こせがれの夢⑤

実践の専門学校は

入学すると年齢は同学年でも一つ上、高校に行けなかった生徒や、家が農家の生徒が多く全寮制の学校生活が始まった。
一つ下で野菜農家の息子と同じ部屋になる。
タクシーで30分ほど走らないと店すら無く、ジュースの自販機だけなので、皆実家からのお菓子などの仕送りに頼っていたが、標高の高いため、ポテトチップスはパンパンに袋がなってしまう。
慣れない中で、入学一週間ほどでホームシックを初めて知る。
朝は6時起床で廊下で乾布摩擦。7時から朝食で8時には朝礼。
普通作物を選んだ僕は、ジャガイモを栽培。
1人4ヘクタールほどを手作業で任された。
人力を極めなければ機械は使ってはならなかった。
当番制で休みは日曜日の午後だけだった。
夏になると、通常の実技学習に加えて4時起床で牛🐄の搾乳、夜は夜学で黒板に向かった。
ジャガイモについては、それなりの知識と実務経験を得たと思う。
ジャガイモ博士と言われていた非常勤の先生に沢山教えてもらった。
芋に対する想いと、品種赤岳について興味を抱いた。
家に帰ったら、水稲とジャガイモの複合経営をしようと思ったほどだ。
初めての冬は、マイナス20度の中で生活。鼻水は凍ると刺さって痛いのを知らない人も多いだろう。笑
刑務所はもっと辛いのだろうか?と何回も思った。
人間は凄い、日々が経つと、環境にも体力的にも慣れる。
慣れると、今度は人間関係。やはり少ない同期生のなかで上下関係の争いとなった。
トップの座を取り、SOSの相談を受けると虐めていた方を呼び出しビール瓶でぶん殴った。
救急車で🚑運ばれたが、階段から落ちたと言い訳し、自ら辞めたI君を今でも申し訳なく思っている。

担任の先生も悪かった。太ももに龍🐉の刺青、休みには大麻を吸っていたことを知ってる。
こっそり堆肥場の裏にケシを栽培してパトカー🚓が来たが、すべて先生のせいにした。
夜は校外に、学校のトラックで乗り出しフィリピンスナックやクラブへ金もないのに飲んでは飲酒運転。ヤバイことに30分ほど離れた場所で車を脱輪して、夜中のうちタイヤショベルで牽引して元に戻したこともあったなぁ。
シャフトが折れていて走ることが出来ないトラックは皆で使わない理由を先生に説明して、父に退学にならない為に、車体番号から部品を送ってもらい夜中の修理で、何も無かったことにしたこともあった。
俺たちの夜遊びは、1年にも広がりハンドルを誤って横転したトラックの下敷で後輩が1人亡くなっている。
シンナーも手に入らずラッカーシンナーを一人で吸って粋がっていた。
それもさすがにバレて父が呼び出されデカい身体を小さくさせて担任に謝っていた。
罰として白樺林の整備を言い渡され、約3ヶ月、林を綺麗に間伐や除草をしていた。約4ヘクタールくらいあったと思うが、整備後は某シャンプーのCMを撮るほど立派な白樺林となったことは誇りだった。

卒業が迫ってくると、
大型特殊免許の農耕車に限る限定免許を取得の為に、勉強もして、一発合格💮

10年後の自分について、10年計画を書かされ、同時に卒業論文を書いて、卒業を迎える。


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