機械

『伊藤 花』
 出生届に記載された名前を見て、私はふふっと笑った。
「花か……馬鹿に格好付けた名前ばっかりの時代に、良い名前だなあ。これくらいシンプルでなきゃ」
 四月の頭である。地元の役所に新規採用された私は、最初の仕事として異動届の整理を命じられた。
 異動届は、要するに引っ越しだの生まれただの、役所に届け出をしなければならない諸々を書いた記録である。毎日何かしらの届け出が百数十はあるから、それを日付毎に綴って保管庫に入れ、いつでも個人情報を厳格に管理・使用できるようにするのだ。
『伊藤 花』
 整理の過程で、どうしても個人情報が目に映る。
「かわいいねえ」
 番号を振って、そっと出生届の山に置いた。

 勿論それだけで一日が終わるわけではない。窓口の対応を学んだり、実際に出てみたり、整理した情報を最近導入されたばかりのパソコンに打ち込んだり――雑用と学習でてんやわんやである。

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 ある日、先輩の後ろにつかせてもらい、窓口対応をいつもの通りに見せてもらっていた。
「番号札をお客さんが取る。それを呼んで、対応開始。確認事項はこの用紙の、こことここ。もうこれは大丈夫だね」
「はい」
「あ、次こっちの窓で呼ぶから」
 番号呼び出しの機械に手を伸ばした先輩は――しかし、少し手を止めた。
「ねえ、ここが何の窓口か、分かる?」
「何の……というのは?」
 肩越しに先輩が言ってくる。
「いつも見てる窓口、あそこは何担当?」
 ああ、そういうことか。
「転出・転入・転居・印鑑登録です」
「そうだね。じゃあ、今から呼ぼうとしてるここは?」
 ……分からない。
「なら、今覚えて」

 ここはセンシティブな場所。届け出の中で、死亡届を担当する。

「死亡ですか」
「そっ。当たり前だけど、他の窓口みたいに笑顔を出すのは控えた方が良い。淡々とね」
 だから後ろで見てる時も、淡々とお願いするよ。そう先輩に釘を刺された。
「んじゃ、呼ぶね」
 ピンポーン
『87番のカードをお持ちのお客様、8番の窓口まで、お越し下さい』
 腰の丸まった、小さなお婆さんが来た。
「うちの旦那がねえ、やっとこさ人生全うしてねえ」
「そうですか……では、こちらで確認事項がございますので、少々お待ちいただけますか」
「はいはい」
 亡くなった旦那さんの名前を調べ、回収して廃棄すべきものが無いかを見る。特に無さそうだ。そのまま、手続きを終了する。
「何か、ご不明な点はございますか」
「あー、ええっと、何だっけ。あのぉー、娘が一緒に暮らそうって言ってきて、引っ越そうと思うんだけど、それはどうするんですかねえ」
「お引っ越しですね、こちらの紙にお名前とご住所を書いて、七番窓口の番号札をお取りになってお待ち下さい」
「あら、ここじゃないの?」
「申し訳ありません、お隣なのです」
「そうー、ありがとねえ」
 お婆さんはちょこちょこと歩いて行った。

「結構来るものですね、死亡届」
 お婆さんを皮切りに、一時間で五人やって来た。どれも、添い遂げた伴侶とか老いた親である。だから亡くなる覚悟も出来ていたのだろう、窓口に来た人が妙にしんみりしているとか泣きそうとか、そういうことは無かった。
「まあね。毎日誰かしら死ぬよ」
 次の番号が待っているから、特に雑談することなく呼び出す。
 ピンポーン
『93番のカードをお持ちのお客様、8番の窓口まで、お越し下さい』
 来たのは若い女性だった。
『親かなあ』
 ずっと立って眺めるだけというのも退屈なので、そんな想像をしてみる。
『でも三十路行ってないように見える……親御さん、まだ現役だったんじゃないかなあ』
「どうぞ、おかけ下さい」
 先輩が促し、女性が静かに席についた。
 ……何も言わない。記入した異動届も出してこない。
『そりゃそうだよね。これから孝行しようって時にだもん』
 ふと先輩を見ると、異動届を出せとか、お預かりしますとか、そういうことを一切言わない。その代わり、
「……残念ですね……」
 とだけ語りかけた。
『センシティブだから、対応も慎重なのかも』
 そんなことをぼんやり考えていると、相手がやっと異動届を机上に出した。



『伊藤 花』



 ……え?

