50か国を回ったコスプレイヤーが、10年続けた金融のファンドマネジャーを辞め、お洋服ブランドを立ち上げるまで。

1 / 3 ページ

私は新卒からずっと日系と外資の金融機関(バイサイド)で、計10年、株やオルタナティブアセットのファンドマネジャーをやっていました。

去年に某メガバンクを辞め、今はKawaii系のお洋服のブランドを立ち上げています。金融時代の事は「(4)金融のキャリア」に詳しく書いています☆

 

金融でお金・経済の動きの最前線を目の当たりにしていたからこそ、日本の経済成長のスピードが伸び悩んでいる事に大きな危機感を持っていました。それもあり、日本発を貴んでくれているコスプレやアニメ、Kawaii系の文化を大事にしたいという気持ちも強く持ち、Kawaii系ブランドのお洋服を作りつつ、自らも日本のコスプレイヤーとして世界に出て行っています。



お洋服ブランドは「年齢・性別関係ないオシャレを!」をテーマとして、40歳の女装男子さんをモデルとしたKawaii系ブランドです。なぜやろうかと思ったかというと、

「お洋服で人に線を引くのではなく、お洋服を通して逆に人と人との間の線をなくして、自由な気持ちになってほしい」

と思ったからです。詳しいブランド設立の経緯は、↓の201712月~20182月に開催した、私のクラウドファンディングサイトを見てやってください☆

https://www.makuake.com/project/atukosvet/

折角のこの場の機会なので、主に、コスプレに夢中になって世界に行くまでの事を書けたらと思っています。

 

(1)コスプレイヤーになるまで

私がコスプレを初めてやったのは高校二年生です。

初めて行ったイベントで、当時憧れだったコスプレイヤーのお姉さん達に「凄く可愛いですね!」とほめてもらった事がきっかけでした。

小中学校の頃に手術が必要な病気を患っていたせいで、いじめられていた私だからこそ、その「可愛いですね」という言葉は、当時何よりもの宝物でした。

また、当時はオタクやコスプレに対する偏見が今より強く、親に黙って衣装を作り上げ、初めてコスプレイベントに行った日には、帰るなり親に「今日お前は何してきたんだ!?」と勘当された事を今でも覚えています。

コスプレのおかげで、何百着ものお洋服やウィッグと小道具の自主製作を通し、ものづくりだけでなく、メイクやファッションまで大好きになった上、写真や表現の世界への造詣も深まり、本当に幸せです☆

 

また、絶対音感があったため、高校時代は自分でファイナルファンタジーやペルソナ等のゲーム音楽やJ-pop音楽を100曲以上耳コピでDTM打ち込みをし、Midi音楽のHPを作ったりもしていました。耳コピながらにかなり本格的に作りすぎて、JASRACの著作権法施行時にはJASRACに見つかって直接メールが来たりもしました☆()

更にそこから発展し、文化祭の演劇ではBGMを担当させてもらったり、あと、女性向けWeb音ゲーの音楽を作ったりもしていました。

作曲活動があまりに楽しく、当時は音大に行きたいとすら思っていました。しかし、親を納得させられず、結果「受験勉強を一刻も早く終えたい。大学に行けば時間がいっぱいありそうだからコスプレも更にいっぱいできる。何より憧れのコスプレイヤーのお姉様方とまた遊べる!」と思い、4年制大学の経済学部に入りました。

上記の通り、当時の私には「やりたいこと」「将来の夢」とかいう大層なものはなくて、ただ「楽しいことをいっぱいしたい」くらいしか考えていなかったです。多分今もそうです☆

 


(2)バックパッカーとして世界中を回る

大学時代はコスプレ三昧でした、年齢やバックグラウンド関係なくいろんな人達と、コスプレを通してフラットに繋がれるのは本当に幸せなことでした。

そして、ある日私に、仲良しだったコスプレ仲間のお姉様たちが、「ひかりちゃん、社会人になったら、お金はあるけど時間はないと感じる日々だよ。だから大学生のひかりちゃんは、借金してでも時間を有効に使った方が良いと思う」と言ってました。そう言われた私は、大学当時に早速、一番やりたかった「世界一周バックパック一人旅」を敢行し、休みを活用して色々な国に一人旅に出かけました。

変わった事が大好きだったので、みんなが行ったことない国に興味津々でした。

思い起こせば、珍しい国を中心に合計40か国以上出かけていました。

 

今はもう行くのが大変なシリアにも好奇心で出かけました。イスラエル(ジェリコとヘブロンとベツレヘムとエルサレム)にも行きました。数行では書けないレベルに、とても面白い国でした。



海外ボランティアとしては、20歳の時にアラスカに行きました。

昔から行きたくて仕方がなかったアラスカでは、アンカレジ~フェアバンクスを7日間かけて走る、世界最大の車いすレースのサポートクルーをやりました。

私はエスキモーのお姉さんと二人で、エルサルバドル人の車いす選手のサポートを担当しました。エスキモーのお姉さんには「日本人って、豊かすぎて何もできない国にいる人たちなんでしょ?」と最初に言われ、また、レーサーの人達には、過酷でハードなレースの中での関わりを通して「助けた気になっている自己満足はボランティアではない」ということを経験を通して痛感させられたりと、全てが学びでした。

何より、車いすレーサーの人達が、健常者の人達以上に生きるエネルギーに溢れていて、ボランティアという言葉を使うのがおこがましい位だという事を痛感したことが、まだ学生だった私にとって一番印象的なことでした。

 

21歳の時にはロシアをはじめとする旧共産圏の13か国を2か月かけて一周しました。

旅程は、ロシア(モスクワ・サンクトペテルブルグ)→ウクライナ(キエフ・リヴィヴ)→ハンガリー(ブダペスト)→クロアチア(ザグレブ・プリトヴィッチェ・ドブロブニク)→ボスニア(サラエボ・モスタル)→モンテネグロ(ポドゴリツァ、コトル)→セルビア(ベオグラード)→ルーマニア(ブカレスト・ブラショフ)→ブルガリア(ソフィア・ヴェリコタルノヴォ)→マケドニア(スコピエ・オフリド)→アルバニア(ティラナ)→トルコ(イスタンブール)→ウズベキスタン(タシケント・サマルカンド)でした。

 

みんなの読んで良かった!