不登校児がネット恋愛した話

 階下から、掃除機の音が響いてくる。一度、寝室の扉を閉め、頭から布団をかぶって目をつむると、階段を上がる足音。ああ、もう逃げられない。私は観念して目を開けて、母のノックより先に扉を開けた。
 中学1年生、不登校6年目。モルモットなら、産まれてからそろそろ死ぬ頃合いだ。大人達が誰しも口をそろえて言う、「一番よい時代」の原液を、限界まで水で希釈してすすっていたのが当時の私だ。毎朝8時頃、母の掃除機で目を覚まし、父と顔を合わせないように夜9時頃布団に入る。何度時計を見ても、いっこうに針は進まず、退屈さにRPGのレベルを99まで上げ、同級生たちが下校する時間になると、さっとカーテンの裏に隠れて息を殺していたのが私だ。色白が自慢だった。


「今日どっか行きたいとこあるんー?」
 母は、私のつま先ぎりぎりまで掃除機のノズルを当て、のんびりした口調で聞く。子供が不登校6年目なら、その母も6年目。さすが、ベテランの貫禄だ。
「今日は、木曜だから、行けんよ」
 私は「何をわかったことを」とばかりに、できるだけさりげなく言う。やれやれ、今日は一日、忙しくなるぞ。
 当時の私は、現在25歳、社会人歴3年目の私すらついぞ感じたことのない、お勤めへの使命感に燃えていた。



・ネットとの出会い


 父がいない間に、書斎のパソコンを拝借してネットを立ち上げる。小学5年生の終わり頃から、ネットを使えるようになった私は、生活の質が劇的に向上した。好きなアニメ、漫画のファンサイトを中心に、自分の好きなものの情報を収集し、その上世に発信できるようになったのだ。現実世界で話し相手のいない私には、非常に魅力的なツールだった。人と目が合わせられず、どもりの赤面症でも、ネット掲示板の中では人権を持つことが許されていた。


『や! 今日は、まだ誰もきていないみたいね。って、平日だから当たり前か(笑)私は、昨日の風邪が長引いて、今日も中学をお休み。だれかいないかな~?』

 口とは違い、流暢な指がキーボードを叩く。掲示板の中では、私は中学2年生で、男勝りな姉御肌、男友達が多くモテるが本人に自覚はない、という人格設定だった。
 (笑)をタイピングする、その表情は、無だった。


『でも、ちょうどよかったんだよね……木曜の締め切りに、間に合わないところだったから。今から、夜には間に合うように書きます』

『おお! ゆずるは真面目だな~、俺は、学校のパソコンからこの書き込みを打ってるよ』


 平日の昼とは思えない、迅速なレスポンスに、私の胸は高鳴った。彼のハンドルネームは春人、中学2年生、他校生をも巻き込んだ大規模なファンクラブがあるそうで、幼馴染の女の子とちょっといい感じだが本人は恋愛に疎く、深く追及すると「女の子ってむずかしーよー!」と言って、しばらく沈黙を貫く。
 私は、2か月前、彼と掲示板の雑談コーナーで出会って以来、すっかり心を奪われてしまっていた。


 ふつう、雑談コーナーではチャットのように話題が流れていき、その流れが速いほど全レスするのは至難の業だ。傷つきやすい私は、自分の発言にレスがつかないスレッド(ある話題に関する投稿の集まり)には、2度とコメントしなかった。しかし、春人が作った「ひまじん集まれ!」というスレッドでは、どれだけ遅れたとしても主の春人が粘り強くレスしてくれ、その雰囲気が周りにも伝染し、大して関心の無い発言にも相互にレスしあうという寛大な文化が作り上げられていた。
 ひとえに、春人の人柄によるものだ。


