あぁ ワタシの苦悩よ ー生き方を変えたワタシの生活ー

 これをご覧いただいた方に感謝します。そして枝のように人から人へ広がっていけばいいなと思ってます。これが私の人生である。


 私は気分変調症と広場恐怖を伴うパニック障害・自律神経失調症・過敏性腸症候群・両下肢障害を持っている。私の小説やエッセイ(自虐伝)が誰かの目に留まりこれらの病気や障害がある前提でこの話を進めていこうと思う。


 小学校2年生の9月27日、私の人生は変わった。交通事故を起こし、脳挫傷・右足骨折をし半年もの長期に渡る入院をせざるを得なくなった。病棟には様々な患者さんがいた、この辺りは個人情報に当たるのでここで話を終えようと思う。車いす生活は苦痛だった、下の世話は必ず看護師や親がいないと出来なかった。今思えば大切な時期を失ってしまった。

 一時期、外泊の許可が出て親と学校へ行き、クラスメートと顔を合わせたりもした。一定期間を経た後、私はリハビリの為自宅から1時間以上もかけるくらいの病院に転院した。以前の病院で足のギプスは取れ、自力で歩行できる様になり、OT・PT・ST・心理も行った。そこでの暮らしも毎日が苦痛だった、集団での暮らし・ジェネレーションギャップ…何もかもが苦痛で耐えがたいものだった。時には脳波の検査で長時間かけて行ったので、我慢が限界に達し主治医に当たってしまったことがある。復学したのは小学2年生の3学期からだが、全然実績を作れず自身も両親も心配だった。だが進級することができ私は当時の教師に感謝をした。しかしその頃から学年が上がるにつれて成績は下降していった。

 小学校を卒業し中学校へ入学、嬉しいの一言だった。他の学校の生徒も来る為、徐々に居づらさを覚えた。1年生の中間テストではまずまずの成績を収めるも、次第に飽きや通信講座ばかりに手を付けてしまい、周りには疎外感を覚えた。中学2年生の頃から過敏性腸症候群の症状が顕著に表れ始め、クラスメートや教師の方々に迷惑をかけたと感じている。金銭の絡んだ騙しも受け、弄られ役でもあった。

心もその頃からダメージを受けていたのかもしれない…中学校は無事に卒業を迎えた。

 高等学校は某市の底辺クラス。周りは金髪・茶髪、柄が悪い人ばかりだった。

今では思い出したくもない過去である。初めから弄られる日々が続いた。だが中間テストや期末テストで出る答えを予め教えてくれるのは多分都立や公立との違いがあって有難かった。中学生は落第点ばかりだったので周りはあまり気にせず、テストではまずまずの成績を収めた。2年時には覚えてもすぐ忘れてしまうようになり、周りからは段々嘘つき呼ばわりされた。そんな悩みを持ちながらも成績は下げられないので、必死になって書いて覚えていた。3年生には苛めを受けた。

 2年生後半からは受験シーズンもあったので塾に通い始めたがそこで培った経験は活かされることはなかった。大学受験を目指していたのだが、一般受験が時期的に危機で脳疲れからか分からないが、積み重ねた知識を忘れてしまった。その為不合格が続き、挫折を味わうことになった。受験の頃は学校を休んでいたので、高校に再度行ったときはクラスメートから罵倒された。肝心の進学先は専門学校へ行かざるを得ない状況となってしまった。

 自宅から自転車で1時間かけ通学していた。今思うと何故そのような選択してしまったのか後悔している。大学受験の他にもファッションに興味を持ち始めていたので、それが全てを悪い方向へ向かわせるきっかけだったのかもしれない。進学先でも慣れない生活を強いられる。服飾の世界は高校で製図をしていた経験もあるので、少しはかじる所があった。そして周りのクラスメートはフランクな感じでもあったので段々自分に寄っていた所もある。学費の足しになればと思い、アルバイトも始めたが半年以下で辞めてしまった。その後は髪も染め、周りに順応したい自分がいた。対して1年で就職活動をしなければならなかったし、まだ働きたくない自分がいた。なので卒業後は通信だが大学に入学するようになった。次の働き先を探すもハローワークすら知らなかったのでアルバイト中心に探していた。しかし未熟だったせいか不採用。遊んでいた時期もあり、終電でアルコールの入った体で乗ったせいで広場恐怖を伴うパニック障害を発症。その後、某企業のアルバイトを経験し、辞める方がいらしたのでその穴を埋める様にパートとして入社した。

 初めて働いた企業では人間関係で悩んだ。4年目の夏にうつ病を発症(後に気分変調症となる)、退職する決意を固めた。その後の1年間は病気を抱えながらも就職活動をし、やっと就けたのが金融業界。そこから事務職を中心に選ぶようになっていた。

しかし半年で退職。某就労移行支援事業所を1年近く利用し、ある広告会社に入るも3か月で退職。病院も同時期に転院し改めて気分変調症と診断され今に至る。

 何故社会復帰を諦めた・目指さないのか、理由は自分自身の性格と薬にあると思う。辛いことにひねくれ者になってしまった薬も中々合うものが見つからずやっと見つけ安定している。私は棘の道ばかり選んできた、それがこの結果だ。時々「死にたい」や「辛い」と思う時がある。本当は「死ぬほど辛い」「逃げたいほど辛い」なのである。これは関わってる人には誤解しないでほしい。この症状と障害とペンネームだが土山ヒデキとして、ケータイ小説・電子書籍の執筆活動はしばらく続くと思う。これを最後と最終のエッセイにしたい。


 今後はいい方向に転ぶのか悪い方向が続くのか分からないが、八方塞がりだから仕事は勿論、恋愛も結婚も神様に任せるしかないだろう。


 ここまでご覧いただきありがとうございます。

 人生というのは順風満帆にはいかない場合だってあるのです。苦悩ばかりの人もあるのです。最初に申し上げたように『枝葉のように人から人へ広がっていけばいいな』と思ってます。


みんなの読んで良かった!