私が「自由」を求めるワケ③

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ココロを閉ざした私に、

一筋の光が見えました。

お姉さんが妊娠したのです!

その頃はお姉さん=お母さんとなっていたので、
私に弟か妹が出来る!と思ったのです。

兄が消えた事で淋しくなった我が家には、
とても嬉しい出来事でした。

産まれたのは妹でした。
とても小さくて弱々しくて、
可愛くてたまりませんでした。

私はお姉ちゃんとして、
子育てやお手伝いを積極的にやり、
すっかり「家族のお姉ちゃん」として
色々な役割を担う様になっていました。

母は私に妹を預けて出かけてしまい、
なかなか帰って来ない事も多く、
大変な思いもしましたが、
自分が子供を産んだ時には役に立つ経験でした。

ですが、
ある出来事で開かれつつあった私のココロは
また固く閉ざしてしまいました。

小さい子ってよく食べこぼしをしますよね?
口の周りにいっぱいご飯をつけたり。
妹が口から食べこぼしたご飯を、
母は何のためらいもなく自分の口に
運んでいる光景をよく目にしました。

そんなある日、
少食だった私は自分の食べ残しを
母に食べるか聞いたのです。
その答えは、
「そんな汚い物食べる訳ないじゃない!」
でした。

妹の口の周りのご飯は汚くないのに、
私の食べ残しは汚いんだ!

ショックでした。

一生忘れる事ができないほどの衝撃でした。

それからも母は事あるごとに、
「自分のお腹を痛めて産んだ子は可愛い」
と言う言葉をよく口にし、
妹の事がいかに可愛いかを強調しました。

それを聞く度に、
「あんたは私が産んだわけじゃないから可愛くない」
と言われている様で、
私の心は傷つき、ますます固く心を閉ざすのでした。

心を閉ざした私は、元々細かった食が更に細くなり、
給食のパンがいつも食べられなくて
家に持って帰って来ては妹にあげていました。


一方で父はと言うと、
いつもカリカリピリピリしていて、
厳しく恐ろしい存在でした。
彼はストレスが溜まると、
母の留守中に私を虐待していたのです。
母が留守にしないと、
何かしらの理由をつけては私を外に連れ出し、
虐待されました。

母もよく殴られていました。
すると、母はすぐ家出をし、
更に私は父に虐待されました。

母は病気ばかりで入院を繰り返していましたので、
その間も私はいつも父の餌食になっていました。


小学4年生の途中で、
同じ市内にまた引越しをして、転校をしました。
そこで母が、
「お好み焼き屋」
を始めました。

商売はうまくいかず、1年足らずで廃業。

同じ場所で、父は車の保険の代理店を始めました。

家と繋がった事務所で仕事をする様になった父の、
私に対する虐待や束縛は年々激しくなっていきました。
母はその頃は気付いていた様でしたが、
見て見ぬフリをしました。
そして、父が私にあまりにも執着する事が
嫉妬心を煽ったのか、
母も私に対して虐待をする様になって行きました。


私は、ますます本の世界に逃げ込み、
暇さえあれば本ばかり読んでいました。
勉強机の前に座り、勉強をするフリをして
本を読んでいました。

おかげで、前にも書いた様に、
視力がどんどん悪くなり、
メガネをかける様になりました。


この頃から、
自殺を考える事が多くなって来ました。
また、父を殺そうかと思ったりもしました。
でもあんなヤツのために犯罪者になるのは
まっぴらゴメンだったのと、
幼児期に読んだ物語のおかげで、
今はツラくても、いつかきっと幸せになれるハズ!
と言う思いから、ひたすら我慢をしました。

高学年の頃には、ストレスから胃を壊し、

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