超低学歴、高校時代偏差値30以下?!の私が副業に手を出して毎日楽しくビジネスをして過ごしている話
いわばドクターストップになりました。
今まで怪我をしたことがなくどう対処すればいいのかわからない。
卓球が軌道に乗り始め順調になっていたころに怪我をしたショックと同時に小学校5年から今まで1週間ほぼ毎日動いていたという疲れがどっと来てしまい卓球がどうでもよくなった瞬間が始まりました。
部活は足の痛みを理由に1ヶ月ほど行かなくなりました。
部活やるのが義務と認識していたから行かなくていいことがとても楽しくてそのまま退部。
高校2年になるといつメンと離れて1人だけ違うクラスへ
そのクラスはあまり入れ替えがない常態のクラス
例えるなら
ウサギの部屋に亀が無理やり入れられたイメージ。
ですね。
担任は周りから恐れられている担任でしたね。
担任がものすごく嫌いで1年の時の同じクラスメイトが嫌すぎて不登校気味になる程、それくらい一時期来なくなった人もいました。
私は、ストレスすぎて心臓が若干痛いのと卓球がやりたいという気持ちがあり、葛藤し憔悴しきっていた時期でもありました。
本当に心身ストレスで疲弊しきったときにある親にある決断をしました。
それは、
また卓球部に戻って仲間と卓球がやりたいこと
もちろん、親に告げるも反対され、辞めた人間が部活に戻ることをいいように捉える人間はいません。
戻ったとしても悪い雰囲気が漂っている時期が多いなどいろんなよくないこと、3年生にとっては大事な時期であまりにもタイミングが悪すぎる
などいろんなよくないことだらけでした。
けど、意を決して、いま戻らないと一生後悔すると思い戻りました。
本当に嫌々ながら受け入れてくれた監督、コーチ、先輩、同期、後輩に感謝しきれません。
結果としては県大会、団体個人県大会ベスト4、関東大会出場
することができました。
あのとき、辞めなければよかったっていう後悔の念が未だにあります。
けどあのとき戻って正解だったと思っています。
高校3年は年度変わりの時期に
東日本大震災がありクラス替えはなく担任もそのままでした。
高校2年からはいつメンと離れていたので話し相手がいなかったので部活のときくらいしか話し相手がいなかったですね。
部活引退後は誰とも会話はしていませんでした。
気がつくと
「学校で誰とも話してないや」
といった感じになりました。
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