「ごめんなさい。ちょっと、まだ取らないで下さい」
 女性が顔を上げずに、手を掲げてくる。無理矢理取ってトラブルになるのも面倒なので、異動届に届こうとした手を下ろす先輩。
 女性は、すみません、と小声で謝ってから、異動届に目を落とした。
 先輩は、お構いなく、と言うことはなく、相手の出方を待つ。
 私も、やはり何も言わず、整理した異動届を思い出していた。

 出生届に書かれた、『伊藤 花』の名。あれは四月二日のものだった。
 今日は、四月七日。『伊藤 花』の名は、死亡届に書かれている。

「出したら」
 女性が呟く。
「はい」
 先輩がそっと応じる。
「出しちゃったら、いなくなっちゃう……」
 女性の手元に、涙が落ちていくのが見えた。



 女性は、最早堪えきれなかった。ボロボロとビー玉のような涙を落とし、ぽつりぽつりと話す。しかし立っている私には、僅かな単語しか聞こえなかった。
「すぐだったんです――まだ――急いで――それでも――」
 しかし、少なくとも虐待で死んだわけではないだろう。彼女にはどうしようもないことで、伊藤花は、生後一週間と経たず亡くなったのである。彼女の語り口が、そう告げている。
 先輩は何も言わない。知ったような口で哀れもうものなら、「お前に何が分かる」とクレームが放たれるからだ。それに、彼女がいつまでも泣くせいで、待ち人数が二人、三人と増えていく。職員としては、住民の娘が早くに死のうが知ったことではない。だから下手に甘えられてしまうより、とっとと泣き止んでお帰りいただきたいのである。
 それが傍に立つ私には見えてしまったから、鼻をすんとすすった。
 先輩が振り向いた。
「え、ちょっと」
 目が熱い。
「お客様、確認事項がございますので、少々お待ちいただけますか」
「あ、はい……すみません」
 立ち上がろうとする女性に、
「いえ、こちらにおかけになったままで構いません」
 先輩はそう優しく声をかけると、やや厳しい目を私に向けた。そして私は腕を掴まれ、奥に連れて行かれたのである。

「貴方が泣いてどうするの」
 先輩と、私の指導員である高齢の事務職員、その補佐の方。私の周りをお三方が取り囲んだ。
「泣くのはお客さんであって、貴方が泣くことじゃないでしょ」
 先輩がぴしゃりと言い放つ。
 分かっている。分かっているが……。
「ま、気持ちは分かる。人間としては当たり前の反応ね、そこまで言わないであげて」
 指導員がやんわり言うが、先輩は態度を崩さない。
「ダメですよ、癖になりますから。他のお客さんが見てるんですよ。『あの客の時は泣いたのに、何で俺の場合は泣かないんだよ』って、クソみたいなクレームが来ます」
「面倒よねえ」
 補佐の方が眉をひそめる。
「言ってやれたらいいんだけどねえ、『かまってちゃんキモいんだよバーカ』って」
 指導員が、何にせよ、と肩をすくめた。
「『人としては正解だけど職員としては不正解』ってところね。まあ言いたいことはいろいろあるけど、それは貴方も分かってるだろうし」
 お客さんから見ると、職員は自分のためだけにいる。だが職員は、何百人と相手取らなければならない。ここに様々なトラブルの種がある。
 一人に時間を費やせば、「早く私のことやって」。かといって粛々と事務手続きをすれば「軽んじられた」。どちらに転んでも文句を垂れる屑はいて、その屑が時間を取るせいで文句が増える。
 一個の窓口手続きで既にこれだけ問題が起こるのだ。そこに余計な、泣く泣かないだのを入れたら、より面倒臭くなるのは目に見えている。
「辛いわよね、いっそ全部ロボットがやってくれたら、どれだけ楽かしら。馬鹿を流すのも情に流されるのも、無感情にやってもらえたら」
「そういえば辞めてった私の同期が言ってましたよ。窓口の向こう側にいる奴を全員負け組・格下と思えって。何言われようが『はいはい、お怒りでちゅねえ~、可哀想でちゅねえ~』って流せるからだそうで。そういう極端な考えもどうなのとは思いますけど」
 私の頭上で生産性の無いコメントが行き交う中、先輩が資料を持って退室の旨を述べた。
「あの人待たせてますんで。もういい加減落ち着いてるでしょ」
 私も行こうとしたが、引き留められた。一度泣きそうになっているから、もう今日は出るなということらしい。