『風邪、大丈夫か? 小説、楽しみにしてるぜ!』
 
 この感情を、恋というのかもしれない……。
 6年間、雄と触れ合う機会の無かった哺乳類に、突如として餌がぶら下げられた。



・不登校児の「お勤め」


 私は、いったんネットを切って、ワードを開いた。
 人には、それぞれ、ストレスなく過ごせる1日の発話量というのが決まっていると思う。多すぎてもだめ、少なすぎてもだめ。それでいくと私はストレスだらけで、いつも溢れんばかりの承認欲求と闘っていた。
 口で言えない私は、発話量のバランスをとるために、小学4年生頃から拙いながらも凄まじい熱量で小説を書いていた。ネットで発表の場を得るようになってからは、モチベーションを保つために木曜を締め切り日とした。


 春人、私、書くよ。私、不登校で、引きこもりで、実はけっこうデブだけど、めちゃめちゃ頑張って書くから、春人。


 当時、私は角川ホラー文庫に傾倒し、貴志祐介を信奉していた。
 少女達のいじめ問題から始まる、グロテスクで陰気な物語は、掲示板の隅のところでひっそりと連載していた。一度だけ読みに来てくれた春人は、「すげーな! ガンバっ」と、言い残し、2度と現れなかった。しかし、私は、いつか自分の物語が、ひいては自分自身が人々の脚光を浴びる日を夢見ていたのだ。欲を言えば、そこにちょっとだけ、春人がいてくれると嬉しい。


「ただいまー」
 はっと時計を見る。まだ、17時にもなっていない。しかし、階下からは父の声が聞こえる。
「なんや、今日ははよ切り上げてきたんや。風呂? 風呂はまだええ。ちょっと上いって、それから飯にするわ」
 風呂にしろ。風呂にしろ。私は、常に、父の手を煩わせるものの味方だった。しかし、父はばた、ばた、と、スリッパで階段を上がる独特の音を響かせて、確実にこちらに迫ってくる。私は、即座にワードを閉じる。


「おまえ、まだネットやってんのかー。ちょっと、父さんに代わりや」


 そう言われる前から、私は既に、デスクから離れていた。不登校歴6年目の私には、わずかながらわきまえているところがあり、腐るほどの自由時間を持った自分より、父の休息のほうが優先されるべきだと理解していた。


「ネットばっかりせんと、母さんのことも手伝ったり」
 当時の父は、少しばかり尊大だったが、早く学校に行けとは一言も言わなかった。



・しかし、ここで大問題


 父にパソコンを明け渡しては、大切な締め切り日に間に合わないではないか。
 実際、私以外の誰もそのことを気にしないけれど、元来の弱気が、いるかもわからない読者の化身を作り出し、私を責めたてた。「約束破り、無責任、しょせんはガキの遊びか」と。ああ、一言読者様に詫びねばならない。当時、私は中学1生にして、相手に媚びる姿勢を貫いていた。


 部屋の照明を落として、携帯を開けた。当時は二つ折りで、今のようにアプリや、高画質なカメラもなく、メールと電話くらいしか使い道がなかった。中学に進学する際、親に買って貰ったものだが、電話帳は、件数・6件。すべて三親等以内。メールフォルダでは、基本的に、おばあちゃんおじいちゃんと体調を労わりあっている。


「ちょっとくらい、いいよね」
 当時の私の携帯は、パケット無制限などのプランを組んでいなかった。使えば使うほど、ネット使用料は底なし、青天井である。だから、ネットには繋がない決まりだった。自分の部屋で、自分だけのネットツールを得ることに憧れていたけど、基本的にさほど不便はなかった。その時までは。


 私は、禁断のパンドラの箱を開け、多量のパケットを消費しながら掲示板を開けた。早く発信しなければ、みんなから置いていかれる、その一心だったように思う。私は、自分の小説のスレッドに『いつも読んでくださっている皆様、本日は作者体調不良のため、更新滞りそうです。申し訳ありません』と虚偽の謝罪をし、春人の雑談スレッドも開いた。新参者が来て盛り上がっていたようで、新着レスが何十件もあった。


