私が自由を求めるワケ⑦

我が子が産まれ、

史上の幸せを感じた私ですが、
主人は穏やかではあったものの、
自分の事しか考えられない人で、
相手の気持ちがわからない人でした。

もちろん家事もほとんどしませんでした。


家に我が子と二人きり、
誰にも頼れない孤独な育児と、
仕事をしていた時には、
あんなに毎日が充実していたのに、
社会から置いてけぼりにされ、
働いていない事で、
周りから怠けていると思われている様な感覚。

両家の親からは、
子供が3歳になるまでは、
ちゃんと母親が育てなければいけないと言われ
(私は違ったのに!)
仕事をしたい気持ちを抑え、
毎日を過ごしていました。

またしても、女は損だ!
と思いました。

女は子供を産むと家に居るのが
当たり前と言われるのに対し、
男はやりたい仕事を思う存分出来るし、
家事をしなくても良いし、
仕事帰りに仲間と飲んで来るのも自由。

あんなに自分の子供には
精一杯の愛情を注ぐつもりで退職したのに、
孤独な子育てと、
家庭に縛られている状況に、
私は行き詰まっていました。

仕事が好きだった私は、
外で自由に働きたい!
とばかり思う様になっていました。

しかし、当時は今に比べて保育園が圧倒的に足りていなく、
3年待ちなどと言われている状況で、
しかも申し込みをする時点で仕事をしているのが条件だったので、
退職していた私は、
子供を連れての就職活動などできるハズも無く、
その時点では仕事をするのを諦めざるを得ませんでした。


孤独な育児をしているうちに、
2人目の子供を授かりました。

女は損で不自由、と思っていた私は、
自分が男になりたいばかりに、
我が子は絶対に男の子しか考えられませんでした。
しかも男の子二人というのが夢でした。

なので、すでに長男を授かっていた私は、
きっと二人目も男の子に違いない!!!
と喜び、働けない事への不満は一気に
どこかへ行ってしまいました。

少しつわりはあったものの、
もうすぐで妊娠6ヶ月に入ろうとする
ある日の朝、
私は破水している事に気が付きました。

病院に連絡すると、
大至急病院に来る様に言われました。
上の子は置いて来る様に言われました。

主人に病院に連れて行ってくれる様に頼むと、
今日は会議があるから無理だと言われました。

まだ朝早かったので、
少し経ってから近所の奥さんに事情を話し、
ちょっと病院に行くので、
上の子を預かってくれる様、お願いしました。

当時は公団の様な古い社宅の2階に住んでいたので、
一度下まで降りてから、
預かってくれる4階のお宅まで、
階段で上がって行きました。

タクシーを呼んであったのですが、
なかなか到着せず、
長い間道路の脇に立っていました。

その間、ずーっと破水し続けていました。

やっとの事で病院に付き、
慌ただしい雰囲気の中診てもらうと、
先生は言いました。

お腹の子は諦めた方がいい・・・。

最初、
先生が何を言っているのか全然わかりませんでした。

何の事を言っているんだろう?
先生は誰かと私を間違っているんだ!

そう思いました。

先生は続けました。

破水の量が多すぎるし、
細菌感染の恐れもある。

破水が止まって臨月まで入院すれば、
ひょっとしたら命は助かるかもしれないが、
先天的な病気で長くは生きられないかもしれない・・・。

という様な話をされました。

頭が真っ白になりました。

少し考えさせてください・・・。
と言ったまでは覚えていますが、
その後の事はよく覚えていません。

そうこうしているうちにも、
破水は止まらず、
これ以上は母体が危険だから、
掻爬するしか無い・・・。
と言われました。

まだ生きている子供を殺すなんて!!!

でも、上の子をおいたまま死ぬ事は出来ない・・・。

仕方なく、手術してもらう事にしました。

ほぼ6ヶ月だったので、死産扱いでした。

子供を産んだ後に訪れる後産もあり、
産んだ後は喜び一杯で耐えられる痛みも、
子供を失った私にとっては、
追い打ちをかける痛みでしかありませんでした。

普通の産婦人科で入院していたので、
周りは可愛い赤ちゃんと、
おめでたいムードで溢れている中、
私だけは不幸のどん底でした。

子供を殺してしまった・・・。
何がいけなかったんだろう・・・。
色々な事が脳裏に浮かんでは、
自分を責め続けました。

そしてふと、
主人があの時にすぐ病院に連れて行ってくれていたら、
お腹の子を殺さなくて済んだんじゃないだろうか?
という思いにたどり着きました。


退院してからは、
上の子の存在だけが、
私の救いでした。



今回はこの辺で。












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