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 終業間際、翌朝の作業をより簡単にするためにある程度の整理はしておいた方がいいと勧められ、私は本日提出された異動届に手を付けた。
「転出、転出、世帯主変更、転居」
 異動内容別に並べていると、
『伊藤 花  異動区分 死亡』
 それが出た。
「……あれ、お母さんだったんだな」
 横に積まれた、引き出しにしまう前の、過去一週間分の整理済み異動届をみやる。
 ――四月二日の出生届を探してみる。
「伊藤花、伊藤花」
 出生届の届出人は、しかし男の名前だった。父親だろう。

 止せば良いのに、考える。


 生まれたその日に、名前を付け、出生届を出しに来た父親。まだ母親も娘も退院できないから、一人で来たのだろう。生まれました、と言いに来る喜び。戸籍に『伊藤花 続柄:長女』と載る嬉しさ。育児という別の大変さが待っているとは分かっているだろうが、これから三人家族で暮らしていくことの幸せを思い描いていたはずだ。
 だが、一週間もせずに亡くなった。乳幼児突然死症候群か、元々NICUに入るような風前の灯火だったのか。
 どのみち、仕事で役所に行かれない父親に代わり、母親が届けることになった。死にました、と言いに来るためだけに、軽い化粧と外出着で、桜の花がふわふわ舞う中を、それも、ひとりぼっちで――。

『出しちゃったら、いなくなっちゃう……』

「そうか、死亡届が受理されると、戸籍から消されるんだ」
 もしも、次にお子さんを授かったなら、しかもそれが女の子だったら、その子が『長女』と記載される。伊藤花? 何のこと? そう言わんばかりに。
 それに、死亡届を出すということは、死んだと認めることである。生まれて一週間未満で死んだ娘の死亡届を、やはり死んで数日も経たない内に出す。酷な話である。

 ところで、中学時代に司書から聞いた。
『お七夜って知ってる? 起源は諸説あるけど私が好きな話があるの。神様が魂を下界に降ろして、本当にそのまま降ろしっぱでいいかを見てるんですって。で、「ダメだな~、この家じゃないな~」って神様が思ったら、魂を天界に連れ戻しちゃうの。で、七日間様子を見て「OK!」と神様が許してくれたら、そのまま下界で人間の子として生きていけるんですって。だからお七夜は「神様、この子を連れ戻さないでくれてありがとう」って感謝する行事なんだって』

 伊藤花は、神様に連れて行かれたのだ。きっと別のどこかで、幸せに暮らすために。
 では、あの母親の元ではダメだったのか? 何がダメだったんだ、神様?

 こういうことを考えていたら役所なんてやっていけない。それは分かっている。
 だが、辛いとしても、入れ込んでしまいそうになるとしても、
「へー、死んだの? あっそー、他に待ってる方いるんで、そろそろ泣き止んでもらえます?」
 というような気持ちで対応したくはない。
 もしもロボットが窓口にいたら、きっとあの若い母親は泣かないし話さないと思う。人がいたから泣いたのだ。聞いて欲しかったのだろう。


「ほら、残業になっちゃうよ。手動かして」
 先輩の声で我に返る。
 さっさと伊藤花の死亡届を片付けようとして、しかし、そっと置いた。

(終)

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