私が自由を求めるワケ⑧

2 / 2 ページ

全て私がしなければいけませんでした。

主人は、自分がやりたい目の前の事にしか
興味が無い人でったので、
私がせざるを得なかったのです。

私は、いつも不安定な経済状態の家庭で育ったので、
いつも将来が不安だったのですが、
主人は安定した家庭で育ったので、
考える必要がなかったのかもしれません。


子供の頃からずーっと
借家にしか住んだ事の無かった私は、
自分の我が家という物に、
とても憧れがありました。

念願の我が家に入居したものの、
設計時に依頼してあった寸法や仕様通りに
仕上がっておらず、
私は不満を訴えました。

しかし、建築の専門家でもなくまだ20代だった
私の意見はスルーされ、
主人は案の定、全く頼りになりませんでした。

せっかくの夢の我が家は、
家事をしない人の目で設計された、
寸法内に部屋数と必要な設備機器が
詰め込まれていれば使い勝手などどうでもいい。
という様な印象の家でした。

元々家に興味のあった私は、
それからというもの、
折り込み広告の家の間取りを見ては、
この間取りは使いやすそうだ・・・。
などと、比較するのが常になっていました。


子供達はスクスクと育ち、
上の子が小学2年生、
下の子が幼稚園の年中さんになった時、
主人が千葉の市原に転勤になりました。

新築の家を買ったばかりでしたし、
通勤するには少し遠過ぎましたので、
主人だけ、単身赴任をしてもらう事にしました。

しかし、寮生活で食事付きだったにも関わらず、
主人の金遣いが荒く、
ローンを抱えたばかりの我が家の家計が、
立ち行かなくなりました。

仕方なく、新築の家を貸し出して、
古い社宅に引っ越しをしたのでした。


続きはまた次回へ。







著者のKayo Satouさんに人生相談を申込む

著者のKayo Satouさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。