『春人、彼女はいるのかなあ。。? なんて、気になっちゃう私です。。。。』

 なんだ、この女は。私は狼狽した。句点はひとつだ、たくさん打つな。

『俺、彼女とか、そもそも恋愛したことないからわかんねーよー!』

 春人は、あくまで純情路線だったが、当時の私から見ても心が揺れているのが分かった。あきらかに、その女性、さゆは春人にアプローチしているのだった。


 会話を拾っていくに、どうやらさゆは中学1年生で、春人のキャラを気に入って雑談に加わってきたようだった。

『さゆこそ、だれか好きな奴とかいるのかー?』
『昔は、いたよ。。。今もそういう感じの人はいる。。』
『なんだよ、気になるなー! てか、さゆが来てから、ここよくにぎわうな!?』


 賑わっているのは、春人の心だけで、実際に会話しているのはほぼ2人だけだった。どうしよう、会話に入ろうかしら。一応の葛藤は、私にもあった。教育の義務すら負わず、養われている分際で、その通信料をどうするつもりだ。しかし、2人きりにしておくことなど耐えられない。「ちょっとくらい」と、再度魔法の言葉をつぶやいて、『よっ! 風邪、ましになってきたよー! さゆさん、はじめまして^^』と、タイピングした。


 結局、その日は、19時頃お開きとなるまで、私、春人、さゆ、もう1人古参の女の子の4人で、途切れることなく会話した。嫉妬心もあるけれど、絶え間なく続くレスポンスは、その晩寝つけないほどの高揚感をもたらした。普通の会話って、こうなんだ。日ごろ、誰もいない平日の昼間にしかネットを許されていない私は、数時間遅れのレスでは味わえない、即時性の喜びを知ってしまった。



・長くは続かない幸せ


「なあ、話があるんやけど」
 母の顔を見て、よくない話だ、と直感した。
「前の月の通信料、2万やって……」
 明細書をそっと見せられる。自己防衛に特化した頭は、なにか逃げ道がないかとくるくる回転していたが、時すでに遅し。
「父さんにも、言わなあかんで、こんなん」
 私の即時的レスポンス人生は、1か月で終了した。



・春人との終わり


 春人との顛末を追っていくと、私はさゆに完敗していた。自分に自信が持てず、卑屈で遠回りな自己表現しかできない私は、春人がログアウトした後、『私も少し気になる人がいてね……』と、思わせぶりに、無関係な第三者に向かってつぶやくか、さゆにデレデレの春人に『なんだその態度の差はー! ちょっと、寂しいゾ』と、嫉妬心をほのめかすくらいしかできなかった。


 対して、さゆは、まばゆいばかりの素直さで、春人への好意を綴った。たぶん彼女は本当に、中学1年生で、現実社会に友達もいて、ちょっぴり気になる男の子もいる、等身大の普通の女の子だったのだろう。


 大学生になってから、当時の掲示板のログを検索して振り返ったことがある。中学生の私は、女の子らしいのはさゆだけれど、自分のほうがまだまだ気兼ねない女友達として大切に想われている、と信じていた。だが、大人の目線で振り返った時、私はあきらかに劣勢だった。
 何行にもわたって返信されるさゆと、1行に収められる私。恋愛話で盛り上がるさゆ、盛り上がらない私。掲示板の片隅で、話題にならないグロ小説を書き続けている女を、春人は子供ながらにしっかりと見限っていたのだ。


 私が雑談スレッドを訪れなくなった後も、2人の親密なやりとりは続き、『このサイト、アドレス交換きびしいからねー』『私、交換できる場所、しってるよ』『○○○で、私の名前、検索してみて』と、裏取引の軌跡を最後に、ログは終了していた。



・その後……


 さして注目をあびなかった我が小説は、2年の期間を経て、ひっそりと完結した。


 週一回、不登校生徒がつどう相談室に背中を丸めて登校する私を、教師たちは口を揃えて「素直ないい子」と評した。私はいつも、喉の奥になにかがつっかえているのを感じながら、笑うことしかできなかった。素直ないい子は、毎週木曜になると、自分と同世代の女子が喉を貫かれたり、全身複雑骨折したりして死にまくるスプラッターを、こつこつと更新した。なんのことはない、私は自分の世界で思うざま権力をふるっていたのだ。
 ちょっぴり、春人の再訪を期待していたけれども、その日がくることはなかった。

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