40代半ばで会社役員を辞任し、起業を決意! その背景にある亡き娘へとの闘いとその思いをつづります

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当時の選択は10年以上たった今でも少なからず後悔しています。
たらればをあげたらきりがないですが、もしタイムマシンがあったら迷わず戻りたい瞬間です。

そして手術の日を迎えました。

当日は私の父母も病院に駆け付けました。
私は親族を含め、大きな手術の場に立ち会うのが初めてだったので、心配や不安が手術中に何度も駆け巡り、手術が終わるのをいまかいまかと待っていました。

手術は数時間を経て予定通り終わりました。
執刀された先生が手術室から出てきた際、こう声をかけてくれました。

「無事、終わりました。娘さんの顔をご覧になられますか?」

ようやく重たい気持ちから解き放たれました。
娘の顔を見てどうやら昨日の出来事に対する思いは取り越し苦労だったと安堵しました。

その後の医師の説明では、娘の術後経過もよいので、3日後に人工呼吸器を外し、退院にむけた準備をしていきましょうという事になりました。

そうなるはずでした。。。


~ 萎れていく希望 ~

この日を境に娘と私たちとの明るい未来への希望が崩れ始めます。

娘の人工呼吸器が外れる日に病院での面会を予定していました。
当日にこれから病院へ向けてちょうど出発しようとしたその時に、なぜか病院から電話がかかってきたのです。

娘が「気管軟化症」を発症したとのことでした。

「???」

またもや聞いたことのない病名です。
今の状態で人工呼吸器を外すと、呼吸時に気管が閉じてしまう症状がでて呼吸困難になるため、今は呼吸器を外せない旨の説明を受けました。

そして結局この病院でもまた、娘はNICUへの病室移動となり、継続入院となってしまいました。
恐らく今回の手術は彼女の体に想定以上の負担をかけていたのだと思います。
当初予定していなかった輸血を行ったことも、体内のバランスに影響を与えてしまったのかもしれません。

NICUへ移動してからの娘は、ずっと寝たきりの状態でした。
かつ意識があると体を動かしてしまって体につないでいる管が外れてしまう恐れがあるため、常に麻酔がかけられ眠っている状態でした。

そんな娘を妻は毎日片道1時間以上かけて看病のため通院し、私も仕事のない週末には一緒に会いに行っていました。

NICUでの娘の容体は日々一進一退を繰り返します。

体内の栄養を補給する点滴だけではなく、体に悪影響を与える細菌を駆除するための薬、体内のPHバランスを保つための薬の点滴など、日を追うごとに管が徐々に増えていき、最多では10本近い管が体についていたと思います。

妻は娘の回復だけを願い、病院へ向かう前に毎日欠かすことなく近所の神社へ詣でて願掛けを行っていました。

しかしなかなか快方に向かわない娘の容体は、私たちの希望を徐々に蝕んでいきました。


~ 娘の旅立ち ~

娘が入院して2か月ほど経った6月16日にその時はやってきました。

その前日の6月15日は日曜日、私はいつも通り病院で娘に付き添っていましたが、担当医師、看護師の表情がいつも以上に厳しく見え、またあわただしく動いているように感じていました。

容体は芳しくないという説明はこれまで幾度となく医師から受けており、回復のためにできる処置がかなり減ってきているということで、今まで以上に状況は良くないことを頭で分かっていました。

それでも置かれた事態が相当に深刻であるとは信じきれていませんでした。
最悪のことが起こるはずがないと心の底で信じていたんだと思います。
その日の付き添いの最中には、娘の容体に大きな変化はありませんでした。

面会時間が終わり、妻と自宅に戻り就寝、日付が6月16日に変わった午前1時過ぎ。
消灯して眠りに入りかけた暗い部屋に一本の電話が入ります。

担当医からです。

「娘さんの容態が急変しました。至急来院してください。」

慌てて私たちは服を着替えて、車に乗り込み病院に向かいます。

病院に急いで車で向かう道すがらです。妻は今までの経緯から覚悟をしていたのでしょう。
助手席でうなだれ気味で娘の名を呼びながら、「大丈夫、大丈夫」とつぶやき続けていたのを覚えいています。

病院に到着し初めて夜間に入ったNICUは、昼間のような明るさは全くなく、薄暗く部屋の中で機械のモニターの光だけが鮮明に光っていていました。

病室に着くなり、担当医師から娘がすでに延命措置に入っていることを告げられます。
そしてここ数時間がヤマになるとも。

病室にいても処置の妨げになること、そして深夜のため、体を休めておくよう促され、妻と二人、別室に待機していました。

「まさか、まさか、そんなことは起きないよね?」

今まで身内の最期に立ち会った経験のない私は、来るべき時を迎えていることは理解していました。反面、生まれてから一度も味わったことのないその悲劇は来ないだろうという甘く勝手な思いを持ちながら、徐々に暗い部屋の中でまどろんでいました。

まだ日が昇る前の未明に再度、私たちは病室に呼ばれました。

病室に入った時には、すでに娘は心肺停止の状態でした。

娘の心拍を表示する心電図モニターの線が、よくドラマで見る亡くなった人のそれと同様、直線に流れています。

「これは本当に現実なのか??」

何が何だか分からずにショックで頭が真っ白になっていました。

「心臓ショックをかけます!」

そう言って医師がこれもまたドラマで見る機材を娘の心臓付近に当てて、電気による刺激を与えます。

ー 反応なし ー

再度、医師が同様に刺激を与えます。

ー やっぱり反応なし ー

「お父さん、これ以上はもう無理です、止めますか?」

医師がこちらを見て問いかけます。

そんなことを聞かれて、「はい、わかりました、止めてください」なんて言えるわけがない。

だって、それを言った瞬間に私たちの家族の願いが完全に閉ざされてしまう。

もう私たちのところに娘は戻ってこれなくなってしまう。

そんなことが頭をぐるぐる駆け巡り、結局私は一言も発することができませんでした。

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