりに。

退屈な時間が過ぎていった。

 

やっと午後になった。

さすがに黙って監督することに疲れたのか、午後は何をしてもいいというので、僕は一人グランドでタイヤ引きをやることにした。足腰を鍛えるために古タイヤにロープをかけたものを腰に引っ掛けて引っ張るのだ。

これが、結構ハードで、100mを2往復もすると息が切れる。

一息つくとまた走り出す。誰もいないグランドでタイヤを結んだロープを腰にぶら下げて、もうもうと砂ぼこりを立てながら一人走っているのだから、滑稽だ。

数人の1年生が校舎の窓からもの珍しそうにじっとその様子を眺めていた。三木高校には修学旅行に抗議して、タイヤを引っ張っているこんなやつもいる、ということを下級生に見せておきたいという気持ちが僕の心のどこかにあった。

僕は、窓の1年生に手を振りたい気分だった。

 

こんな調子で4日間が過ぎた。

4日後、修学旅行から帰ってきたXが登校してくるなり、真っ黒に雪焼けした顔で僕に土産を差し出した。

「これ、土産や」

見ると、どこにでもありそうなスキー板を抱えた人形が立っている飾り物だった。

「おおきに」

僕はそういいながら、内心みんなには迷惑をかけたことを申し訳なく思った。

 この事件との関係は定かではないが、翌年からスキーウエアはレンタルで統一された。僕の行動が少しは役にたったのかもしれない。

僕は、その後に返してもらった修学旅行の積立金でちゃっかりと250CCの中古バイクを買った。

 

 

⒖怪我を恐れるな

 

 修学旅行も終わり、いよいよ春のシーズンがやってきた。関西大会出場のためには、県で2位にならねばならない。毎日、U先生が考え出した厳しい練習が続けられた。

県大会を控えたある日、最後の練習メニューである実践練習をやっていたときのことだ。

ディフェンスのインサイドラインバッカーに入っていた僕は、ギブによって前方からボールを持って突進してくるハーフバックのOTにタックルをした。OTは2年生で体は小さいが下半身がしっかりとしていて、当ると痛い。

そのOTにタックルしようとした瞬間、OTが体を少し、右に捻った。その弾みで僕の左手がOTの体の正面にまわり込み、OTの体と接触した。「ぐにゅ」という鈍い音がして、手首が内側に曲がった。親指が腕にくっついた。

 

その瞬間は、何も感じなかった。が、すぐに、僕の左手首から頭の先に激痛が走った。声も出せないくらいに痛い。僕は思わずその場にうずくまってしまった。

心配して、Mが駆け寄ってきた。

「手首を捻ってしもうた。これは練習でけへん。ちょっと休むから続けといて」

僕はそういうのがせい一杯で、左手を押さえながらグランドの角にある藤だなの下に向かった。

 僕は藤だなの下でベンチに腰掛けて休んでいたが、その日は、痛みが収まらず、結局復帰することができないまま練習は終わった。

少しでも手首を動かすと、激痛が走る。そして何もしなくても、ずきずきと痛みがあった。

 

僕は自宅から自転車で通学していた。学校から帰るときに自転車に乗ろうとしたが、左手が全く使えない。仕方がないので、右手だけでハンドルを握って自転車に乗って自宅まで帰った。

自宅は、坂の上にあった。自転車を片手で運転して坂道を登るのは結構難しかった。つい右手に力が入ってしまい、ハンドルを右に取られるからだ。追い越していく自動車に何回もクラクションを鳴らされた。

 

自宅に帰ってからも手首の痛みは取れなかった。余計な心配をさせたくなかったので、家族には怪我のことは内緒にした。

僕はそのうちに痛みが和らぐだろうと、高をくくっていたが夜中になっても状態は変わらなかった。痛みのせいで眠ることができない。仕方なくベッドから抜け出して、こっそりと冷蔵庫から氷を取り出し、ビニール袋に詰めて冷やそうとした。

それを母親に見つかった。

「こんな夜中に何をしとんの」

僕はびくっとした。

「ちょっと、のどが乾いたから」

そういってその場をごまかした。

その夜は痛みで一睡もできずに朝を迎えることになった。

顔には、べっとりと、脂汗がにじんでいた。

痛みに腹がたって、ベッドの上をたたきまわり、眠れないことの苦痛と、夜の長さを思い知らされた。

やっと朝がきたときには、痛みは変らなかったが、窓から差し込む太陽の光を見て、何かから解放されたような気分になった。

 

自転車の片手運転を母親に見つからないようにして、学校に出発した。

(あかん。痛みがとれへん)

手首を見ると倍くらいの太さに腫れ上がっていた。

(放課後病院に行こ)

僕はようやく、病院にいく気分になった。

放課後、Mに病院に行くことを告げると、僕は高校の近くの外科へ向かった。

その外科は、三木高校から自転車で2分のところにある。

病院に到着して、入り口のドアを開けると、そこには、見たことのある看護婦さんがいた。いや、看護婦さんではなく、見習さんだった。

僕にはすぐにそれが誰であるか分かった。中学の同級生のKDだ。少しボーイッシュなところは今も変っていない。

「僕君、元気」

「元気やけど、病院に来た」

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